死闘
「久しぶりだね、キミと走るの楽しみにしてたんだよ。」
運転席に乗り込んだ京一は、シビックに話しかける。
ちなみに車内とテントにいる可偉斗たちは、無線で繋がっている。
しかし京一はそんなことお構いなしにクルマと話し続ける。
「京一、もうそろそろ出番だ。お前にかかってるぞ。」
「分かりました。全力で行きます。」
シフトレバーを握り、感触を確かめながら答える。
出番を待つ間、手持ち無沙汰になった京一はギアをニュートラルに入れ、空ぶかしを始めた。
手ごたえを確かめるように徐々にエンジンの回転数を上げる。
低かったエンジン音が、次第に甲高い咆哮へと変わる。
「うん。調子良さそうだね。」
その音を聞くと京一は満足げに頷いた。
「京一さん、ずっと喋ってますよね。」
瀬名は不思議そうにそう呟いた。
「ああ。集中してる証だよ。」
腕を組み、前走者の走りを見ていた可偉斗はニヤッと笑い、そう答えた。
『只今のタイムは、1分2秒993。1分2秒993。』
前走者のアタックが終わり、タイムがアナウンスされる。
「ごめん!京一、キミが1位獲っちゃうと私の順位が二桁になっちゃうからゆっくりでいいよ!」
亜紀が冗談っぽく言う。
『分かった。なにがなんでも1位獲るね。』
「なんでよー!!」
京一は答えると、ゆっくりとスタート地点にクルマを移動させる。
エンジンをふかしながら、気持ちを高めていく。
「見せてやろう、シビック。僕たちが一番速いんだ。」
スタートを意味する旗が振られた。
完璧なタイミングでクラッチから足を離し、加速する。
30、40、50キロまで出たところで減速。
最初のコーナーを曲がる体制に移る。
2速に入れていたギアを、1速に下げる。
ギアチェンジのその瞬間、京一はブレーキを踏んでいた右足を少し捻ってアクセルをチョンと押す。
それにより、下がっていたエンジンの回転数が上がる。
これは『ヒールアンドトゥ』というテクニックだ。
エンジンの回転数を下げすぎないことにより、減速後の加速時にスムーズな加速が可能となる。
「よしよし。調子は悪くなさそうだな。」
テントの下の可偉斗は拳を握る。
「手元のストップウォッチでは、前半セクションのタイムは中島さんと互角です!」
亜紀もチラチラとストップウォッチを見ながら親友の走りを見守る。
甲高いVTECサウンドを響かせながら、京一は爆走する。
「いいよ、シビック。いい走りだ。…ッ!」
しかし。
後半セクションに入ってから、京一の身体に異変が起き始めていた。
疲労。
ハンドルを握る腕に、重たいブレーキを踏む右足に。
彼は2月からおよそ2か月、トレーニングはおろか階段すらまともに上っていなかった。
病院のベッドで、ただ横になっていた。
トレーニングをしようとしても看護師に止められる。
もどかしい思いをしていた。
「だから…!トレーニングさせてくださいって言ったのになぁッ…!」
彼の腕には、疲労を超えて痛みが走っていた。
「京一さん、後半に入ってから走りが鈍くなってきてる気がします…。」
琢磨が心配そうに呟く。
実際、そうであった。
疲労からハンドルを切る絶対的な速度が遅くなる。
ブレーキも同様だ。
最後のコーンを回る。
「もう少しだよ。頑張れ、シビック…!」
最後の直線、フルスロットル。
そして。
ゴール。
『只今のタイムは…』
車内、テントに緊張が走る。
『1分0秒059。1分0秒059。』
届かなかった。
『ぐあ~~まじかぁ~~~!!』
京一には、無線から瀬名たちチームメイトの声が聞こえていた。
本来の自分の実力が発揮できない大会となってしまったが、チームメイトが自分のことのように悔しがってくれている。
京一にとってはそれがたまらなく嬉しかったのだった。
「お疲れ、シビック。」
京一はハンドルをポンポンと撫で、一緒に戦ってくれた戦友に労いの言葉をかけた。
彼の目には涙と、ほんの少しの笑みが見られた。