役目
アクセルを踏みなおす。
今日一番の加速Gが、瀬名の身体を襲う。
しかし、初めて全開走行をしたあの時のような首のぐらつきは無い。
ヘルメットのシールド越しに見る景色の流れが、やけに遅く感じられる。
親友に発破を掛けられたことにより、極限の集中状態に入った瀬名の視線の先に、小さく紅いマシンが映る。
追いついてきた。
あと、もう少しだ。
「さっきの一年坊主、どこまで落ちていった?」
「バックミラーを見てみろ!!!」
勝利を確信していた中島は、バックミラーを見たとたんに青ざめる。
「ごきげんよう関東No.2さん。トップの座、再び貰いに来ましたよ~!てな感じか?」
『ああ。そんな奴ぶっ倒してしまえ親友。』
光岡大のピットは希望を取り戻しつつあった。
「この周のタイム、大都大学よりも2秒も速いよ…」
「京一並みだな…」
驚く亜紀と可偉斗に比べ、琢磨と京一は落ち着いている。
「成ったね、瀬名。」
「あのぐらいのタイムは出してもらわないと困りますからね」
さも当然かのように瀬名の走りを見守る。
「でも、中島さんも簡単にやられるような男じゃないみたいですね。追いついたはいいけど全く抜く隙を与えてくれません」
「執拗にブロックラインを使ってくるね。」
通常、レースなどのスポーツ走行をする際にはレコードラインと呼ばれるマシンを一番速く走らせることができるラインを走る。
しかし、周囲に他のマシンがいる状況ではその限りではない。
前にいるマシンが後ろのマシンに抜かれないように取るラインがブロックラインである。
レコードラインよりもコーナーのイン側につくことが多くなるため絶対的なスピードは落ちるが、後続のマシンは外側から仕掛けるしかなくなる。
それすなわち相手よりも長い距離を走りながら抜かなければいけなくなるわけで…。
「クソッ!抜けねぇ!!」
「そう簡単にやられてたまるかよ!!!」
両者には圧倒的なスピード差はない。
イン側を塞がれた瀬名は次第に落ちていくペースの中、抜けない苛立ちを覚えていく。
「チンタラ走ってんじゃねぇよ!抜かれる度胸もねぇならやめてしまえ!!!」
それを聞いた琢磨は、控えめに吹き出す。
『いいぞ、瀬名。さっきまで意気消沈としてた奴とは思えない発言だな』
そして今度は諭すように。
『だがな、一旦落ち着いて考えろ。3位以下のクルマはもう何周も後ろにいるんだ、ペースが下がったとしても大した影響はない。』
「何が言いたいんだよ」
「今このレースの主導権を握っているのはお前だ、瀬名。ゆっくり行けよ、良い肉はじっくり低温調理した方が美味いぞ。」
「ごめん、その例えはよくわかんない」
「うん、オレもよくわかんないこと言ったなと思った。」
「「えへへへへ」」
完全に親友の仲を取り戻した二人の笑い声がこだまする。
『ま、相手が隙見せるまでじっくりいってみるわ。ありがとな、琢磨』
「いいってことよ。ほんじゃ集中しろよ、一旦切るぞ」
プツリと無線が切れ、琢磨は一息つく。
「流石だね。瀬名のことよくわかってる」
「アイツはリラックスさせた方が良いパフォーマンスしてくれるんですよ。逆にファイナルラップに入った時に1位だったり、2位で前のクルマがどんどん離れて行ったりして緊張状態になっちゃうとダメです。」
目の前を通り過ぎる瀬名のマシンを目で追いながら。
「そんな緊張状態になった時にほぐしてやるのがオレの役目ってことっすよ」
自分を親指で指してそう言う琢磨の顔は、憑き物が取れたかのような清々しい表情をしていた。