シュノー家 2
「セルリア。入るぞ。」
どれだけそうしていたか、しばらくしてから声と共に扉が開く。
ノックはなく扉が開き、入った人物はすぐ側の壁にあるスイッチを押し、部屋をシャンデリアや壁の電気で照らす。
「また電気も付けずに、そんな格好で外を見ていたのか。」
入って来たのはパノス。
セルリアはきっと気付いていただろうが、特に慌てる素振りもなく視線だけをパノスへと向ける。
「アイツらのことを考えているのか?失礼極まりない、身の程知らずの庶民共のことを……!」
パノスにとっては、街で睨んできたジャルも、村に降り立った際に意見してきたラビスも、存在を思い出すだけで気に入らないと顔をしかめている。
「貴族としてのマナーを覚える点は認める。しかし、ママに愛想がないと言わせたんだ!僕の妻になる者として恥と知れ!」
パノスはセルリアを睨みながら激しく言いつける。
セルリアは窓際から立ち、鋭い意思を秘めた瞳でパノスに向く。しかしその距離は、部屋の広さから15m程はあり遠いまま。
うろたえる事も頭を下げる気もない、背筋を伸ばしている。
「あいにくだが恥など知らない。私を生かしてくれた村の住人達を侮辱することは、誰であろうと許さない。」
セルリアは構わずパノスを睨み返す。感情を大きく揺らしたのは、パノスの方である。
「っなに……?夫となる僕に、なんて口を聞く!それに、慕うその村の住人達こそお前を追い出した張本人なはずだ!」
「耳に入っていたのなら知っているはずだ。何の繋がりもない私でさえ、苦渋の決断とする人々だと。」
パノスの意見もものともせず、セルリアも意見をぶつける。
「それに、最後まで守ってくれた奴もいる。」
パノスの元に行く意思を固めたその時。
身一つで、これからも守ろうとしたラビスの存在を忘れられる訳がない。
「勘違いするな。態度があろうがなかろうが、私は私の意志で村を出た。村の住人に感謝することはあっても、恨むことなどありえない。」
ひたすらに言い切るセルリアに、パノスは歯をギリギリと強く噛み締める。
「っしかし、僕の妻になるとここに来たのは事実だ!僕に口答えするな!恥もかかせるな!いいなっ!」
そう一喝したかと思えば、パノスは荒々しくセルリアの部屋を出ていき。荒く閉められた扉の向こうで、雑な足音が遠ざかっていった。
「約束さえあれば、これも夫婦か?」
セルリアが知ったアギアスとシンシアを始めとした夫婦の様子は、むしろ謎に包まれていく気分であった。
「力を使わないことも、試練だとでも言うのか……。」
セルリアは再び一人になった部屋で、感情を逃がすように深く息を吐く。
人にはない力を使えばどうとでもなる。しかし催眠などは一時的な効果であり、平和的な解決方法は力を持ってしてもない。
ただ、人間離れした城を破壊するような恐怖を植えれば、いとも簡単に解放はされるだろう。
村の人々はもちろん、特にラビスとジャルを目の敵にするパノスに、セルリアは自分を押し留める苦悩を色濃く感じていた。
やる気になれば容易い事を押し留めている大きなものといえば、『心までも悪魔になる必要はない』とラビスが言ったことだった。
「奴の姿すら見えないのが、こんなにも……。」
鏡を拾ってからというもの、ラビスの成長する過程をずっと見てきたのだ。
鏡もない、まして同じ世界にいようと姿もない今。
セルリアは長い黒髪を垂らしてうつ向きながら、その言葉の続きが出ることはなかった。
それからしばらくそのままだったセルリアだが、ふと顔を上げ、タンスを開け。
適当な服を手にするとそれに着替える。
パノスが部屋を出てからも既に何時間と経っており、時刻は真夜中。
寝静まり、何十人といるはずの城の中さえ静まり返っているその中、大きな窓を開いてヒラリとベランダへと出る。
そこは3階の部屋。しかし内部の天上も高い事から、高さは4、5階相当にもなるだろう。足元に広がる庭から、少し離れた明るい市街。
明る過ぎるくらいの電灯を視界に広げていた。
この部屋になった理由は、妻の続柄の為の眺めや部屋の作りを重視してのことなのか、はたまた下手な逃亡を阻止するためか。定かではない。
しかしセルリアにとっては問題にならない。
暗闇でもきく目を凝らして人気のないことを注意深く確認し、力を解放したその瞬間だった。
「な……っぁ……!!」
まるで体が悲鳴をあげるように動きを固め、制御もきかずにベランダに膝から崩れ落ちる。
力が入らず立てもしないまま、体の支えに手をついたものの荒い呼吸を繰り返し、冷や汗がしたたる程に流れ落ちてベランダに染みをつくる。
「っ、ば、かな……っ。昼間でもないのに、なぜ……っ!?」
日の光と相性が悪いのはわかっていたが、今は闇の深い深夜の時刻。
セルリアの感覚的にも力を使っている状態だ、その瞳は白く変色している。
しかしまるで体が動かないというのはどうゆうことなのか、セルリアにも訳がわからない。
しかしひとまず力を収めるしかなかった。
ようやく異変が落ち着きを見せた頃には、すっかり疲れきったセルリアは多少回復した体を動かし、ベランダの柵に寄りかかる。
「どうゆうことだ。私は、悪魔なんだろう……?」
セルリアには備わっていて当然な力のはず。まさか力が使えなくなるとは、夢にも思わずに理解できない。
「死もない体に不調などない。村に比べて明るいくらいで……、ありえるのか?」
セルリアは考えてはみるものの、浮かべた答えはどれも飲み込みがたい。
「あの環境にいないからか?衰えるものなのか?人間になる訳でもないだろうに……。
もう、目にすることも許されないと言うのか?ラビス、ジャル……。」
ほんの少し、姿でも見れればと飛び立つつもりだったセルリアだが、こんな状態ではとても力を使えそうにない。
それは容易く往き来できる距離の考えが消え、愕然としてベランダから動くことが出来なかった。
闇は薄れて日が登り、また1日が始まる。
朝食をとり、セルリアは今日とて貴族の基礎を教えられる。
しかし昨夜の一件が頭から離れず、答えの出ない疑問ばかりが頭を過り、上の空。
覚えのいいはずのセルリアがまるで飲み込めずに、講師は渋い顔をして休憩を言い渡して席を外れた。




