泥仕合
2周目のホームストレート、後続の2台は完全にスリップストリーム圏内まで入ってきた。
3台が団子状態で1コーナーへ突っ込んでいく。
ほとんど同時にブレーキングを開始。
2位の裕毅はそのまま聡のスリップストリームについたまま。
だが、その後ろの瀬名はアウト側に車体を振る。
通常では邪魔になる空気抵抗も、ブレーキング時は恩恵となる。
スリップストリームから抜ければ、空気抵抗の分だけブレーキが良く効くようになるのだ。
その勢いのまま瀬名はコーナーの奥まで突っ込み、クロスラインの構え。
脱出速度の差でオーバーテイクを図るが、もうひと伸び足りない。
クロスラインによってコーナー後半での優位性は確保したものの、次のコーナーは左。
インとアウトが逆転するため、またゼロからやり直しとなる。
「こう、徹底的にブロックラインを取られるとやりづらいったらありゃしないな…。軽耐久の時もそうだったけど、あの時と今じゃ精度が段違いだ。」
「なにかしらきっかけがないとマズいですね…ボクにできること、何かあるかな?」
レコードラインを通らない3台は、徐々にペースが落ちていく。
4位以下が次第に近づいてくる。
「このままだと泥仕合になりかねないぞ…聡さん、ペース上げてくれないと…!」
瀬名たちの願いは届かず、聡は道を開けようとしない。
「やっと…やっと掴んだチャンスなんだ…。負けたくない…!!!」
4位以下の集団が、瀬名のスリップストリーム圏内まで入る。
レースは残り10周。
ここで、瀬名はある戦略に出る。
「イチかバチか、やってみよう。俺たちにはない戦い方を見せてくれるかもしれない。」
ホームストレート、全開で踏みつけていたアクセルを少し緩める。
「行ってくれ。突破口をご教授願いたい。」
4位のマシンを前に出す。
これにより、瀬名は表彰台圏内から外れる。
それが一時的なものになるか、結果が確定してしまうかは分からない。
まさにイチかバチかの戦略。
「瀬名さん、何を考えてるんだ…!?自らポジションを明け渡すなんて…」
3位のマシンが入れ替わったことをサイドミラーで確認した裕毅は、動揺を隠しきれない様子だった。
そして、思考がまとまらないまま1コーナーを迎えてしまう。
ここは彼の若さが出たところだろう。
天才とは言っても、隙が生じる。
そして今3位を走るドライバーも、二十数台の中で4番手に付けていた猛者だ。
1コーナー、甘くなった裕毅のブレーキングを逃さず突っ込む。
ここに来て瀬名・裕毅の両名がトップ争いから離脱。
聡に少しばかりの安寧が訪れる。
「なるほどな。そういう考えね。」
聡のサイドミラーにも、見慣れないマシンが一番大きく映っている。
「舐められたもんだ。」
1コーナーを抜けて加速するマシン。
その立ち上がり、聡には珍しく後輪に若干のホイールスピンが見られた。
先程までとはどこか違う、少々荒いとも言えるような運転になっている。
「教えてやろう。お前らの敗因は…」
2位との差が、開いていく。
0.1秒、0.2秒と確実に、一定のペースで開いていく。
「このオレを、甘く見すぎたことだ。」
現在3位を走行中の松田裕毅。
聡との差が目に見えて離れていくことに、焦りを感じていた。
「どうしよう…でも今2位の人を抜いちゃったら、瀬名さんの戦略が台無しになっちゃう…。」
裕毅の走りは縮こまり、どう動いて良いか分からなくなっている様子だった。
「どうした、裕毅。さっきまでの雑で、良い動きはどこに行ったんだ?」
瀬名の頭の中にはもう次のプランができていた。
このまま4位を走っていたら、ペースの上がらない裕毅とズルズル後退していくだけだ。
なら、まとめて抜いてもう一度聡を追いかけるしかないだろう。
単純な話だ。
しかし、やるべきことは単純とは言えない。
裕毅を抜くのに手間取っていると、2位もろとも聡が逃げてしまう。
一発で、確実に仕留めることが必要である。
それを可能にするのはハードブレーキングを必要とするコーナーしかない。
丁度そろそろ、1コーナーに次ぐハードブレーキが必要な低速コーナー・ダンロップコーナーである。
その進入で、裕毅の後ろギリギリまで詰めた後、マシンをイン側に振る。
少々強引になってもいい。
2台をまとめてブチ抜くのだ。
通常のブレーキングポイントからかなり遅れた超レイトブレーキに、タイヤの奥が熱で紅く染まる。
「後は祈るだけだ。頼むから当たってくれるなよ…!」
コーナーの頂点、クリッピングポイント。
そこにオーバースピード気味で突っ込んできた瀬名のマシンと、2位のマシンがニアミスする。
瀬名のリアバンパーと2位のフロントウイングがチップする。
だが、壊れる様な当たり方ではない。
マシンもしっかりコースアウトせずに止まり切った。
「よし。いい子だ…!」
瀬名はポンポンとステアリングホイールを叩く。
その一連の流れを一番間近で見ていた裕毅は、目を丸くして。
「えぇ~!え、瀬名さ…ええ~!!!」
驚きが止まらない。
「えぇ…結局抜くんですか…。ボクの気遣いは一体…。」
トップグループは最終セクター、テクニカルなセクター3に差し掛かっている。
「もう、知りませんよ!気遣いを無下にされて、ボクちょっと怒ってるんですからね!」
プンプンと可愛い怒りを露わにする裕毅。
「ごめんなさい、おつとめご苦労様です。」
最終コーナーで、会釈をしながら3位浮上。
余裕のオーバーテイク。
そしてまた、トップスリーはこの顔ぶれになる。
しかしその中での序列は、もう変わることはなかった。