燃える男
『無線チェック、無線チェック。』
「バッチリ聞こえてます。」
『OK。じゃあ開幕戦、頑張っていきましょー。』
グリッドにつき、スタートの時を待つ。
「なんか前に人がこんなにいるの久しぶりですわ。緊張する」
『贅沢な悩みだね…』
この一年、3台以上のテールを拝むことはそうそうなかった瀬名。
自分はチャレンジャーなんだと再確認する。
『表彰台を取れとか、難しいことは言わない。まずは無事に帰ってきてね。』
「Copy。でも前は積極的に狙っていきますよ。」
スタート5分前のプラカードが掲げられる。
瀬名は切っていたエンジンを点火。
キュルッキュッキュッ…
ヴォオン…!!!
「いいね。この音、昔から好きなんだよ」
エンジン回転数と共にドライバーのテンションも上がっていく。
ヴァァァアッッ!!!
レッドゾーンまで一気にぶん回す。
「ふー、たまんねぇ」
『瀬名くん、今日は問題ないけど燃費がギリギリになるレースの時はそれヤメてね』
いつかと同じ注意をされる。
でも、レースカーのエンジンを限界まで回転させるのは途方もなく気持ちのいい行為だろう。
『ピットインのタイミングになったら指示するから、それまでは心置きなく全開で飛ばしていいよ。もちろん、ミスらない範囲でね。』
優次からの『好きに暴れていい』という言葉をもらった。
この時点で、瀬名に理性はほとんど残っていない。
ただひたすらに爆速で走るレースジャンキーである。
『事故らないでね。フリじゃないからね。』
無線にも瀬名の荒い息遣いが聞こえていたのか、急いで安全運転を強調する。
「安心してください。俺、生涯でリタイアしたことないので。」
『フラグに聞こえるんだよなぁ…』
フォーメーションラップが始まった。
全車ハンドルを左右に振り、ウィービングをする。
レースファンからすると、この光景は戦いの始まりを意味する。
F4のそれよりも圧倒的に多い観客の、ボルテージが次第に上がっていくのを感じる。
「いよいよだ…瀬名さんの戦いが始まる…!」
「5番手スタート、いいポジションだ。」
「あの子のことだから何かしらやらかす…と、私は思っている。その『やらかし』が、いい方向であることを願うばかりだ…。」
グランドスタンドの上からは、先ほどまでコース上で戦っていたStarTailの一行も見守っている。
普段は冷静沈着な稔も、口数を減らして固唾をのむ。
わが子が挑むSUPER GTの初陣、流石に緊張もするようだ。
『セーフティーカーが入った。リミッターが入っていないか確認して。』
SUPER GTなど、いくつかの大会ではピットに入るときなど、徐行が求められる時に使用するリミッターが搭載されている。
「リミッター、オフ。Fuel Map・1。出力最大。」
状況によっては燃料を絞る燃料マップを使用し、燃費走行を図ることがある。
数字が大きくなるほどパワーが落ち、燃費が良くなる。
『さあ、集中しよう。シグナルをよく見て。』
SUPER GTはF4のグリッドスタートと違い、走行しながらレースが開始される『ローリングスタート』が採用されている。
グリッドスタートよりもラフなアクセル操作が許されるが、マシンによっては加速力の差が露呈しやすい。
全てのドライバーが一つ一つ点いていくシグナルを見つめる。
赤い光が、全ての丸いライトに灯る。
オールレッド。
そして。
「さぁ、始まりだ。」
ブラックアウト。
レースが始まった。
弾丸のように1コーナーへ飛び込んでいく15台のGT500マシンたち。
そしてその後ろに、25台のGT300マシンが続く。
団子状態で1コーナーへ突っ込んだGT300クラスのトップグループで接触が起こった。
数台がそれに巻き込まれたことでいきなりイエローフラッグが出る。
しかし、幸いにも大きな事故にはならず。
パーツやデブリが飛ぶこともなかった。
それを確認したコースオフィシャルはイエローフラッグを解除。
バックストレートに差し掛かっていたGT500クラスの先頭集団は、一気に加速していく。
上位4台のマシンはいずれもレクサスRCF、およびホンダNSXであった。
瀬名のドライブするGT-Rには直線速度では劣る。
縦に並んでいた5台の車列から、最後尾の一台が横に逸れる。
ストレートでの優位性を最大限に発揮しようと、他車に比べてダウンフォースを低めに設定していたチームレンペル。
その設定が、早くも武器となる。
他の4台よりも5キロ…いや、10キロほど速い速度で2台を一気に抜き去る。
『GT500にはABSがついていない。ブレーキは慎重に。』
ABS、アンチロックブレーキシステム。
過度なハードブレーキング時のタイヤロックを防ぐ装置だ。
ABS無しでロックしないギリギリの領域でブレーキを踏むには、超人的なペダル操作が必要となる。
「さて、全開ブレーキしかしてこなかったsennaさんにそれが出来るかな…?」
トップを走る富岡は、バックミラーをチラリと見て車列から逸れたレンペルGT-Rを目で追う。
「ブレーキングポイントはここでいいはずだ!止まれ…ッ!!!」
瀬名は自分なりの感覚でロックしないレベルのブレーキングをしたつもりだった。
しかし。
通常では踏み込むのがやっとであるほど重いブレーキペダルが、一気に軽くなる。
スコン、と音がするほどあっさりとブレーキは奥に逃げ、タイヤは無情にも回転を止めた。
瀬名のマシンの前輪は、白煙を噴き上げ一直線に進む。
ロックしたタイヤでは、ハンドル操作も効かない。
「やっぱり…彼か。もう少しうまく走ると思ってたんだが…でも。」
27号車、レンペルGT-Rは制御を失い、トップを走る1号車、AMT RCFへ真っすぐ突っ込んでくる。
「マズい…当たる…ッ!!!」
瀬名は目を閉じ、衝撃を殺す体制を取る。
富岡の目線に、瀬名の顔が一瞬交錯する。
その表情を見て、富岡はニヤリと笑い。
「いいね。」
富岡は27号車と接触する寸前、アクセルをいきなり全開にし、強制的にホイールスピンを発生させる。
1号車は横を向き、ドリフトのような態勢に。
まるで生き物のように1号車が27号車の突撃をひらりと躱したように見える。
そのまま瀬名のマシンは先ほどまで1号車のテールがあったところを通過し、コース脇のグラベルに突っ込んでいった。
富岡の奇跡のような回避術で、接触事故は避けられた。
しかし、瀬名はコースアウト。順位を大幅に落とす。
『体は大丈夫?だから無理するなって…』
その無線が入る頃には、瀬名はマシンを反転させて猛追を開始していた。
「マシンも体も問題なしです…!」
現在の順位は10位まで落ちた。
『…ペースが落ちてない。瀬名くん、まだ攻めるつもりか?』
「当たり前ですよ。」
しかし、まだオープニングラップ。
まだ彼の出番は40周ある。
『頼むから無茶は…』
「分かってますって。要するに…」
この男。
「勝てばいいだけの話でしょう?」
失敗で燃えるタイプにつき。