暗く
予選を終えた瀬名がピットへ帰ってくる。
記録したタイムは1分38秒745。
まずまずのタイムだ。
マシンをガレージに入れ、走りのデータをチーム全員で見直す。
「4コーナーから6コーナーあたりの低速セクションで、いきなりタイヤのグリップが抜けるんだ。」
「なるほどな。原因はなんなんだろ」
すると。
「おーい、ちょっとキミたち」
モニターとにらめっこしている瀬名と琢磨の後ろから、不意に声がかけられる。
瀬名たちが振り返ると、そこには大柄な金髪の男が立っていた。
「多分その原因はタイヤカスだな。コースのそこら中に落ちてるやつ。」
クルマがレーシングスピードで走行すると、摩擦熱で溶けたタイヤが削れ落ちる。
その削れたタイヤの欠片を踏むと、タイヤの本来接地するべき場所が接地できないためグリップ力が低下するというわけだ。
「まぁそれは良いとして、あなたは誰ですか???」
「おっと、これは失礼。」
その男は右手でポンと自分の頭を叩いて。
「オレは桑島正治だ。カイザーレーシングに所属している。」
緑と黒を基調としたレーシングスーツの胸の部分に印刷された、自らのチームロゴを強調するように手を動かす。
「カイザーレーシング…?」
ピンと来ていない瀬名と、それを見て呆れたように項垂れる琢磨。
「だから昨日雑誌見とけって言っただろ?カーナンバー1、昨年度のチャンピオンだよ。」
「ご紹介ありがと。オレらは君のこと知ってるんだよ?伏見瀬名クン」
桑島は苦笑いしながら瀬名を指差した。
「え、なんかスイマセン…ちなみにどこで知られました?」
「自動車部としての活躍を聞いて、だね。特に去年の軽耐久は凄かったらしいじゃん」
瀬名は心底驚いた。
昨年度のチャンピオンが自分のことをここまで知ってくれているという。
同時に嬉しくもあった。
「なぜそこまで知ってるんですか?やっぱり新しく参戦するチームは事前にリサーチするものなんです?」
「いや…調べたのはオレじゃないんだ。腐れ縁のダチにデータ集めるのが趣味のヤツがいてね。…それじゃ。」
桑島は去り際に小さく。
「本当は『彼』とも戦ってみたかったんだがな…。」
その口の動きを、瀬名は見逃さなかった。
(ええ、本当に残念です。でも俺があの人の、それ以上の走りをして見せますから。)
口には出さなかったが、確かに、そう呟いた。
午後4時。
日も傾いてきたころ、予選の全工程が終了した。
レーサーは各員、最寄りのホテルに泊まって決勝を待つ。
レースを翌日に控えたレーサーたちがすることといえばなんだろうか。
マッサージをうける、イメージトレーニングをする、など色々あるだろうが…。
「ドロー2。」
「マジかよ…なんてな。オレも持ってまーす」
「うわー琢磨くんないわー!私勝負権ないなったんですけどー!」
下級生3人は部屋でUNOをして遊んでいた。
メカニック組はまだいいとして、瀬名は大丈夫なのだろうか。
「本当に瀬名は遊ばせておいていいのか?」
「はい。彼は自由にさせておいた方が力を発揮するタイプです」
可偉斗と星野はコースに残り、グランドスタンドに座り込んで話し込んでいる。
「あいつはS耐で満足するようなやつじゃない。その先も考えているんだろう?」
「はい。その件に関してはおれとウチの父で話しています。」
伏見稔との対談で、S耐で結果を残せた場合、F4への参戦が約束されている。
「フゥ…なんで俺やお前の親父さんがあんな小生意気なガキの夢にここまで労力を割いているのかが分からんよ。」
嫌味では全くない、純粋な疑問としてそう呟いた。
「おれにも分かりません。でも、瀬名が何か特別な人を惹きつける魔力のようなものを持っている気はしています」
「…成長していくあいつの姿を、見るのが楽しいんだろうな。誰しもを味方につけ、糧にしていく。…まったく、本当に生意気だ。」
そう言いながらも、星野の口元には笑みが浮かぶ。
「明日からが本番です。おれたちもホテルに戻って早く体調を整えた方が良いですよ」
可偉斗はすっくと立ちあがり、荷物を持ち上げた。
「ああ。せっかく久々の実戦なんだ。俺も楽しまなきゃな」
日は完全に沈み、暗い夜が訪れる。
暗い間はまだ肌寒い4月の空気が、サーキットの路面を冷やしていく。
暗く、闇より暗く、尚暗く。
ここ、スポーツランドSUGOには魔物が住むという。
その魔物は、数多のレースでドラマを生み出してきた。
現在からおよそ十数時間後、新たな挑戦者が魔物の巣へと足を踏み入れる。
彼らは、なすすべなく貪り喰われるか。
それとも、稀代のデーモンスレイヤーとなるか。
本当の意味での開幕戦が、始まる。