化け物
「マイクテスト、マイクテスト。京一さん、聞こえますか?」
『バッチリだよ。』
第一走者、片山京一。
『とりあえずは頭取っちゃって良いんですよね?』
「もちろん…と言いたいところなんだが、どうやらそうもいかないらしい。」
運営から書類を受け取り、それに目を通していた星野が言う。
「大都の一番走者、中島くんになってるな。」
『ナンテコッタイ』
京一が車内でバンザイをする様子がテントからも見える。
その表情は半分ほど喜んでいるようにも見えた。
「ピットインの回数を一回増やして最初と最後にエースを持ってくる戦略か…なんでそんな事を?」
「それはほら、あの人京一さんのストーカーだから」
「ホントにどういうこと?」
瀬名の言葉に事情を知らない星野は困惑しっぱなしである。
『でも、先頭を目指すことに変わりはありませんよ。僕はトップで可偉斗さんに繋ぎます。』
「ああ、頼むぞ。」
どんなに困難な状況でも、圧倒的な実力で事を解決してきた京一。
信頼できる言葉だ。
スタート時刻。
全車のエンジンに火が灯り、グリッドでその時は今か今かと待っている。
正午。
コースサイドに設置された電光掲示板にカウントダウンの数字が灯る。
その数字の桁が二桁から一桁へ変わり、辺りに響くエンジン音も一層高い音へ変わった。
5、4、3、2、1。
各車一斉にスタートを切った。
先陣を切るのは、深紅のスズキ・カプチーノ。
大都大学である。
それに追随する形で2位集団が固まっている。
その中には白と青のコペン、光岡大の姿も。
しかし集団で固まっているが故、コース上に行き場がなくなってしまいペースが上がらない。
京一は本来の実力を出せないでいた。
少々強引にならば追い抜くこともできるのだが、京一はそう言ったドライビングスタイルを好まない。
2位から5位までが固まった状態で最初の数周が過ぎた。
その間に大都大学は2位に秒数にして10秒近いギャップをつけた。
「どうした、京一。さっさと上がってこい!」
「こりゃしんどいねぇ…でもここからだよ、コペン!」
現時点で3位につけていた光岡大だったが、ここで2位のマシンがスローダウン。
塞がれていた道が開ける。
「よしキタ。」
京一はニヤリと笑うと、今まで思いっきり踏み込めなかったアクセルを全開にした。
『こちら京一。ペース上げます。どうぞー』
「思いっきりやっちゃえ!どうぞー」
現在無線担当は亜紀である。
旧知の仲の親友コンビ、楽し気に会話をしている。
「おぉ…すげぇな。京一が2位になってからラップタイムが3秒近く縮んでる」
「これが本来の力って訳ですね」
ラップタイムをメモする可偉斗から驚きの声が漏れる。
「手元のストップウォッチでは大都よりも0.8秒速いペースで走れてます。このままならあと10周で追いつきますよ」
「よし。亜紀、京一に連絡しろ」
「イエッサー!京一、このペース維持できたらあと10周で追いつくってさ!」
『OK。じゃあペース上げるね』
「は!?」
思わず素で声を上げる亜紀。
「なんだ?どうした?」
「いや…今からもっとペース上げるって言ってます…。」
「…なんなのあのコ」
「私が訊きたいです」
現在京一は昨年調子が良かったやり方、2速を使わない走り方で走っていた。
傍から見れば3速以上で充分な走りに見えていても、京一は満足していなかったのだ。
それは今年も去年も変わらない。
今、京一は2速を解放する。
「今のタイムは?」
「2分34秒5だ!いいペースだぞ、聡!」
それを聞いて満足した中島はふとバックミラーを見る。
そこには確かに近づいてきた光岡大のコペンが映っていた。
「よしよし。やっと追いついてきたな。…先生!この周に入った時の京一とのギャップは何秒ですか?」
「えーと…7秒8だ。少し近づいてきたな。」
「ふむふむ…約8秒か…今の差は目測でおよそ2秒…」
そこまで言ったところで中島は気付く。
「いや待て!速すぎる!?」
単純な引き算を間違えたのかと中島は計算をしなおす。
「俺がこの周に入った時のギャップと今のそれを差し引いて京一が詰めてきた距離はおよそ6秒分…オレはペースを落としたりしていない…」
彼は恐怖すら感じていた。
バックミラーに迫るコペンが、いやに大きく感じられる。
「単純な走力でこの差を縮めてきたのか…!?たった1周で…!?」
動揺した中島は、最終コーナーでクリッピングポイントにつき損なった。
その一瞬の隙を逃さずに京一はインにマシンを滑り込ませてトップを奪取する。
「格が…違う…ッ!」
中島はもう、ハンドルを握る手の震えを抑えるので精一杯であった。