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シュノー家 3


「どうかなさいましたか?」



心ここにあらずなセルリアに、スーツを着た老人が心配といった様子で尋ねる。

このシュノー家に古くから使える使用人頭であり、なかなかの博識。それがこの老人である。



「……いや。」



セルリアは答えようもなく、か細く呟く。

人にはない力が使えなくなったなど言える訳もない。


当然人の手による交通の手段はある。

しかし行って帰るだけでも一苦労な長い道のりであり、時間をかけてシュノー家を外出するとなれば、パノスにも許可を得なければならない事態だろう。

忌み嫌う村への外出許可が下りるかはかなりの賭けだろう。



「ここ数日講習続きです。お疲れが出たのでしょう。今日はもうお休みされては?」



老人はセルリアの体を労るように、丁寧な言葉を続ける。

その穏やかな雰囲気、言葉使い、心配そのままを映したような表情をセルリアは眺める。



「……なぜ、ここに?」



「はい?」



「なぜ、この家に使える?貴族というのは、金で道具のように人をも扱う。何も思わないのか?」



老人は突然の質問に少々驚いたようだが、再び微笑んで口を開いた。



「確かに、貴族の方々の中にはそのような思考の持ち主が多いかもしれませんが。それが皆さんのおられる世界なのです。

貴女が人を尊く思い、労る心を立派に育てられたように、目前に広がる景色から学ばれたものなのですよ。」



側に立つ老人がシワを深めて笑う横顔を、セルリアは黙って見上げる。



「私は、代々シュノー家の執事を勤める家系に産まれましたので、父や祖父に連れられ、幼少から目にしております。なのであまり抵抗はありません。

しかし、時折悲しさはあります。

貴方に初めてお会いし、パノス坊ちゃまが気を引こうと声をかけた時も。貴女の暮らす村を追い立てた時も、そう感じました。」



「ならば、なぜ黙って見ている。」



「お側に居ても、私とは身分が違います。立場が違います。この家一つにしても、なくなれば何十人が路頭に迷うこととなりましょう。

貴族方の間柄もあまりよろしくない。弱味すら見せられない世界の中では、必要なスキルの一つなのです。」



セルリアにない意識は、貴族ではなくてはならないものでもあった。

同じ貴族の中で埋もれずに家を大きく見せるには、身の回りにあるものを出すのが何より効果的。


貴族の中の競り合いで引けをとろうものなら、その世界で信用に関わり、事業的にも不利になることが多い。

また逆に相手を持ち上げることも然り、対応を一歩間違えれば瞬く間にひっくり返るという界隈であった。

そうして貴族の類いから転落した者達も、老人は多く目にして来たことだろう。


セルリアは納得しかねるといった微妙な表情を、老人からはずして俯ける。



「貴女は、とても温かい人々に囲まれて居たのですね。人をそれほどに愛し、接することができる。」



そう告げる老人はシワを深めて穏やかに微笑む。

セルリアは、弾かれたように席を立つ。



「それらを罵り、壊したのも奴だろう。あの村の人達の器量は私にはない。」



セルリアは牽制とも言える言葉を残して部屋へと戻る。

老人は言葉は出さず、セルリアが出ていくまで頭を下げたままで見送った。


講習も投げ出して、豪勢な長い廊下をセルリアはただ一心に足を進めて自室へと戻る。

部屋に入って扉を閉めるや否や、セルリアはそこで立ち尽くして前髪を掻き乱すように荒く、顔へと手を添える。


今にも檻を突き破って飛び出さんとする獣でも内に飼っているかのようだった。渦巻く感情を押さえ込み、耐えるようにキツく歯を噛み締める。


それにはセルリア自身も戸惑っていた。

村人を傷付けたことを大して反省もしない態度に怒りすら感じる。それはセルリアにとっても自覚がある。

