不思議な体験をした少年 3
食材も多めにあったおかげで、今日1日は街に降りなくとも問題はない。
調理台に立ち、夕飯の支度をしている時だった。
自ずと背を向ける方向になってしまい、ふと女の様子が気になって振り返ると。
「えっ!」
全く気付いていなかったが、女は布団で上体を起こし、部屋の中を見ている最中だっただろう。逸れていた目がラビスを捕らえる。
その黒い瞳は、強くも妖艶さを纏っており、意識が引き込まれるような気さえした。
「あ……っ、えと。大丈夫、ですか?
渓谷の川沿いで倒れていたんですよ。」
またしても見惚れていたラビスは慌ててそれを振り切って女を心配するが、女は無反応でただラビスを見ている。
「こっ、ここ、僕の家で。その……痛いとことか、気分が優れないとか、ありませんか?」
間がもたないと言った様子で、ラビスは必死に言葉を繋げるが、やはり女は反応を示さず。かまわずにまた部屋の中へと視線を戻す。
ラビスは困りながらもひとまず口を閉じて、もうできかけだった料理を仕上げ、トレーに並べて女の元へ歩み寄る。
「お口に合うかはわかりませんが……、きっと、昨日から何も食べてないんじゃ?
少しでも食べてください。」
持って来られた湯気を立ち上げるそれは粥の類いのもの。
女は再びラビスに視線を戻し、そして粥にも向いたが受け取らない。
「あの……。お粥、お嫌いですか?」
ラビスはどうしていいのかわからず、まさか元々嫌いなものだったのかと困りながらも尋ねてみると、粥にあった女の視線がラビスに戻る。
「……必要ない」
「え?」
一般的な女性にしては少々低くも、声にまでも艶がある。
だが今気にするべきは、その言葉の意味だろう。
「いえ、でも。食べた方が良いですよ、体の為に食べてください。」
あまり強引にするのも気が引けると、ラビスは最後と決めて女に言うと、また少し黙った後に手を膝から下ろす。
空いた膝元へそっとトレーごと置く。
「熱いので気を付けてくださいね。」
ひとまず受け取ってくれた女にホッと息をつきつつ、一緒に作った自分の分も持って行くと。女はまだ渡されたままで止まっており、ラビスを見ている。
「え、あの……?」
どこまでも不思議な女にラビスは戸惑いつつもどうしていいかわからない。
しかし、先には食べにくかったのかと思い当たる。
「いただきます。」
食材に感謝しつつ手を合わせて、スプーンを持って、掬い上げたお粥に軽く息を吹き掛けて冷まして食べ、どうかと女を伺うと。
「……いただきます」
ラビスの後を追うようにして同じ動作をし、女もスプーンを動かして、息を吹き掛けて粥を食べる。
不思議な人だと思いながらも、ラビスを見て真似ているような動作が無表情な女をあどけなく映して、ラビスは微笑みつつ。
久しぶりとなる人との食事をとった。
「あ、そうだ。まだ名乗ってなかったですね。僕はラビス。ラビス・グレイル。
貴方のお名前を聞いてもいいですか?」
食事を必要ないと言われたが、綺麗に食べ終えた。
ラビスは夕飯も済んだところで女に名乗り、そして名を聞くと。
「セルリア」
女はやはり無表情だが、口だけを動かして答えてはくれるようだ。
「……家名は?」
「……家名?」
そのまま聞き返すセルリアに、ラビスは不思議に思ったものの、言いたくないのならと思い中断する。
「どうして川沿いに倒れていたかは覚えてますか?」
これも話せなければそれでいいと聞いてみるが、もし話せるのであれば自分の疑問を少しは明かせるのかと。
「……わからない。
突然、景色が変わった。その直後に爆発が起きて、気付いたらここにいた。」
セルリアは淡々と、自分が覚えてる限りのことを言葉にして話す。
やはり爆発とセルリアは関係していた。
ただ、ラビスが知りたいところはセルリアも知らずに居るようだ。
側で爆発が起きたとするなら、崖の上にいたということになる。
爆発を受けても無事で、崖から投げ出されてもこうして生きている。
そんな不思議としか言えない出来事は、ラビスの体験と重なるものがあった。
「貴方もきっと、守られたんですね。
僕も小さい頃、あの森で野犬に終われ崖から落ちたんです。
でも、目を覚ましたら、貴方と同じ崖下の川沿いへ倒れていただけ。
不思議ですね。こうして、同じ経験をした人に出逢えるとは思いませんでした。」
ラビスはこれも神の導きなのかと、穏やかな表情で語ると、セルリアはまっすぐにラビスを見る。
「知ってる。落ちたこと」
「え?あ、僕の噂知ってるんですね。
あれから、崖まで感謝を伝えに通ってます。それがなければ僕は、今ここには居られませんから。」
どうやらセルリアも噂を知っていたようだ。不思議な体験をした少年が、目の前に居るラビスだと。
「嬉しいの?一人になったんでしょう?」
そう言ったセルリアは振り返り、ラビスもそれを辿るように追うと、部屋の隅。棚に飾られた一枚の写真がある。
ラビスが毎日見て言葉をかける。
今は亡き両親、そして弟と共に撮った、最初で最後のたった一枚となってしまった写真。
ラビスは口を結んでうつ向き、正座していた膝の上の手を強く握り締める。
それは、ラビスがひたすらに抑え込んできた悲しさや寂しさを溢れさせ、同調して視界をも歪ませる涙を呼ぶ。
「……っ。それでも……、だからこそ、生きるんです。両親や、弟の分まで……っ!
