画期的な発明
あなたの目の前に一人の狂人が駆けてくる。
「画期的な発明をした。こっちを見てくれるか?」
彼女は狂っていたが元々は偉大な研究者であることをあなたは知っていた。
そんな彼女がしきりに「こっちだ。こっち」と一方向を指差す。
そちらを見れば一人の男が猿轡をされた上で十字架に張り付けられていた。
「見えるか? あの男が実験対象だ」
彼女は子供のようにはしゃぎながら、あなたの先を数歩歩く。
「いいかい? 先に言ってしまえばあの男は死ぬ」
その言葉が聞こえているのだろうか。
十字架に拘束された男が必死に体を動かしていたが、その様子は原住民に捕まった獣が逃げられもしないのに暴れているようにしか見えず、実に滑稽な様だった。
それを知ってか知らずか彼女はあなたの肩を叩いて言った。
「嫌だったらやらなくていい。いつでも止めていい。今、ここでだってね」
まさか止めたりしないよね? 彼女はそんな問いを含んだ眼差しをしばらくあなたに向けていたが、やがて微笑んで説明を始めた。
「いいかい? あの男は君が何かをする度に死へ向かっていくんだ」
男が何かを大声で叫んだ。
しかし、それが何を意味するものかはあなたは分からない。
「気にするな。彼は極悪人だ。こんな状況になっても同情できないようなね。だから、君は安心してそれをしてほしい」
そんな言葉が聞こえたのか男はなおも叫び続ける。
その叫び以外の音が全て消失してしまったと錯覚するほどに耳が痛む声。
事実、彼女は両耳を塞いで顔も顰めていた。
「あぁ、本当にうるさいったらない。今更暴れてどうするんだか……」
彼女の口は良く回るがそこから音が聞こえることはなかった。
「実験を進めるよ。悪いね、こんな音さえも聞こえない状況で。だけど、私としても研究成果を早く見たいんだ」
そう言って彼女はあなたに対して微笑みながら告げる。
「今一度、君に伝えておこう。君は嫌なら止めてもらっても構わない。だが、続けていいならこのまま続けてほしい」
彼女は言葉を切ると一歩、男の方へ踏み出す。
「始めの一歩だ」
男の悲鳴がさらに激しくなる。
「止めなくていいかい?」
両耳を塞いだまま彼女は振り返って微笑む。
まさか止めたりしないよね? とでも言いたげに。
「それじゃ、二歩目だ」
男は頭を何度も振り動かして十字架にぶつけた。
それは威嚇か。あるいは懇願か。
いずれにせよ、言葉を形として捉える事が出来ないほど悲鳴にまみれたこの空間では何の意味も持たない。
「よし。ここまではOK。 次で決定的に変わるが、君はそれでもいいかい? 嫌ならここで止めてくれ」
彼女はあなたへ問いかけるが、反応を返さないあなたを見て微笑んだ。
「ありがとう。実験は終わりだ」
あなたが彼女の言葉を読み取った直後には男はもう死んでいた。
「成功だ!」
彼女はそう言って大はしゃぎで男の身体に触れる。
「うん。脈もないし、瞳孔も開いている! 完璧だ!」
ひとしきりはしゃいだ彼女はあなたの方を向いて言った。
「ありがとう! あなたのお陰で成功したよ! まさか、本当に文章を読み進めてもらうだけで人を殺すことが出来るなんて……いや、出来るとは思っていたけど実際に目にしてみると感無量だね!」
はしゃぎ続ける彼女と物言わぬ亡骸である男を見つめながらあなたは呆然と立ち尽くすばかりだった。
そんなあなたの心情を察したのか彼女は言った。
「あぁ、もし良心が痛むなら読み戻せばいいよ。そうすれば彼は生き返る。生き返るというか、少なくとも死んではいない状態になるからね……まぁ、あなたがこの男を殺したっていう事実は変わらないけれど」
そう言った後、彼女は意地の悪い笑みを浮かべた。
「だから、私は止めなくて良いかい? って聞いたんだよ」
文字が形成する世界の中、彼女はあなたを見つめながら微笑んでいた。