しかし、これほど迫りくる感覚になるほど怒りが露になったことはなかった。


どこか冷めた一面を持ち、静まったままの一部がある。

……そうだったはずなのだ。なにせ隣にいたのはとにかく全力なラビス。それに比べてしまえばあからさまに。

なのに今は、欠片も見当たらずに怒りや苛立ちに染まりきる。


ぐらぐらと揺れる、不安定な岩場の上にでも立たされている気分だった。

気が張り、気が立ち、留めようとするほどに不安定に揺らぎ、また積もる。

苛立ちが乗算されていく心を、セルリアは身の内に押し込むことに必死だった。



「セルリア様、昼食の用意が整いました。」



どれだけ経ったか、 激情を押し込めたセルリアの心は実に静か。

気味が悪いくらいに鎮静し、沈むといった感覚の気分だった。


軽く叩かれる扉の音にセルリアはそれがわかっていたかのように、ベットの上で片膝を立てて凭れていた顔をゆっくりと上げ、座っていたベッドを立ち上がり。それが染み付いたように部屋の入り口へ寄っておくと。



「ひっ!!」



入って来た使用人がセルリアを見た途端、喉がひきつったような悲鳴を漏らし、顔も体も固めて後退する。

まるで化け物でも見たような使用人の態度に疑問が浮く。



「もっ、申し訳ありません!カラーコンタクトをめされてるとは、思わず……っ!大変失礼致しました!」



謝罪に頭を下げる使用人に、セルリアは意味がわからない。



「からー?」



初めて聞いた単語に、セルリアは思わず聞き返す。



「え?で、ですが、目の様子が……、」



使用人の言葉の意味を悟り、セルリアはドレッサーの机に手をついて鏡を見る。

そこには、瞳孔を残して白く変色した瞳の自分の姿が映っていた。



「なぜ……、」



昨夜は激痛が襲った力の解放。

しかし今は昼間にも関わらず、セルリアすら気付かぬうちに解いていたらしい。



「セルリア様……?」



使用人もまた何がなんだかと、戸惑う声が届く。

それによってセルリアは鏡を見つめたまま驚愕としていたことから我に返る。


5mは離れているだろう距離があり、声も大きいものではないにも関わらず、すぐ側で話される感覚。

人を超越したそれは、異端な力による域だった。


使用人が部屋に来るまでの足音も長く感じる程に鮮明に聞こえて来たのもその為かと、今更ながら思い当たる。



「すまない。食事はいらない。」



「え!ですが……、」



あえて力は戻さずに戸惑う使用人へと告げる。

セルリアは下手に変えない手段をとった。



「大丈夫だ。」



元々食べずに居てもなんの問題もない体だ。それを心の内で含み、心配はいらないと宥めるような声をかけ。

困惑する使用人を廊下に残して扉を閉めた。


そして踵を切り返すと入り口から奥へと進み、明るい日の光の差すベランダに続く窓へと移動する。



「……っやはり、光は痛い……。」



その力が人に許されたものではないからか、それとも一度は堕ちた存在でこそ得る力だからか。

日の光は強く刺さるように感じ、直射日光を避けるように一歩後ろへと飛べば、何かに吊られているかのように軽く、3mは下がる。


そこからまた身を翻し、再び変色した瞳の姿が映るドレッサーの鏡の前へ。

そして沈んだ気分も今は振り切り、力を静めるように集中しつつ目を閉じて開けば、黒い瞳へと戻った。



「一体、なんだというんだ……。」



使いたい時に使えず、必要のない時に顔を出した力に、セルリアは初めて不便を感じた。

しかしこれで、力が使えなくなった訳ではないのだとわかる。


かといって昨夜の激痛や、意味もない発動。まだまだ疑問は多いままで、ここには唯一セルリアの事情を知るラビスやジャルは居ない。

言葉にすることもできず、その疑問は内を渦巻くばかりで、答えを出すどころか和らげることもできずに時間を消費していった。




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