それぞれの思い 2
「まずは、セルリアさんに心を戻すことが先決かもしれないね。」
今でもピクリとも動かないセルリアの表情や態度。
心の全てを失っただろうセルリアに思い出してもらわなければ、愛もまた夢のまた夢の話だろう。
ジャルは居た堪れなそうな表情から、ふっと戻る。
「なぁ、それだけど。ほんとに……忘れたのか?」
ジャルが少し考えてから、疑問を口にする。
「え?だって……、」
その意味がわからずラビスは思う。忘れたでもなければ、心や食事なども、無くそうと思って無くせるものではないとして自分にある。
「親とかも知らねぇ。でも、覚えてることは覚えてるじゃねぇか。忘れたんじゃなくて最初からないってのはねぇのか?親に捨てられたなりで、感情もないままだったってことは?」
ジャルも言いたくもないと言った様子で、言葉に迷いながら綴るかのようだ。
「お前だってちゃんと家族が居てこの村出たことねぇから知らないだろうけど。親父の居る街なんかに出りゃ、金で物を買う社会だ。孤児とかだって……居るとこ居るんだぞ。」
ジャルの祖父と父親は、それぞれ街に住んで仕事をしている。ジャルも会いに行く時はある。
村と違って建物は天を覆うように伸び、有り余るくらいの物資がある。しかしそれらは全て金勘定で手に入れる他ない。
働いて金となって通貨を回して生きる。サイクルの中にいない者が裏路地などで貧しい思いをしている姿も視界の片隅で見ていた。
「セルリアさんが……?」
「いや、もしもの話だ。俺だってたまたま思ったんだよ。今。」
愕然とした様子のラビスは真正面に受け止めてしまっているようで、ジャルは可能性の話だと付け加える。
「もし、そうだったら……。見送るべきなのかな……?」
ラビスは今まで、セルリアが帰れればと思っていた。帰る場所があるのならそこが一番幸せだろうと、信じて疑わなかった。
呆然を見せる。
「はぁ?知らねぇよ。
けどどうせ面倒は見る気なんだろ?いる限り。」
何を今更、とジャルは呆れながらもラビスに言えば、ハッとしたように絶望すら覗かせていたラビスの顔が変わる。
「そう、だね。そう。ありがとう、ジャル。」
「底なしのお人好しが……。まぁそのうち、家に住ませることになるかもしれねぇしな。」
ジャルは挑発的に笑ってみせるが。
「その頃には、セルリアさんも笑ってくれてるね。きっと。」
ラビスは微笑ましそうに笑う。
「……お前だと嫌味が嫌味じゃなくなる。」
「え?嫌味?」
気が抜けたように溜め息を逃がすジャルに、ラビスは言われても気付いてないようだ。
「なんでもねーよ。つぅか、いくら夜まで一緒でも手ぇ出すなよ。抜け駆けすんなよ。」
「だっ、出さないよ!そんなの考えてもないってば!!」
「それはそれでどうかと思うけどな。」
「いや、ないから!!」
ラビスがわかりやすく顔を赤くして焦っている様子に、そんな度胸ないか……と密かに思ったジャルは、わざわざ牽制した自分に呆れた。
「もういいから、セルリアに一から説明なんかすんじゃねぇぞ!いいな!」
いろいろと話が広がったおかげか。ジャルの機嫌も落ち着いた。
一喝はされながらラビスも安心して家路につく。
「好き、か。セルリアさん美人だし、一目惚れもありえるよな。」
思わぬジャルの恋心を知り、ラビスはにこやかに考えつつすっかり暗くなった道を戻ると。
「……セルリアさん?」
家の中には誰も居なかった。
「セルリアさんっ!」
慌てながら家の中、風呂と探したが敷地内には居ない。
「そんな、どこに……っ!セルリアさん!」
ラビスは外も軽く探して見るが、霧も濃くなり始めている。すっかり暗くなった夜にどこに行ったというのか。
坂を上って来た中ではすれ違わなかったはずだが、その前に村に降りた可能性もある。
