2コーナー
早くもトップは『3台による単独走行』を始めた。
各車0.2秒間隔で張り付く。
3人で戦い始めてはや11戦。
お互いの性格も、戦略も、実力も、完璧に理解している。
「瀬名は速いが融通がきかない。」
「聡さんは上手いけど立ち上がりがワンテンポ遅れる…!」
「裕毅は潜在能力抜群だが進入でタイヤをロックさせがちだ。」
だが、一人残らずとして。
「「「強い。最高の競争相手だ。」」」
序盤の攻防はすぐに過ぎてゆく。
互いに様子を見合い、躊躇しているうちに2周、3周と時間は経っていった。
レースが5周目に差し掛かったころ、そこに一石を投じる動きを見せる者がいた。
ホームストレートの終わり、1コーナーの進入で一台車列から飛び出したマシンがあった。
しびれを切らした、若さの象徴。
天才・松田裕毅。
最終コーナーを立ち上がり重視で走ったことによるストレートスピードの差を活かし、中島聡の横に並びかける。
「そこで行くか、裕毅。」
ブレーキング。
ギアが心地いいエキゾーストノートと共に落ちてゆく。
「…いいチョイスだ。」
聡のイン側にしっかりと食いついた車体は、じりじりと前へ。
「一台は仕方ねえ…!瀬名さえ前に出さなければ…ッ!?」
サイドミラーの死角から現れた、自らと同じペイントを施したマシン。
「俺にとって、都合のいい…チョイスだ。」
ここ、モビリティリゾートもてぎの1、2コーナーは直角コーナーが2つ合わさり、180度後方へ折り返す形を呈している。
1コーナーでインを取られた場合、ロングストレートの先にある3コーナーまでアウト側で耐えなければならない。
裕毅が聡のイン側に開けた小さな穴を、瀬名が大きく押し広げていく。
瀬名はこの時、確かな手ごたえを感じていた。
「俺は幼い頃から、追い込まれなければ動かないと揶揄されてきた。」
2コーナーを立ち上がる。
「だがそれは、必ずしも欠点とは限らない。」
中島聡は一気にポジションを2つ失った。
「最終戦に強いというのは、この世界で戦う上で途轍もなく大きなアドバンテージとなる。」
アクセルを全開に、ハンドルは真っすぐに。
「いいぞ…今日の俺、動けてる。」
少し立ち上がりでリアが滑った。
だが、その瞬間視界がすぼまり、また開く。
0.1秒、人間の反射神経の限界領域で瀬名は修正舵を入れた。
ゾーンに入ることを実感する。
「なぁんだ。京一さん、吐かなくても集中できんじゃん。」
コックピット内部に掛けたお守りを、人差し指で優しくはじく。
「さあ、ここからが勝負だぞ。」
超接近戦。
そして、3台中の2位。
とても窮屈な思いをするのは想像に難くないだろう。
「当分は裕毅のミス待ちかな。アイツ、最終戦でトップ走ってる緊張でガチガチになってるだろうし…」
その予想はバッチリ当たっていた。
「落ち着け…落ち着け…ブレーキは左、アクセルは右…え、そうだよね…?」
もはや速く走るための思考をする余裕は無く、運転をするため脳をフル回転させていた。
…とは言っても。
「流石、隙だらけだがどれも突ける隙じゃねえ…速い…!」
物心がついたころからカートに乗っている裕毅と、本格的な活動を大学から始めた瀬名。
何も考えていなくてもマシンが走り出すのは明らかに前者だろう。
しかし、無意識のドライビングは何か異常が起きた時に、その脆弱性が露呈する。
7周目、バックストレート前のヘアピンコーナーでクラッシュが発生。
イエローフラッグが振られる。
一時休戦、追い越し禁止の間はマシンと精神を休める。
しかし、アドレナリンが垂れ流しになっているドライバーからしたらもどかしくてたまらない時間だ。
事実、当たり前のことながら黄旗が解除された瞬間に3人は荒くアクセルを全開にした。
ラウンド2、開始。
3台がバックストレートに差し掛かった時、イエローフラッグが消えた。
遠慮なくアクセルを踏めるため、はじめは速度差もなく一定間隔で加速していく。
長い下りの直線を駆け下り、そこから怒涛の低速コーナーが続く。
曲がりくねった最終コーナーを抜けると、ホームストレートへ帰ってくる。
「裕毅、なぜあの時俺が都合がいいと言ったのか教えてやろうか。」
5周目と全く同じように、車列から真ん中のマシンが逸れた。
「一つは、聡さんを抜くチャンスをくれたから。そして…」
ブレーキングに入る。
「もう一つは、同じシチュエーションでお前を抜く手本を見せてくれたからだよ…!」
1コーナー、鼻先を強引に捻じ込む。
ここに来るまでにほとんど精神力を使い果たしていた裕毅はなすすべなくアウト側に追いやられる。
「瀬名さん…ッ!ボクを実験台にしたって訳ですか…!」
そして、瀬名に気を取られていてはいけない。
死角から、もう一台来る…!
「何があっても、手を抜くようなことだけはするなよ。」
「もちろんです。対戦相手に失礼なことはするなと、叔父にも散々言われてきましたから。」
「よし。じゃあ、いいレースを。」
第四戦、富士のレース前。
瀬名は裕毅との雑談後、ピットへ戻ろうとした。
「あ、そうだ。裕毅。」
「はい?なんですか?」
瀬名は振り返ると、裕毅を見据えて。
「ありがとう、俺なんかのファンになってくれて。」
裕毅はそれに答えようと口を開いたが、彼の尊敬する大スターはヘルメットを被り中に入っていってしまった。
瀬名の方へ伸ばし、行き場をなくした右手を、もう一度自分の身体へ引き寄せる。
その右手で足元に置いた自らのヘルメットを拾い、自分もピットへ帰るのだった。
「行かせない…ッ!!!」
裕毅は目一杯ハンドルを右に切り、聡の進路をふさぐ。
「こんな事をしたら瀬名さんには怒られるかもしれない。…けど、それでも…!」
2コーナーを抜けた。
裕毅はかろうじて2位を守り抜く。
「ボクは…瀬名さんに勝って欲しいんだ…!」
無理なブロックはしない。
ルールの中で、聡を執拗に抑える。
瀬名の目にも、聡の目にも、裕毅が1位を諦めたことは明確だった。
「あのバカ…。」
しかしレースは残り2周。
裕毅の実力であれば、聡を抑えきることなど容易な周回数である。
終わってみればこの瞬間に、瀬名の最終戦および年間のチャンピオンが確定していたのだろう。