データ
4月25日。
岡山国際サーキットで、F4選手権の開幕戦が行われる。
思えば琢磨と共にこの地に来てから二年の月日が経っていた。
京一と初めて会ったのもあの日だった。
あの時は観客席で。
今、瀬名はコースの上にいる。
事前に行われた公式予選で、StarTailは1-2番グリッドを独占した。
最前列から解き放たれた二人の若者は、圧倒的な強さでレースを支配した。
F4のレースは短い。
わずか17周のレースは、すぐに決着がついた。
優勝、中島聡。カーナンバー12。
二位、伏見瀬名。カーナンバー13。
両者のレース終了時のギャップは0.2秒と、ほとんど同時と言って差し支えない僅差だった。
試合後、表彰台に上った選手にはインタビューがなされる。
『デビュー戦でしたが、素晴らしい走りでした。この二位という順位についてどうお考えですか?』
その質問に、瀬名は淡々と答える。
「満足か、と聞かれると答えはノーです。アイルトン・セナさんの、『二位になることは、敗者のトップになることである』という言葉がありますが…。」
瀬名の目には未だかつてないほどの闘志が宿っている。
「私は彼を尊敬しています。それを加味したうえで言わせていただきます。」
伏せがちになっていた目線をカメラへしっかりと向け。
「トップは一位だけだ。それ以外は負けでしかないんです。」
『トップは一位だけだ。それ以外は負けでしかないんです。』
ピット内の一室。
瀬名のインタビューが、モニターに映し出されている。
「トップは一位だけ、か。」
荷物をまとめながらインタビューを流し聞きしていた稔が言う。
「本当は、親として勝たせてあげたいんだがね。そうもいかんのよ。」
稔はリュックを背負い、部屋を後にする。
親として、息子の感情や思いの強さは人一倍理解しているつもりだ。
だからこそ、その悔しいという気持ちを簡単には消化してほしくないのだ。
スポーツの世界、プロの世界では満足してしまったらそれまで。
それよりも高みに昇ることは不可能である。
向上心に次ぐ向上心が、より上の世界に連れて行ってくれる。
数多のレーサーを見てきた稔には、それが分かっている。
もし仮に、100回瀬名と聡を戦わせたとしよう。
親のひいき目無しに、70回は瀬名が勝つはずだ。
先日のテストでは運悪く残りの30回を引いてしまっただけなのである。
しかし、その悔しさや不甲斐なさが瀬名を成長させるのだ。
稔はそう信じて、部屋のドアを閉めた。
そして。
「あの事に気づいたら、もう一度チャンスをあげるとしようか。」
去り際に、そう呟いた。
インタビューを終えた瀬名は、チームのピットガレージに戻ってきていた。
既に人は出払っており、そこには誰もいない。
F4は基本的に一つのコースで二日連続、レースをする。
つまり明日もレースがあるわけだ。
ピットは完全に片付けられているわけではなく、必要最低限の設備は揃っている。
その設備の中の1つ。
レースデータを入力するコンピューターの電源を入れる。
本来はメカニックや裏方の人間が触る機械だ。
バレたらひと悶着はあるだろう。
今日のレースデータを表示する。
そのデータをコピーし、コンピューターから自身のスマホに転送した。
早急にコンピュータの電源を切り、ピットを後にする。
足早に歩きながらスマホを叩き、電話を掛ける。
『おう、どうした?元気か?』
「琢磨。今からとあるデータを送るが、他言無用で頼む。」
琢磨宛てのメッセージに、先ほど入手したデータを送る。
「なにやら事情があるみたいだな。よし、見せてみろ」
琢磨は通話をスマホからパソコンに切り替え、倒していた椅子を起こす。
送られてきたファイルを開き、各データを照合する。
『今日のレースの走行データだ。何かおかしなところがないか調べて欲しい。』
「心当たりでもあるのか?」
琢磨は手元のメモ帳に手書きで数値を記入していく。
『走ってて違和感を覚えたんだ。二年前の軽耐久レースの時から比べて、得意な分野が反転してるような気がしてな。』
二年前、瀬名は高速コーナーでのアクセルワークやラインどりを武器に聡に勝利した。
逆に、アベレージスピードが落ちるコーナーが連続する区間は苦手としていたはずだった。
「確かに、差が詰まってるのは低速コーナーが集中してるセクター2後半からセクター3前半にかけてだ。逆にセクター1では全ての周でギャップが開いてる。」
『何か分かりそうか?』
レースを通してのファステストラップや、各セクターごとの最速ラップを繋ぎ合わせたOPTなどを手元のメモ帳に記入する。
「これだけだとただお前の1セクが遅いようにしか思えんな。…だが、もしかすると…」
メモ帳を一瞥し、ペンを置いた。
「瀬名、二台のバックストレートでの最高速データはあるか?」
『多分そのファイルの一番下にあるはずだ。』
コース内で一番スピードが乗る、バックストレート。
通常なら、二番手でスリップストリームを使える瀬名の方が高い数値を記録するはずだが…。
そこに記されていた数字は、瀬名214キロ、聡216キロ。
「ビンゴだ。恐らくお前のマシンは、コースに適さないレベルのハイダウンフォースセッティングがなされている。」
琢磨の指をパチンと鳴らす音が、電話越しに聞こえてきた。
自分たちでセッティングをしていた時はまずありえなかった、誤ったセッティング。
「なるほどな。でも、どうして?」
『そりゃ、メカニックの皆様に聞いてみなけりゃ分からんな。』
少しおどけた様子で琢磨は言う。
『明日はセッティングを変えてもらえ。良い報告、待ってるぜ』
「ああ、色々とありがとう。」
瀬名は電話を切る。
「聡さん、あなたの言っていた悔しさってものがようやく分かった気がするよ…」
拳を握りしめ、空を見上げると。
「明日は…勝つ…!!!」
小さく、そう叫んだ。




