シムレーサー
『このコースを速く走るうえで重要なのは、丁寧なペダル操作ですね。ま、私も苦手なんですけど。』
伏見家のパソコンから、声が聞こえてくる。
画面右側にはコメントが流れ、左下のワイプでハンドルコントローラーを操作する人物が映し出されている。
同時接続数はおよそ200。
チャンネル登録者数5万人を抱える日本一のシムレーサー、富岡祐介。
「よく言うよ。俺より1秒近く速いタイム叩き出しておいてさ…」
配信界隈では、この数字はトップレベルとは言い難い。
しかし、レースゲームやモータースポーツを主としたチャンネルの中では上澄みレベルと言って差し支えないだろう。
そして、このあたりの同接数が『配信者とコミュニケーションを取れる限界』の域である。
同接が500や1000まで行ってしまうと、挨拶すら読んでもらえない。
『お、senna_0501さんいらっしゃい。お久しぶりじゃないですか?忙しかったんかな』
F4のオンシーズンの間、瀬名は配信に顔を出すことはなかったが、それまでは毎度のようにコメントを残していた。
富岡は走りながらコメント欄をチラリと見て、瀬名のコテハンを見つけた。
「色々喋りたいところではあるけど、コメントでの自分語りはマナー違反だからな。」
【ちょっと色々仕事が立て込んでまして!お久しぶりです!】
瀬名のコメントが上に少し流れる。
『仕事が立て込んで…あれ?sennaさんって学生さんじゃなかったっけ。わからん、私の勘違いかもしれん』
その言葉に瀬名は飲み物を吹き出しかける。
「マジかよ。そこまで覚えてくれてるのか…」
神対応に感動を覚える瀬名。
『この後20時から参加型やるのでお時間空いてる方一緒に走りましょー』
おもむろにパソコンを落とし、配信の視聴をスマホに切り替える。
リビングに移動してゲーム機を立ち上げる。
既に時刻は19時50分を回っている。
「富岡さんの部屋人気だからな。正座待機しとかねば。」
ルームの定員は15人。
その15枠の争奪戦を制した者のみが、世界ランカー・富岡祐介との対戦権を手にする。
『じゃあ、部屋作りまーす…埋まるの早っ!!!いつもありがとうございます~』
「あなたも数えきれないほど参加型やってるんだから、部屋の埋まるスピードにも慣れてくださいよ…でも、新鮮に喜んでくれるのも嬉しくはある。」
コントローラーの決定ボタンを連打しながら、瀬名は入室に成功した。
「せっかくだから、レンペル仕様のGT-Rで走るか。」
ゲーム内で購入した自チーム仕様のGT500マシンを選択し、いざコースイン。
レース前のプラクティス走行を始める。
ピットから出ると、先にコースインしていた富岡が後ろから追いついてきた。
『あ、sennaさんレンペルGT-Rじゃん!ずっと松田優次さん推しですもんね~。』
「それもあるけど今シーズンからドライバーなんだよなぁ」
ピットから出た直後の瀬名は、タイヤが温まっておらずペースが遅い。
富岡に道を譲り、後ろにつく。
『道開けてくれたわ。お礼にsennaさんに幣チームの宣伝しておこう』
富岡も自チームのマシン、レクサスRCFのチームAMT仕様で走っている。
マシンのリアには大きくAMTと書かれたロゴが入っており、瀬名の画面にもはっきりと表示されていた。
『はーい、ウチのチームも応援してくださーい。グッズとか買ってくださーい』
「買います買います。フフッ」
半笑いでチームの宣伝をする富岡に、思わず吹き出す瀬名。
『じゃあ、皆さん準備できたみたいなのでレース始めますよ。』
「おっしゃ、ドンとこい」
ピットに戻り、レースの開始を待つ。
ポールポジションからグリッド紹介が始まる。
今回のレースでのグリッドは、ゲーム内のレーティングが『低い順』で並んでいる。
つまり、後ろに行けば行くほど速い選手が待っているという事になる。
このゲームでの通常レートは、E~A+の六段階で表示され、もちろん瀬名は最高ランクのA+を保持している。
しかし。
これよりも更に上のランクが存在するのだ。
通常のランクマッチなどではA+からレートが上がることはない。
ただ、世界大会への参戦が決まると一時的に『S』レーティングが贈与される。
14番手、瀬名のグリッド紹介が終わった。
最後尾、15番手からスタートするのは、ドライバーレーティング『S』。
富岡祐介だ。
ゲームとリアルの一番大きな違いはなんだろうか。
マシンの挙動は、現実とさほどの相違は無いと聞く。
グラフィックを見ても、近年のゲームはパッと見ではリアルと区別がつかない。
では、何か。
答えは、マシンが常に均一で、高いパフォーマンスを発揮してくれるという事にある。
要するに、マシントラブルが無いのだ。
最後尾から、二台のマシンが猛烈な勢いで他車を追い上げていく。
瀬名も、世界大会への参戦は無いにしてもこのゲームのいわゆる『ランカー』であった。
直近であまり触れてないとはいえど、その間に何をしてたかと言えば現実で走っていたのである。
レーティング『S』の富岡にも見劣りしない走りで他プレイヤーを次々にパスしていく。
『おーい!sennaさん忙しかったって絶対ウソだろー!前より速くなってんぞー!!!』
「嬉しいお言葉、ありがとーございます。そっちの方が速いけどねー!!!」
全8周の短いレース。しかし、5周目になる頃には二人とも全車の追い抜きを完了していた。
二人だけの、異次元の戦いに突入する。
『ちょっと、ガチ集中します。コメント読めません。ごめんなさい。』
「やっべ。富岡さんを本気モードにしてしまった」
瀬名の首筋に、冷や汗が流れる。
バックミラーに映るチームAMTのマシンが、異様に大きく見える。
「この感覚…ゲームでは味わいたくなかったよ…」
二人が走るのは鈴鹿サーキット。
追い抜きのポイントは少ない方ではない。
「トップを走るの、嫌いじゃないけど嫌いだぁ…」
気持ちよさとプレッシャーが同居する。
「あと3周、絶対抑えきる。」
ホームストレート、スリップストリームについた富岡がマシンを横に振る。
「ひぃぃ…コワッ!」
怯えながらも冷静にインコースを塞ぐ。
完全にペースでは富岡が上。
しかし、どのオーバーテイクポイントでも瀬名を抜くには決定打に欠けていた。
二台はかたまったままチェッカーフラッグを受ける。
瀬名は8周を抑えきることに成功した。
『いやー…まって、私初めて負けたんじゃない?速いっすわ、sennaさん。』
「お世辞が上手だわ、この人」
瀬名はコメントを打とうと、スマホをタイプする。
『あと1周あったらなー。抜けたと思うんだけど…あれ、これめっちゃ負け惜しみじゃない?ナシナシ、今の無し!』
瀬名が打ったコメントが、ポコンと画面に表示される。
【対戦、ありがとうございました!やっぱり貴方は俺の『憧れ』です!】