知っている所と言えばジャルの家だが、ラビスがついさっきまで居たのだ。そこに来ては居なかった。
ならば、アギアス。農家の元かと思い、坂を下ろうとした時だ。
すぐ脇の森の葉が鳴り始め、掻き分けるようにして確かにこちらに近付いてくる。
森には野犬や様々な動物も居る。
ラビスの心臓が怯えて不気味に脈うち、身を固める。
「戻ったのか。」
そう低めながらも艶を感じる女の声。
それと変わらずに森の雑草からセルリアが現れた。
「っ、セルリアさん!一人で森に!?野犬だって、居ること知ってるでしょう!?」
ラビスはセルリアへと駆け寄り、細い腕を掴んで責めるように言葉をかける。
「僕も、手伝うと言ったでしょう!一人で行かないで!いい!?また助けられる保証なんてないんだよ!?」
ラビスは顔を真っ青にして声を荒げる。
「お前は通っていたはずだ。一人で。」
「え……。」
セルリアはラビスへの返事を返すどころか、反論を見せる言葉を返す。
「生きることを感謝しながら、生きねばならないと言いながら。一人でその危険という場所に通っていただろう。また助けられる保証などないところへ。」
セルリアの言葉に、ラビスが顔色を変える。
「っ、でも、僕には護身のピストルも……!」
「当たったか?視界もロクにきかない場所で。」
ラビスはすっかり勢いを失い、言葉に詰まる。
いくら護身に持っていても、視界もきかない。腕を磨いている訳でもない。
銃声におののかせて逃げのびたか、まぐれで当てられたこともあった。
しかしその時には常に、死を覚悟していた。
「っ……!」
ラビスの脳裏によぎっていたのは、当然……先に旅立った家族の顔。かつての記憶の日々だった。
ラビスはセルリアの腕を掴んだ手からも、全身からも力が抜けて、その場に崩れるように座り込み頬に涙が落ちる。
「神に伝えたのは、礼か皮肉か。いやそもそも助けたのも、孤独に残す為の悪魔……」
「っ、それは、違う!!」
セルリアが淡々と語る中、次はラビスが声を張って遮る。
「確かに……追いたいという迷いも出てしまった。
だけど……!あの時僕が死んでいたら、母さんは……。散々心配かけて、初めて叩かれて……っでも、抱き締めて無事を喜んでくれたっ!
助けたのが貴女の言うような悪魔だったとしても、僕は……っ、感謝してる!
一人残される思いを、母さんにさせずに済んだんだ!
言えるのなら、本当に、感謝してるんだ……っ!」
ラビスは地面に涙の雨を降らす程に泣きながら、それはただ事実だと震える声で叫び。
言い終わる頃には地面に伏せるような様子をセルリアが見下ろす。
そこから身を倒して屈み、地面についたラビスの腕を掴んで力で引き上げる。
「聞いている。」
強い力に引かれたラビスは、そのまま上体を起こして膝下で立つまでに体を起こされ。涙で歪んだ視界で見上げれば、セルリアの長い黒髪が垂れ、そこに白い肌が浮くように映える。
それは……18年前。崖から落ちて気を失い、朧気に意識を取り戻したの中で見た人影のようなものと、ラビスの脳内でふと被っていた。
だが、何かが違った。
「早く立て」
「……っ、あ、うん……すみません……。」
ラビスは自分の足で立ち上がる。
流れ落ちる涙を拭って、土に触れた手や膝を軽く叩く。
「一緒に行けばいいのなら行く。通うのなら連れて行け。ただ、半端な祈りなど聞きたくない。」
セルリアはそう残すようにして、ラビスの家の方向へと足を向けて歩き出す。
ラビスは長い髪を揺らして歩く女の後ろ姿を魅入るように視線が追っていた。
手元でグッと拳を握り、足を出して家に向かうセルリアへと追い付く。
「もう半端な祈りにはしません。」
そう宣誓して後に付いた。




