きっかけ
鮮やかな青と朱色が、岡山の地を亜音速で駆け抜けていく。
ペースはどんどん上がる一方だが、レースが進むにつれて路面の熱にさらされたタイヤが悲鳴を上げ始める。
周回数は20周を数え、前半スティントの折り返し地点を過ぎた。
刻一刻とグリップが落ちていく。
いつ、どちらが崩れていてもおかしくない限界領域でのバトルはまだ続く。
「引き離せない…ゲームでもペースは私の方が上だった。ましてやリアルでの経験もあるというのに…なぜまだそこにいる…!!!」
「気合と根性…と言うのは少々強引かなァ…そう、いわばこれは…!」
模倣。
瀬名の特技の1つでもある、先行する相手の動きをトレースする動き。
ゲーム時代から瀬名は格上のゴーストを具現化して追いかけてきた。
これができているうちは、引き離されることはない。
しかし。
「流石の安定感だ、富岡さん。一向にミスをする気配がないな…!」
問題はそこである。
トレースしているうちは迂闊に動くとペースを乱し、手の届かないところまで置いていかれかねない。
すなわち、自分から仕掛けることは不可能。
これまた瀬名の武器であるアグレッシブさを欠くことになってしまう。
ただ、ひたすらプレッシャーをかけながら相手のミスを待つのみ。
単純なようだが、非常にフラストレーションが溜まる行為。
なにかのきっかけで、こちらも相手も乱しかねない。
そしてその『きっかけ』は、もう眼前まで迫っている。
32周目、トップの2台がGT300の後方集団に再び追いつく。
二度目の周回遅れ、トップはどう処理するか。
GT300最後尾とGT500トップグループが接近。
完全に追いついたのはホームストレートであったため、特に問題なくオーバーテイクに成功。
しかし、残りは24台も残っている。
コースを一周する間に5台前後ずつ抜いていかなければならない。
それは各コーナー、そのコーナーを繋ぐストレート。
様々な場所での接敵を考慮していく必要がある。
一台、また一台とスラローム走行をするようにしてGT300を躱していく2台。
そして、何かの因果か。
事はまた、バックストレートで起こる。
バックストレート前で1台のGT300車両をオーバーテイクしたGT500トップ勢。
ストレートへ向けて加速していく。
前には小さくではあるものの、もう1台のGT300車両が見える。
恐らくこのストレートが終わり、直後のコーナーを曲がる頃には追いつくだろう。
ギアを3、4、5と上げ、順調に速度が高まっていく。
素のマシン性能に加えてスリップストリームの恩恵を受けた瀬名が内側に飛び込んでくる事態を避けるため、富岡は次のコーナーでインを取れるようにマシンを移動させた。
ストレートも後半に差し掛かったころ。
富岡は瀬名の動向を探るためバックミラーをチラリと見る。
「…いない…?」
いない。
27号車がいない。
先程までピッタリと後ろに張り付き、ラインをトレースしていた瀬名がいない。
まさか。
ブレーキングポイントに到達。
両車ブレーキを開始。
ストレートスピードが速い分、瀬名のマシンが少しずつ前に出てくる。
そう、瀬名が仕掛けたのは内側からではない。
「…外からだと…!?」
サイドミラーを介する必要はなかった。
左の窓ガラス越しに、直接27号車の姿が見える。
「…だが、このヘアピンコーナーは右。外側から仕掛けたところで、抜ける道理は一切…」
前を向き直る。すると。
今、富岡は全て理解した。
瀬名がなぜ、こんな無茶な追い抜きを仕掛けてきたのかを。
富岡の目の前に陣取っているのは、先ほど小さく見えていた次なるGT300のマシン。
そしてそのマシンは、コーナーを曲がる真っ最中でインコースに両手を広げて寝転んでいる。
当然、GT500である富岡のマシンの方がコーナリングスピードも速い。
現在、このコーナーの内側には、クルマ一台分の壁ができているのと同義だ。
要するに、詰まってしまうわけだ。
そして、空いた外側のスペースを大いに活用し、富岡を外側に逃がすことを許すまいと覆いかぶさってくるマシンがある。
27号車、伏見瀬名である。
行き場をなくし、減速する1号車の横を外側から悠々と追い抜かしていく。
SUPER GTにおいてヘアピンカーブでの追い抜き方法は、なにも内側を差すことだけではない。
こうした、GT300を利用したオーバーテイクも存在するということを忘れてはならない。
「上手くいった。ご協力ありがとうGT300の人。」
昨年王者に対してのこの大立ち回り。
昨今、伏見瀬名が密かに『天才』と呼ばれ始めている所以の1つだろう。
「ボクは昔からそう思ってましたがね。ええ。」
トップツーの順位が入れ替わった。
残り周回数は現在の周回を入れて8周。
抑えきれない距離ではない。
「良いようにやられちゃってるなぁ…私はプライドなんて持ったことないと思っていたが、これは少し心のどこかが傷ついた気がする。」
単独走行時のペースでは確実に富岡が上。
瀬名は動きをトレースする先導者がいなくなったため、彼本来の速度に戻る。
ただし、瀬名は後続をブロックする技術にも磨きをかけていた。
そこにGT-Rの強みであるストレートスピードが合わさり、ちょっとやそっとのスリップストリームではもう一度仕掛けるところまで至らない。
結果として瀬名は前半の41周をトップで抑えきり、ピットへ帰ってくる。