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――。目覚め。それなりにいい気分だった。眠気を覚ましに洗面台へ向かう。冷たい水で夢まで流されていく。寝ぐせを直して学校の準備。いつも通りの朝。空を泳ぐ白い雲。心地よい風を感じながら通学路を歩む。桜が肩に乗る季節。
慣れ始めた道を通り、校門前に到着する。
県立魔術高校、日本初にして唯一の魔術を扱う高校。訳あって勧められた学校。
魔術を扱うといってもここではまだ大したことは習ってないけれど。
まだ真新しさの残る上履きに履き替え教室へ向かう。
「おはよう憐奈ー」
「あ、うんおはよう」
「ねえねえ聞いた?今日転校生来るらしいよ」
「転校生……」
「どんな子かなぁ、そもそも男子か?それとも女子かなぁ?」
「そんな楽しみなの?」
「え~憐奈は楽しみじゃないの?転校生だよ?」
「いやだってまだ入学したばっかだし」
「わかってないなぁ、転校生っていうのは転校生ってだけで注目を集める存在になるの」
「はあ……」
「転校して初めて入る教室、不安でいっぱいの胸、向けられる目線……あがり症と陰キャには地獄……」
「なんで落ちちゃったの、テンション上げてこ」
「ま、とにかく転校生は学校生活においてそれなりにビックなイベントなのよ」
「ふぅん……」
ホームルームの開始を告げる鐘と共に先生が入ってくる。
「はーいみんな座ってー。既に知ってる人もいると思うけど、今日からこのクラスに転校生がきます。さ、入って」
白い髪を揺らしながら入室する彼女の表情は、どこか嬉しそうで、不安などどこにもないような微笑みだった。
視界に咲く一輪の華は、すべての色を奪ったように輝き、視線を引き付けた。
「初めまして、宇賀神 凛華です。よろしくお願いします」
開いた口が塞がらないとはまさにこういうことなのだろう。理解するまでにどれほど時間が経ったのだろうか。教室を見回す彼女と目が合う。花開くような微笑みを向ける彼女はクラスの視線を離さなかった。
「席は一番後ろのあそこね」
「はい」
列の間を通る彼女を皆が目で追っている。
ホームルームが終わると彼女の席には人だかりができていた。
「ほら見ろ注目の的よ」
「あぁ、うん、そだね。それよりあっち行かなくていいの?」
「行ってほしいの?」
「……別に」
「んもう素直じゃないなーほれほれ」
「撫でるなにやけるな」
「素直じゃないのはこの口かー?」
「やーめーろー」
「お、あいさつ回りだぞ」
「これからよろしくね。えーっと、華菜さんだっけ」
「……」
「……私の名前は結だよ?」
「あ、ごめん。まだ覚えられてなくて」
「……」
「いいよいいよ、ゆっくり覚えてこ。あ、そうだ、なんて呼んだらいいかな」
「凛でも凛華でも、好きなように呼んで」
「おっけー」
「……」
「おはよ、憐奈」
「あ、はい、おはようございます……えっと……」
「凛でいいよ」
「凛さん」
「ふふ、それじゃ、またあとでね」
「……」
「相変わらずだねぇ」
「いや、だって……」
「だって?」
「……なんでもない」
「なぁんだよぉ、言えよぉ」
「いやぁ……」
「なんなのさ、一目惚れでもされたの?」
「ちが……」
言いかけて止める。
「その、えっと……」
どこか不機嫌そうな眼差しを向けられ言いずらそうに話し始めた。
「り……あの人とは、その、同棲……してて……」
「同棲」
「うん……」
「ふーん……それで?」
「えっと、その、去年の8月から一緒に暮らしてます……」
「どういう関係?恋人?好きなの?付き合ってるの?」
「ちが、ちがうから……」
僅かな罪悪感もろとも否定した。
「で、なんで一緒に暮らしてんの?」
「それは……お母さんが死んじゃって、引き取り手がいなかったところに『一緒に暮らそう』って」
「……?あぁ、そういう……でも、急に現れた人に一緒に暮らそうとか言われてもホイホイ付いてくものじゃなくない?」