……すみません、お見苦しいところを。」
ラビスは絞り出すような声を出したものの切り替えて、袖で滲んだ涙を拭いとって、上げた顔は少々崩れながらも微笑んでいた。
「セルリアさんも、ご家族の元へ戻らなくてはですね。ご出身は、どちらなんですか?」
気を取り直してとラビスが尋ねるも、やはりセルリアは表情を変えることはないが、見ていたラビスから視線を外して正面を向く。
「居ない。帰り方も、わからない」
「え……、」
家族は居なくとも、帰る場所はある。だがそこへの戻り方がわからない。
一体どうやってここまで来たのかとラビスは疑問を持つが、自分の意思で来たのならそうはならないだろう。
とにかくセルリアの話は疑問が残る。
ただひとつ確かなのは、セルリアという名前と、自分と同じような体験をしたこと。
そして、行き場がわからないこと。
「なら、ここを出るまでは家に居てくださってかまいません。
何ができるかはわかりませんが、僕にもお手伝いさせてください。」
寝床として使うことを申し出たことで、セルリアは再びラビスを向く。
その表情はやはり、穏やかに笑っていた。
「……鏡」
その笑顔を見て、セルリアは唐突にもその単語を口にする。
「鏡?
あ、使うなら、まずはお風呂に。」
汚れているにも関わらず風呂も進めずに居たと気付いたラビスだが、セルリアはかまわず遮るように口を開く。
「純銀の、手鏡。
たまに光る。まずはそれを探したい。」
どうやら今鏡を使いたい訳ではなく、手元に無くしたものを探したいと報告したかったようだ。
ラビスは鏡を取りに立とうとした腰を戻す。
「純銀……ですか。
高価なものですし、売られて外に出たら大変ですね。大事なものなんでしょう?」
純銀の手鏡など、貴族でしか持てないような世界。
それを売れば大金も手に入る。そうして村の外に出れば、村に居ながら探すなど不可能である。
ここは食物の輸出や、必要な輸入以外の交通はないほぼ孤立した農村であり。
隣の街まで行くにも、車で3時間はかかるという場所だ。
「わからない。気付いたら、手元にあった。」
大事なものかわからない。けれど彼女の手にあったものなら、何かしら思い入れはあるのだろう。
現に探したいと口にしているのだから。
「あ……光と言えば。」
濃い霧の中でも見えた、ランプとは到底思えなかった光をラビスは思い出す。
「関係あるかはわかりませんが、爆発があった後、森に入ったんです。
視界も閉ざす濃霧の中で、何か強い光が……霧の中でも輝いて。
それを目指したら、爆発があっただろう場所に着いたんです。」
濃霧の中でも月の光が鏡に反射して、というのも考えにくいが。
爆発の場所というのは、おそらくセルリアが関係しているはずなのだ。もしかしたらと話せば、セルリアは黙ってそれからの言葉を待っているように見える。
「でも、それ一度きりで。
今日改めて日が上ってから貴方を見つける前にそこへ行きましたが、爆発の穴があったくらいで、他には何もありませんでした……。」
ラビスさえ不自然に増えた爆発の穴に訳がわからないでいる。
だからこそちゃんと見たつもりだが、その周辺には地面が抉れたにも関わらず、小石のような欠片一つとして見当たらなかった。
「……ソコに案内して」
ようやく口を開いたセルリアは、自らの目で確める為だろう。ラビスにそこまでの案内を頼む。
「え……今からですか?
日も落ちますし、霧も濃くなります。野犬も出ますし、女性には危ない……!」
「問題ない」
ラビスは危険なこともよくわかっているのだ。
これから行くのはとセルリアに忠告するが、すぐに答えが帰ってくる辺りただ行く気なのだろう。
「わ、わかりました…!」
手掛かりになるかもしれない鏡。もしかしたらまた光れば、今度こそ見付けられるかもしれない。そんな期待も捨てきれず、ラビスも覚悟を決め。
ランプと銃、地図と方位磁石も持って、セルリアを連れて森へと入った。




