意地
午後5時30分。
レース終了まで残り30分。
瀬名と中島による抜きつ抜かれつのドッグファイトは未だに続いている。
瀬名は前に出るものの、引き離すことができない。
この二人ではコースの得意な部分が違うため、お互いの得意な場所で抜き返す・抜き返されるということが毎周のように行われていた。
お互いが決定打を持たないまま、時間は過ぎてゆく。
「そろそろ仕掛けないとマズくないか?」
「瀬名くんに何か言った方が…」
可偉斗と亜紀には焦りが見え始めている。
「いいえ、それは逆効果になります。もうオレらが何かをしてプラスになることはないでしょう」
「僕たちにできることは、祈るだけだよ」
二台が膠着状態に陥ってからおよそ1時間。
二人の集中力はほとんど限界を迎えている。
何か一つのきっかけで、状況は全て崩れ去る。
どちらに転ぶか分からない状況だ。
現在後ろについている瀬名は、後方から中島の動きをチェックする。
瀬名の得意な区間である、前半区間。
いつも追い抜きを仕掛けていたのは、第5コーナーだった。
それは瀬名がそのコーナーを最も得意としており、なおかつ安全に抜けるコーナーだったからである。
この周、瀬名は第4コーナーで追い抜きを仕掛ける。
そのコーナーは内側と外側がぬかるんでおり、安全に走れるラインは真ん中のクルマ一台分しかなかった。
中島のマシンはぬかるみを避けようと真ん中に車体を移動させる。
そこを瀬名は常識から言えば明らかなオーバースピードで内側へマシンを滑り込ませた。
緩い右の第4コーナー。
速度が乗った瀬名のマシンの片輪が、ぬかるみに落ちる。
2台は接触寸前まで近づいたが、中島がとっさの判断でアウト側へ移動。
中島のマシンも外側のぬかるみに足を取られた。
「グッ…だが、そんなスピードじゃ曲がり切れないだろ!!!」
「曲がる。コイツがそう言ってるんだよ。」
瀬名はぬかるみで滑り、スピンしかけたところをカウンターステアを当てて持ち直す。
一方中島はなかなか戻れない。
低グリップなぬかるみに足を取られるとなかなか抜け出せない。
外側ならなおさらだ。
中島が減速する間に瀬名のマシンはドリフト走行しながらコーナーのクリッピングポイントをかすめていく。
「曲がれェェェェッ!!!!」
「まさか、曲がるのか!?そこから…!?」
コーナーの脱出、瀬名のマシンのリアがコースの最外端にある盛り上がった土にチップする。
それまで横を向いていた瀬名のマシンは、リアが当たったことで向きを戻した。
破損はしていない。
「お前…その速さ、その精神…。」
奇跡的に傷一つない。
「その運…光岡大は一体どうなっているんだ…!?」
遠ざかる瀬名のマシンを見つめながら、中島はそう呟いた。
トップでレースを終えたのは、光岡大だった。
初優勝の立役者、生意気にもアンカーを務めた男が帰ってくる。
中島を追い抜いてからは安定していいペースを刻んでいた瀬名は、最終的に20秒のギャップを築いた。
エンジンを切り、クルマから降りた瀬名に真っ先に駆け寄ってきたのは。
「おつかれ~!!!瀬名くんよく頑張ったね~!!!」
もう隠す意味も無くなった亜紀は瀬名に思いっきり抱きついた。
瀬名も優しく抱擁を返す。
そこに続々と仲間たちが集まってくる。
「よくやったぞ!急にバトン渡しちゃって悪かったな。」
「一時は京一の意見を聞いたことを後悔したが、まぁ結果オーライだ。ナイスレース。」
「いやいや、これを見越してですから先生。言ったとおりになったでしょう?」
そして一番最後にゆっくりと向かってくる男が一人。
ヘルメットを取った瀬名は、久しく直接話していなかった親友へ目線を向ける。
「瀬名。」
「琢磨…。」
ゆっくりと距離を詰め、手の届く距離へ。
「「うぃ~~~」」
何を思ったか、二人は超高速アルプス一万尺を始めた。
周りのドン引きなど気にもせずひとしきり腕を動かしたのち。
「琢磨、ありがとな。色々と」
「なんだおめー今更気持ちの悪い…あたりめーのことだろうが。ホラもう表彰式だ、行くぞ。」
照れ隠しがヘタクソな琢磨は後ろを向き、人だかりの方へ歩いていった。
瀬名もその後を追おうとすると、後ろから声がかけられる。
「伏見瀬名。」
紅いレーシングスーツを纏った男。
中島聡だった。
「また会おう。」
それだけ言うと中島は、表彰式の会場とは逆の方向へ去っていった。
一行は表彰台の真ん中に乗り、賞状とトロフィーを受け取った。
現場に来ていた報道陣の写真撮影が行われている。
「いや~、よかったよかった」
「今日飯どこ行きます?」
「やっぱお寿司でしょ!!!」
そんな会話をしながら、瀬名は後ろに立っている京一に話しかけようとする。
「京一さんは何が食べたいですか…」
その瞬間、後ろでドサリと音がする。
「京一さん!?」
いきなり京一が倒れたのだ。