厳寒の中
今年の冬は特に寒いようで。
瀬名はコートを何重にも着込んでとある建物の扉を叩いた。
1月8日。
正月休み明けの空には、先ほどから雪がチラついている。
山梨県・甲府市。
レンペルテクノロジーズ株式会社本部。
「遠いところご苦労様、瀬名くん。寒かったでしょ」
代表取締役・松田優次。
「気温マイナスだったらしいですよ…体中にカイロ貼ってきました」
「そりゃ悪い事したね、本来ならばドライバーさんにはこちらから伺いたいところだ。でも正式な契約とかは本部でやる決まりだからさ。」
「とんでもないです」
オフィス内を並んで歩く二人。
「あ、そこのコーヒーメーカー使っていいよ。中から温めたほうがいいだろう。」
「おぉ…ありがとうございます。」
「この先の会議室で待ってる。コーヒー持ってきていいけど、火傷しないようにね」
優次はひらひらと瀬名に手を振り、廊下の方へ歩いていった。
紙コップに入れたコーヒーを両手で持ち、手を温めながら会議室に向かった瀬名。
扉を開けると、黒髪にスーツ姿の関係者がズラリと並んでいた。
が、その中に1人だけ、金髪を逆立たせた見覚えのある顔がいた。
四角形に並べられた机の、空いた席にコーヒーを置いてその金髪の肩を叩く。
およそ一年半前、瀬名は彼が運転するマツダ・デミオと死闘を繰り広げた。
あれから連絡は取っていなかったが、思い出深い人だった。
「やっぱりそうだ。桑島さん、お久しぶりです!」
振り向いたその人は、瀬名を見るなり目を見開いた。
「おぉ!!!瀬名くんじゃん!ここにいるという事は…つまり夢叶ったんだね?」
桑島正治。
光岡大の一行がS耐に参戦する前年のチャンピオンであり、長谷部尚貴と共に瀬名とバトルをした。
瀬名が夢を語った、数少ない人物の一人でもある。
「もしかしてチームメイトって…」
「オレも明かされてなかったんだ。まさかキミとはね…」
隣同士の席に座った二人。
それを見た優次は満足げに笑った。
「意外かもしれないけど僕、サプライズ好きなんだよね。裕毅にはウザがられるけど…。じゃ、始めるよ。」
二人のもとに一枚の紙が配られた。
「その契約書にサインをすれば、キミたちは晴れてSUPER GTドライバーだ。しかも上位カテゴリーのGT500のね。」
通常、ドライバーはGT300での下積みを経てGT500のドライバーとなるケースが多い。
いきなりのGT500への参戦、それはS耐での圧倒的な経験を持った桑島と、生まれ持っての才能に2年間のレースノウハウを叩き込んだ瀬名だからこそ決断されたことだろう。
「この日のためにカッコいいサイン練習してきました」
瀬名のその一言に、会議室に心地いい笑いが溢れる。
「しっかりお二人のサイン、頂きました。後でコピーして控えを渡すから、持って帰ってお家の壁に飾っていただいて構いませんよ。」
「わーい」
優次は二人と握手し、契約書類を受け取った。
帰り道、途中まで方角が同じだった瀬名と桑島は、雑談をしながら歩くことにした。
「そうだ、これから正治さんって下の名前で呼んでもいいですか?」
「もちろん構わんよ。ちょっとお近づきになれた感じするな。」
暖の効果が切れたカイロをポケットにしまい、代わりに自動販売機で温かいコーンスープを買う。
「で、キミはこれからどうするんだ?このチームで戦うことが目標だったんだろう?」
瀬名はスープを飲もうとするが、少し熱すぎたようで缶を口から離す。
「そうなんですけど。ちょっと色々あってもっと上を目指してみたくなったんです。」
それを聞いた正治は、嬉しそうに口角を上げた。
「F1とか?」
「まさにそうですね。なのでここで一年戦ったらスーパーフォーミュラにチャレンジしてみようかと。」
正治は笑みを超えて感心する。
「おいおい、瀬名くん。キミはどこまでもラッキーボーイだな…」
「?。どういうことですか?」
「尚貴だよ。覚えてるだろ?アイツが丁度来年からチームを立ち上げようと動いてる。」
長谷部尚貴は瀬名との戦いの後、レースをするよりもレーサーを育てたいと考え、幅広いイベントでチームを展開しようとしている。
そう、奇遇にも瀬名や裕毅のような若いドライバーを必要としているのだ。
「悪い話じゃないはずだ。その気ならオレが連絡とっておくよ」
「悪いどころかウルトラスーパーアルティメット良い話じゃないですか。どうぞよろしくお願いします。」
コーンスープを片手に持ち替え、空いた手で正治と握手をした。
「手、あったか。」
「コーンスープ持ってたんで。」




