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不思議な体験をした少年

善良な者は天へと昇り。

不良な者は地へと堕ちる。


それは幼児から老人まで、知らぬ者の居ないこの世の一説。

果たしてその後の行き先とは……。


これは地に堕ちた1人の悪魔と出逢う物語。


夜も遅く、深夜の闇に包まれた森の中。

視界を更に曇らせる霧に覆われながら、激しく靴底で地面を叩き、デコボコな地面、絡まるように伸びた草を踏みながら小さな体を目一杯に動かし走る影。


どこまでいっても視界が白い。

すぐ至近距離ならばかろうじて伺えるが、ほんの少し踏み外せば周りを囲むように続く太い幹の数々に衝突するだろう獣道。


生い茂る草や、それに隠れた強い根に足を取られながら、少年は必死で走る。



「っ…!」



視界も悪く振り返ることも出来ないが、確かに後ろで草の中を蠢くような音が、その少年に向かって近付き、迫っているのが嫌でも耳に響いてくる。


恐怖に涙する引きつる喉では荒れた息も処理しきれずともひたすら走る。

しかし無情にも距離は縮み。そこからは、草のザワつきの合間に獣の息遣いと呻き声が聞こえる。


少年が追われているのは、野犬の類いだった。頑張って走ったところで、引き離すことは無理だろう。

それでも一心で逃げていた少年。それがふと視界が開け、無条件で森から出たと思った瞬間だった。


直感で違和感を感じて咄嗟に足を止めたが、すぐに止まれるはずもなく、次には体が傾いて、視界がただ真っ白な闇へと変わる。

そこは森の終わり。渓谷となっている深い崖だった。



「う、わぁあ…っ!」



少年の体は地を失い、宙に放り出され。

反射的に腕を伸ばすと、岸壁を突き破った木の根にすがりつくように捕まった。


体の支えなどなく宙に揺れ、渓谷を吹き抜ける風が不気味に唸る。

唯一の頼りは自分の腕。しかし恐怖に震える手では、今にも離れてしまいそうだった。



「っ、母さん…っ!」



ふと口に出たのは、今となっては唯一の家族となった母親の呼び名だった。

弟は産まれて数ヶ月で病死、父親は昨年に不運な事故で亡くし、今は母親と2人暮らし。


口に出たその言葉に、母親の存在を思う。

子を亡くし、夫を亡くした母親もまた、その少年だけが残った家族。


少年は震える手に必死に力を込めて、這い上がろうと手を伸ばして、幸いにも近かった地面の終わりの淵を見上げて、木の根を伝って上る。


そして、あと一歩。

目一杯手を伸ばすと、口を大きく開けた野犬が顔を出して、咄嗟に手を引く。

木の根から手が滑った。



「っう、わぁああ…っ!」



今度こそ少年の体は何もない宙に放り出され、木の根を目にして手を伸ばして掴む動作をするも、それは遥か遠い。

少年は涙で歪んだ瞳で、浮遊さえしているようなスローモーションのように見ながら、すぐに真っ暗になった。



……


どれだけ経ったのか、何があったのか。

それすらもわからない少年がまだ虚ろでボヤけながらも目を開けると、何かの影に覆われていた。


黒い長いものの中に映える白い輪郭のようなものと、その一部、黒い瞳孔をこちらに向けているのがよくわかる薄い色素の目のようなものに見えながら。

少年の意識は再び闇へと落ちた。




ーーー



それから、18年もの月日が流れた。



「いってきます。」



一人の青年が見渡しきれる程度の古びた木造小屋の片隅で、小柄のテーブル型の棚に置かれた一枚の写真に手を合わせて一礼する。


そこには赤ん坊を抱えた母親だろう女、その隣には父親だろう男。そして手前に3歳くらいの少年が映った、古びた家族写真のようだった。

青年はそっとその場を立つと、小屋を出ていった。



名はラビス・グレイル。

歳は23。

元々の暗めなブロンドを短髪にし、大人しそうで、穏やかそうな面構え。

服装の繋ぎの生地の色は霞み気味で、落ちない土汚れの色が染み付いている作業着を着て。

真面目な好青年と表せるだろう人物だった。



その青年はかつて、暮らす村の森の奥深く、渓谷となっている崖から転落したにも関わらず、ほぼ無傷で200mは下にある川沿いに倒れていただけという不思議な経験を持ち、少し名も広まった少年が成長した姿だった。


ラビスはあれから唯一の家族であった母親も10年程前に亡くした。

1人になっても彼は挫ける事なく、心優しい青年に育っていた。


山の上、高台にある家から少々急な一本道を下ること20分で居住区域という不便な場所に住んでいるが、親が買ったその家から越そうと考えたこともなく。

母親が亡くなった13の頃から、こうして毎日のように村へと降りて、仕事や買い出しなどに行き来して生きていた。



その村は、ほんの小さな農村のような場所である。

昔ながらの水車付の母家がほとんどで、農業が盛んな田舎。

食物から家畜から、全て村民達が管理しながら暮らし、村全体での自給自足。

報酬が食物ということもよくある。


空気も澄み、水も美しく日に煌めいて川魚が遊泳する姿も透ける。

自然と共有しているような村だ。



「あら、ラビス。毎日ご苦労様ね。」



ラビスが今日も平和な街を進んでいると、牛乳や野菜などを積んだ小型の荷車を押す老婆と会う。

ラビスの道のりを知ってだろう、声をかける。



「ティスさん、無茶しちゃダメじゃないですか、また腰を痛めますよ。

お家までですか?」



「あらあら、ありがとうね、」



ラビスは老婆から荷車を変わって隣を歩き、荷車から家の入り口までも運ぶのを手伝うと、エプロンをした中年の女がそれに気付いて寄ってくる。



「あら、ごめんなさいね!もう、一人で黙って行っちゃうんだから。

ジャル!運ぶの手伝ってちょうだい!」



その女が家の奥に向かって声を上げるが、



「はぁ?やだよ~。」



返って来たのはまったくやる気なんかない、そんな若そうな男の声だった。



「まったくあの子は……!」



「あはは、これくらい僕一人で大丈夫ですよ。」



「いつもありがとうね、ラビス。」



こんなことは何度もあり、ラビスも慣れたように玄関口へと食材を運んだ。



「これからまた手伝いかい?働き者だねぇ。」



「そんなことは。」



これから仕事の手伝いに行くラビスへ、再び老婆が話かける。

それにラビスは穏やかな笑みで返す。



「帰りに寄っておくれ、お礼に少しだけど持ってっておくれよ。」



「いえ、そんな!すぐそこでしたし、もらいっぱなしです!」



今渡してもちょっと家に置いてくる、とはいかない。

老婆が気遣いながら言えば、ラビスは遠慮する。



「もらっておくれよ。またこんな時はお願いね。」



「もう、また一人で出ようとするんだから……。

ラビス、持ってってちょうだいよ。」



老婆のまた一人で買い物に行くだろう発言には苦笑いだが、淑女にも勧められ。



「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます。ごちそうさまです。」



ラビスはありがたくもらうことにして、軽く頭を下げる。



「ん。いってらっしゃいね。」



「はい、いってきます!」



まるで息子や孫のように送られて、ラビスは笑みを残して先を目指した。



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