電子音
予選が終わった。
ポールポジションは長谷部を擁するチームシフトロックが奪取。
光岡大は2番手、カイザーレーシングの桑島は3番手から2台を追う。
とは言っても、24時間の長丁場である。
実力のあるチームが勝つのだ。
一発のタイムが速かったとて関係ない。
最速は誰か、というよりは最強は誰かを決めるのが24時間レースである。
「瀬名、流石に起きろ。もう日も落ちてるぞ」
瀬名は予選終了後、ピットガレージ内で仮眠を取っていた。
腕を組み、椅子に浅く腰かけて背もたれに寄りかかる。
その姿はまるで一流のスポーツ選手のようだ。
「あぁ…ホテルに戻って寝るよ。」
明日は耐久レースで徹夜を覚悟しなければならない。
多少無理にでも寝ておいた方が良いだろう。
それにしても今日はなんだかいつにも増して疲れた様子だ。
「大丈夫か?体調悪いのか?」
心配した琢磨が問う。
「いや、少し緊張してる…いつもよりも」
S耐に参戦し始めてから瀬名は、それまで全く縁のなかった『緊張』に苛まれることが増えてきたように思う。
周りのレベルが高まってきたこと。
背負うものが増えてきたことも一因だろう。
そして今回は特にだ。
「京一さん…」
今、瀬名の心の大部分を占めているのは彼だ。
自動車部として一緒に活動したのは半年ほど。
しかし彼は多すぎるとも言えるものを残していった。
「瀬名。」
琢磨は椅子の前にしゃがみ込み、瀬名の顔を覗き込む。
瀬名が呼びかけに反応し、琢磨の方を向くと。
『ペチン』と頬を一発叩いた。
「目を覚ませ。今考えるべきは京一さんのことじゃない。ホテルに帰って、ゆっくり休むことだけ考えろ。」
「でも…」
「それが出来なきゃ、明日の戦略でも考えてるんだな。このチームは今やお前がいないと始まらん。変なところで調子崩されたらたまったもんじゃないぞ。」
一見冷たくも聞こえる言葉だが、長年の付き合いの瀬名には彼の本心が伝わっていた。
「…ありがとな、琢磨。」
瀬名は叩かれた左の頬をさすりながら微笑んだ。
「うるせ、早く行くぞ。」
「おう、おかえり。今明日の戦略を再チェックしてるところだぞ」
二人が部屋に戻ると、いつものようにホワイトボードを囲むチームの姿があった。
瀬名と琢磨は荷物を置くと、地べたに座っている3人を見下ろすようにベッドに腰かけた。
「じゃ、琢磨。解説ヨロシク」
「オレっすか!?」
突然の指名に驚く琢磨。
「琢磨くん、私ら知ってるんだぞ~。瀬名くんを絶対勝たせるために、他のチームの偵察に行ったり戦略めちゃくちゃ考えたり…」
「挙句の果てには雨が降るようにってガレージにてるてる坊主逆さまにしてかけたりしてたな」
そこまで聞いて瀬名は満面の笑みを浮かべ、隣で赤面しながら座る琢磨をつつく。
「おいおい、お前そこまで俺のことを想ってくれてるのか~!さっきはあんな冷たいこと言ってたのにツンデレさんですなぁ~」
「うるせーよ。今から解説すっから黙ってろ。」
そう言うと琢磨はベッドから降り、可偉斗と星野の間に割って入る。
「こんなことはもう周知の事実だと思いますが…コースは富士スピードウェイ。全長4563メートルで、コーナー数は17。」
ホワイトボードにスラスラとフリーハンドでコース図を書いていく。
「なんと言っても特徴的なのは、全長1475メートルにもなるホームストレート。富士ではストレートが速いクルマが勝つと言っても過言ではありません。」
かつてSUPER GTでは、富士専用エアロと呼ばれるパーツが存在した。
それだけストレートの速さを極めないと勝てないということなのだ。
「ダウンフォースはできるだけ小さくセッティングしてあります。さて次は…明日から明後日までの戦略とピットストップのタイミング、そのピットで誰が乗るのかを書き出しておいたものがこちらになります。」
琢磨は懐からおもむろに折りたたまれた紙を出し、それを広げて置いた。
レースは11月8日15時から、11月9日15時までの24時間で行われる。
「スタートドライバーは瀬名です。」
「うし。頑張りまーす」
瀬名はベッドの上に立ち上がり、一礼した。
「そこからおよそ2時間おきにピットインし、星野先生、可偉斗さんの順番でローテーションします。」
可偉斗と星野はその場で静かに頷く。
「ただ…これは何事もなく物事が進んだらの話です。レースの戦況次第では作戦を変える可能性もあります。…特に、雨が降ってきた場合ですね」
琢磨は目線を瀬名に向けると。
「雨が降ってきた場合、タイヤ交換をすると同時に現時点のローテーションがどの順番だろうと瀬名にドライバーを変更します。」
「異議なし」
「異議なーし」
「同じく」
雨が降る状況で飛びぬけて速い瀬名を使わない手は無い。
「だから、瀬名はレース中でも常に出られる状態であってほしい。いけるよな?」
「24時間集中しっぱなし、キツ~~~イ!俺もう寝るわ…」
その返答を『Yes』と取った琢磨はもう一度ホワイトボードに目をやる。
「とりあえず今伝えておきたいのはこんなもんですね。後は星野先生、お願いします。」
星野にバトンが渡された。
このミーティングもいよいよ大詰めとなる。
「みんなここまでよく頑張ってきた。後はミスなく、自分にできる精一杯の仕事をしよう。本番、勝つよ。」
みんなが座ったまま円陣を組み始めたのを見て、瀬名もベッドから降りて輪に入る。
「可偉斗、掛け声頼む」
星野の言葉を受け取った可偉斗。
「行くぞ!!ファイッ!!!」
「「「「オォーーー!!!」」」」
いつかと全く同じ、気迫の入った声がこだました。
ピッ…ピッ…。
閉め切られた窓からは、何も見えない。
ただ己の心拍を記録する電子音が無機質に響いている。
さっきまで寝ていた…というよりかは意識を失っていたみたいだ。
瞼が重くてたまらない。
…みんなの夢を見たんだ。
みんなで高尾山に登る夢、もてぎでグランピングをする夢。
もうずいぶん昔のことのはずなのに、まだ昨日のことのように思い出せるよ。
動けない僕のために、頭上にモニターもセットしてもらった。
明日からいよいよ始まるんだ。
1つも見逃したくない。もっとみんなのことを感じていたい…。