タイムアタック
「ただいま~…。」
誰もいないマンションの一室に瀬名の声が静かにこだまする。
彼は自室に入るとリュックサックを床に放った。
「ふぅ…。」
着替えることもせずゲーム機のスイッチを入れ、いつものレースゲームにログインする。
「トップは…変わってないな。京一さんか。」
関東タイムランキング1位の『kyo1-2525』と書かれたIDを見て、目標タイムが変わっていないことを再確認する。
瀬名は京一がベストタイムを出した時のリプレイ動画を保存し、自分が走るときにその映像が自分の前に表示されるように設定した。
こうすることによって自分よりも速いタイムを出した時の動きを真後ろで見ることが出来るようになる。
コントローラーをハンドルを持つように体の前に構え、タイムアタックをスタートする。
富士スピードウェイをGT500マシンで走る。先日のバーでやっていた状況と同じだ。
京一のタイムは1分26秒582。
瀬名のベストタイムとは0.2秒ほどの差がある。
コース前半は瀬名の方がペースが上。しかし後半のコーナーが連続する区間で京一がぐんぐん差をつける。
純正コントローラーはハンドルコントローラーに比べて細かなアクセル・ブレーキ操作をすることが難しい。
指先の魔術師を自称する瀬名をもってしてもそのコントローラーの差を埋めるのは至難の業だ。
「前半は戦える…。後半セクションはついていくことだけを考えよう。」
瀬名は後半セクションで京一の通る道筋と完全に同じラインを通り、前半でのアドバンテージを活かす走りへチェンジした。
この周、瀬名は後半セクションの自己ベストを記録する。
コース全体で見ても自己ベストに0.05秒差まで迫る走りとなった。
「後半の攻め方はこれでいい。前半が綺麗に決まれば京一さんを抜ける!」
次の周、瀬名は前半セクション通過時点で自己ベストを記録。
前を走る半透明に表示された京一のマシンが近づく。
「ここまでは完璧。勝負はこっからだ…!」
富士スピードウェイのコースの中で一番減速を要するコーナーが近づく。
このコーナーが後半セクションが始まる合図である。
京一と瀬名のマシンはほとんど同時にブレーキングを始める。
全くと言っていいほど同じ道筋を通る二台。
しかし到底気づくことができないほど小さな差ではあるのだが、各コーナーの出口でアクセルを踏み、加速に転じるタイミングが京一の方が早い。
瀬名のマシンはじりじりと離されていく。
純正コントローラーは繊細なアクセル操作ができない。
もし仮に瀬名が京一のタイミングでアクセルを踏んだとしたら、後輪から発せられるパワーにタイヤのグリップが追い付かずにスピンしてしまう。
最終コーナーを曲がり、ゴールラインを通過する二台。
瀬名のタイムは1分26秒719。
自己ベストは更新したものの、京一には0.137秒届かなかった。
「これで無理なら無理だわ。限界で~す」
瀬名はそう言いながらヘッドホンを外し、ベッドに身を投げた。
「…風呂入らなきゃ」
育ちのいいところが垣間見える瀬名であった。
瀬名が風呂を出てスマホを見ると、琢磨から着信があった。
そのまま画面をタップして電話を折り返す。
「もしもし?なんかあった?」
「いや、単純に寝落ち通話しようかと思って」
「え、きも」
「冗談だよバカ」
琢磨はすこし間を置いて神妙にこういった。
「来週の土日、岡山行かない?」
「おめぇは何を言いよるんか」
「岡山弁…」
訳の分からない事を言う琢磨に、訳の分からないボケをカマす瀬名。
二人の会話はいつもこんな感じである。
「で、なんで岡山?」
「そりゃあおめぇ、来週の土日はSUPER GTの開幕戦じゃけぇじゃろうがよ」
「感染した…」
来週の土日、4月13、14日はSUPER GT第1戦である。
13日に予選が、14日には決勝が行われる。
場所は岡山国際サーキット。
モータースポーツファンにとっては、SUPER GTの開幕戦と言えばここ!というイメージである。
「んで、行くの?オレは行くけど」
「行くよん。暇だしね」
「よし、決まりだ」
二人は電話越しに契りを交わした。