打ち上げ
チェッカーフラッグが振られる。
13周の短い戦いは終わり、長いシーズンは幕を閉じた。
残り2周のあの時から、瀬名は1周あたり0.5秒のペースで2台を離していった。
守りに転じた裕毅のペースダウンがそうさせたのだろう。
1位、2位間の最終的なリザルトには、1.265秒のギャップが刻まれた。
対照的に2位と3位のギャップは0.1秒を下回っている。
最後の最後、ファイナルストレッチでは3位がマシンを横に振り、並びかけるようにしてゴールテープを切った。
1つでも上の順位への執着。
否、そう一蹴してはいけないほど、この1つの順位は大きな質量を持っていた。
280、278、239。
三者の最終的なポイントだ。
第十二戦を終え、モビリティリゾートもてぎに入ってきた時と順位は変わっていない。
しかし、どう転んでもおかしくなかった。
全ての人物がどう動くか、その一挙手一投足に重みがあった。
そして、その結果。
瀬名が勝ったのだ。
彼は表彰台の真ん中に立ち、高らかに拳を突き上げる。
両脇に立つ友に、祝福されながら。
サーキットではF4の撤収作業が行われはじめた。
そのころ、1人のドライバーがレーシングスーツを脱ぐこともせずピットから飛び出す。
彼の向かう先は、グランドスタンド最上部。
表彰台からも、そこからこちらを見つめる親友の顔ははっきり見えたように思う。
タンタンとリズムよく、一段飛ばしで階段を駆け上っていく。
シリーズチャンピオンを獲得した彼には、報道陣への対応が求められるはずだった。
『伏見選手、少しインタビューよろしいですか!』
『伏見選手、初年度でチャンピオンを獲得しました、今の心境を教えてください!』
『今後の活動はどのようにお考えですか?』
ピット奥から出ようとした瀬名には、案の定人だかりが。
でも、彼には一刻も早く向かわなければならない場所があった。
これは長くなりそうだ…と、思ったその時。
「オイオイオイオイ!オレ達に訊くことは何もないのかい!」
「そうだそうだー!瀬名さんのことならボクの方が本人より語れるぞー!」
インタビュアーの背後に、いつの間にか陣取っていた二人。
二人は腕を組み、背中合わせでこちらを見据えていた。
ノリノリで大声を張り上げる小柄な少年と、ぎこちなく顔を赤くしながらヤケクソで腕を振り回すチームメイト。
聡はアイコンタクトを取り、『行け』と合図を出す。
裕毅はウインクし、親指を立てた。
報道陣が瀬名のいた方に視線を戻した時には、もうそこに人の姿は無かった。
「お、来たな?」
ドアの外から、ドタドタと明らかに急いだ足音がする。
開いた扉の先には、息を切らし膝に手をついた瀬名の姿があった。
「お疲れ様、待ってたよ。」
琢磨は組んでいた足をほどき、シャンパンをサイドテーブルに置く。
半分ほど減ったそれの隣には、なみなみ注がれたもう一杯のグラスがあった。
「琢磨…俺…俺…」
「言わんでも分かる。お前は勝った。良い走りだったよ…本当に…ッ」
「オイ…お前が泣くのかよ…」
瀬名の肩に手を置き、もう片方の手で顔を抑える琢磨。
激しい息遣いで肩を上下させながらも、瀬名は寄りかかってきた琢磨を右腕で抱き留める。
「よかったな…これで心置きなく松田さんの所へ行けるんだろ?」
「ああ。」
空いた左腕で琢磨の背中をさすりながら。
「お前の存在、本当に助けになった。ありがとう。」
『弱気になったらまた連絡しろ。』
『オレがぶっ叩きに行ってやる』
『お前のマシンには、コースに適さないほどのハイダウンフォースセッティングがなされている。』
「そんなことねぇよぉ…」
「いいや、あるね。」
琢磨は瀬名に赤子のように縋りついている。
「なぁ、瀬名。今日この後暇か?」
「ん?ああ。もう取材も振り切ってきたからな。」
琢磨は顔を上げ、今さっきまで自分が座っていた席を指差す。
「一緒に飲もうぜ。このあとのスーパーGTでも見ながら…さ。」
F4はSUPER GTのサポートレースである。
午前のF4レースが終わった後には、瀬名が目標としてきたレースが目の前で行われるのだ。
「今日、シャンパンファイトなかっただろ?」
「ああ、裕毅もいたからな。」
「用意してある。ファイトは出来ないが飲んでいけよ。」
それを聞いた瀬名はニヤリと笑い、席についた。
「友達呼んでいい?」
「うーん…しょっと。瀬名くんのレースも終わったことだし、お昼にしますかぁ…!」
テレビを消すと、私は思いっきり伸びをした。
最近は自炊も頑張ってるんだよね。
と、その時。
スマホがブーッブーッと二回鳴った。
電話じゃない、メッセージの通知だろう。
ロック画面に表示されたバーをタップし、開いてみる。
その通知は、自動車部のグループからだった。
長らく稼働していなかったそのグループに書き込んでいたのは…。
「お、琢磨くんだ。」
11:42琢磨『最終戦、終わりましたー!!!』
そのメッセージと共に添えられていた画像。
琢磨くんの自撮りで、彼自身とさっきまで表彰台に立っていた三人が仲良さそうにひしめき合っていた。
そして、瀬名くんと琢磨くんの手にはシャンパンが。
…。
楽しそうだな、おいっ!
混ぜろやっ!!!
11:43亜紀『キミたちのせいでお姉さん昼間からビール開けちゃいました』
11:43亜紀『どうしてくれんのさ(おめでとう瀬名くん!!!)』
「だってよ、瀬名。」
「いや、お前も共犯な。…ってコラ!!!裕毅に飲ませようとするな!!!」
シャンパンの匂いに興味を持った裕毅に、すかさずグラスを差し出す琢磨。
そしてそれを制止し、自分の方へ裕毅を引っ張る瀬名。
「これはお前にはまだ早いよ~、いい子いい子してあげるね~」
「瀬名さんがもう酔ってる…」
「そういえば、お前帰り車じゃん。運転どうすんだよ」
瀬名はその質問に、ノーモーションで答える。
「大丈夫。聡さんが送ってくれるから」
「オレ!?!?!?」
自分の酒を頼みかけていた聡は、ウエイターに頭を下げて注文を取り消す。
「さ、じゃんじゃか飲みましょー!!!」
酔った瀬名は、VIP席全体に叫んだ。
夕方、SUPER GTのレースが終わって帰る頃。
瀬名と聡は稔にこっぴどく叱られた。