伸びしろ
『ピリリリリリ!!!』
ピットインしてくるマシンがいることを示すサイレンが、ピットに鳴り響いた。
「瀬名くんは最高の仕事をしてきた。さあ、我々も最高の仕事で応えようじゃないか!!!」
「「「オウ!!!」」」
無線ブースを飛び出して、優次がピットクルーに号令をかける。
「インパクトドライバー用意!」
「給油班準備完了です!!」
「スペアのナット持ったか!?」
徐々に白とオレンジのマシンが近づいてくる。
『リミッター・オン、最高速度60キロに設定。ピット入ります。』
瀬名の声が、無線に乗って聞こえてきた。
クルーの準備は既に完了している。
「正治くん!」
「支度は出来てます。心配しないでください、トップを走るのは慣れっこですから。」
レーシンググローブを装着し、正治は返答する。
「さァ…来たぞ…!!!」
27号車が自チームのガレージ前へ到達する。
「エアジャッキ入ります!」
1トンの重量を持つ車体が宙に浮く。
瀬名はシートベルトを外し、共に熱い戦いを演じたマシンに別れを告げる。
「正治さん、後は頼みます…!」
「瀬名くんもようやるわホントに。任せとけ」
グータッチを交わし、正治は車内へ。
全精力を使い果たした瀬名はへなへなと後ろへ倒れかけてしまう。
それを二人のピットクルーが支え、ガレージの奥へと連れて行く。
『ギュゥアッ!!!』とインパクトドライバーの音がこだまする。
給油が終わり、タイヤ交換が始まった。
松田優次の現役時代、共に戦った歴戦のクルーが多数所属するチームレンペル。
いぶし銀のピットパフォーマンスを発揮し、マシンをコースへ送り出す。
「みんな、よくやってくれた。このレース、もしかするともしかするかもしれないぞ…!」
ハァ…ハァ…ハァ…。
フゥ…。
瀬名の息遣いが、彼自身の耳の中に響く。
ヘルメットのシールドを上げることもせず、全体重を椅子に委ねる。
こんなに…これほどまでに体力を消耗するものなのか。
F4でのスプリントレースに慣れた身体には、少々オーバーワークとなってしまったようだ。
次第に、意識が遠のいていく。
自分のヘルメットをコンコンと叩く音で目が覚めた。
ゆっくり目を開けると、そこにいたのは優次でも正治でもなかった。
「ヘルメット、脱ぎなよ。sennaさん。」
声も、顔も、覚えがある。
煩わしい兜のロックをプチッと外し、ゆっくりと頭を解放していく。
瀬名の汗でびっしょり濡れた髪は、シャワー後のように落ち着いて垂れ下がっている。
「お疲れ…様です…。」
半開きの眠そうな目で憧れを見据える。
「富岡さん…。」
「びっくりしたよ。まさかこっちに参戦してるなんてね。」
富岡は瀬名に向かって手を差し伸べる。
「立てるかい?少し歩きながら話をしよう」
「レンペルのGT-R、ゲームと比べてどうだい?」
「同じ…とは言い難いですね。」
時折ピット奥の通路までも、マシンの奏でる轟音が聞こえてくる。
「ハハハッ。それはそうだろうさ…私もそうだった。」
しみじみと足元を見ながら、手を後ろに組み話す。
「ゲーマーが行ける最高到達点は、GT300だと言われていた。まだ『通常の物理法則』が通用するからだ。」
市販車やGT300以下のレースカーに干渉してくる空気抵抗やスピード。
それらはGT500から上のマシンとは到底比較できないほど、微量なものだと言い切ってしまって構わないだろう。
「我々がいるこの位置、ここからは別の世界になっている。木の葉1枚が凶器に変わるような…そんな世界だ。」
最高時速が300を数えたとき、この世のあらゆるものが自分に牙をむいてくる。
「わずか1センチ四方のデブリ、タイヤカス、タービュランス。それら全てが死因になりうる。」
一つ一つ指を立て、数える。
「だが、それを恐れないのがゲーマーだ。なぜか?知らないからだよ。ゲームの中では死んだことがないからな。」
「でも、それは…」
「ああ。…これは短所ではない。」
三本指を立てていた手を固く握り込む。
「死を恐れずに攻めていけるというのは、レーサーにおいてとても大きな長所となる。」
横を歩く瀬名に指を差す。
「まさに、sennaさん。あなたがオープニングラップに見せたブレーキングだよ。」
「いや、アレはお恥ずかしい所をお見せしました…。」
「…私は。」
瀬名を指差していた手を自分の胸の前に持ってくる。
「私はGT500のデビュー戦、大きなミスはしなかった。」
目線をそちらに向けながら、両手を握ったり開いたりしてみる。
「でも、勝てなかった。攻められなかったんだ。」
「…!」
瀬名は、富岡のGT500でのデビュー戦を現地で目撃している。
その時は琢磨と、グランドスタンドから見ている一般客だった。
そしてその場所は、丁度ここ。
岡山国際サーキットだった。
「あなたのブレーキングは確かに雑だったかもしれない。でもね。」
顔を上げ、しっかりと前を見据える。
「レーサーとしての伸びしろ、才能は…私なんかよりも大いにあると言っていいと思うよ。」