「あの人は、特別だから」
「へぇ……?」
「そんな顔しないで、悪い人じゃないのは分かってるから。」
「その人と何があったのさ」
「小さい時、助けてもらったことがあって、命の恩人、みたいな」
「小さい時っていつ?」
「えっと、五歳のとき。だから十年前だっけ、ショッピングモールで大きい事件があったの知ってる?」
「あー、あった……っけ?」
「あったの。その日、私はそこにいたんだよ。家族と。」
「てことは……」
「うん。細かいことはあんま覚えてないけど、確かにあの日、あの人に助けられた。まあそれからしばらく関わりはなかったけど。でさっき言った通り、去年の七月、夏休み前にまた会ったの。」
六限の終わりを告げるチャイムが鳴る。
「終わった~」
「だね」
「あ、そだ、今日時間ある?」
「あるけど」
「レタバの新しいやつでたから飲みに行こうよ」
「あー……」
行ったことないからよく知らないけどなんかなぁ。そんなことを思いながら逸らした目で彼女を見てしまった。視線に気づいたのかこちら向いた彼女は、ほんの僅かな静止のあと微笑んだ。
「あ、そうだ!凛華も誘おうよ」
「りん……うん。そうだね」
「よーし今日はレタバで親睦会だぁ!誘ってくるね!」
「あ、うん……」
「それで、なんで凛華はこの学校に来たの?」
注文した品を持ってきた結は問いかけた。
「少しは憐奈から聞いてるんだね。守秘義務があるからあんまり言えないけど、簡単に言えば監督みたいなものだよ」
「監督?」
「それは……私たちを監督するってことですか?」
今まではあまり気にしていなかったモノが突然知りたくなってしまった。
「そう。でもそれは生徒だけじゃなくて、学校全体。つまりは教師の人たちも対象だよ」
「だから生徒として……ってことなんだ」
「……まあ、そうだねぇ」
彼女は私を見ながら答えた。
「ふーん、そっかぁ。凛華は、えーっとなんだっけ」
「武警?」
「そうそれ。そのブケイってやつでは普段何をしてるの?けっこう偉い人?」
「自分で言うのもなんだけど、それなりにいいとこだよ」
「それなり……」
師団長の地位は”それなり”なのだろうか、などと考えるのは野暮なのだろう。そもそも師団長程の地位の人間がこんなところにいていいはずがない。なぜこんなところにいられるのだろうか、たとえ聞いても守秘義務で教えられないだろう。
「でもさぁ、生徒は先生の事あんま知らないよ?」
「ちゃんと先生側にもいるから大丈夫だよ」
「監視って何するの?」
「監視は監視だよ。それ以上は言えないかなぁ」
「じゃあさじゃあさ、凛華は憐奈とどういう関係なの?」
結は身を乗り出すようにして問いかけた。
「うーん、さっき憐奈が言ってたのがほぼ全てだけど、強いていうなら……」
「言うなら?」
彼女は私の事をどう思っているのだろうか、今まで避けていた話題に切り込むのは不安だけど、興味はある。
「強いていうなら、家族……かな」
「カゾク」
「そう、家族」
そっか、家族か。よかった。
「そっかぁ、家族かぁ」
結は遠くを見るような目で天井を見上げた。
家族かぁ。家族……家族……家族なんだ。
だんだんと体が火照っていくのを感じた。こんなにうれしくなるんだね。
「あ、そうだ、ずっと私が聞いてるのもアレだし、凛華はなんか気になることとかない?」
結は私の額に手を当てながら尋ねた。なんでだろう。
「そうだなぁ、結はどうして憐奈と友達になってくれたの?」
「え。えーっと、そのぉ……運命、かな」
「運命?」
「お、大げさじゃない……?」
「そんなことないって。名簿を見た時確かにびびっと来たよ!これは運命だって!」
「えぇ……」
そこまで言われると悪い気はしないけど、ちょっと恥ずかしいかも。
「そっかぁ、運命かぁ。じゃあ憐奈の事、大切なんだね」
「もっちろん!」
彼女は嬉しそうに話す結を優しく見つめていた。