怪童
その後、光岡大の順番が回ってくる。
可偉斗は1分1秒686、亜紀は1分3秒229で、それぞれ暫定4位と8位につけた。
光岡大の表彰台、そして優勝はやはりこの男に託される。
片山京一。
彼の伝説は、昨年10月から密かに始まっていた。
京一のデビュー戦、関東学生対抗軽自動車6時間耐久レース。
今大会の目玉は、やはり中島聡を有する大都大学。
そして実際、優勝したのは大都大学であった。
しかしその裏側で、とんでもない事件が起きていた。
「2速に入らない…!?」
可偉斗が驚いて声を上げる。
「すまん!昨日夜なべで亜紀と直そうとしたんだが…」
「ごめんなさいぃ~~!!」
星野と亜紀が頭を下げる。
光岡大が所有しているクルマは、ホンダ・シビック一台のみ。
この大会に使う軽自動車を所有していなかった光岡大自動車部は、少ない部費をはたいて中古のダイハツ・コペンを購入した。
しかし一桁万円の安価であったため、そのクルマは様々な欠陥を抱えていた。
そのうちの一つが、トランスミッションの故障。
ギアが2速に入らなくなってしまっていたのだ。
「いやいや、先生と亜紀が悪い訳じゃないです。そこはおれ達でなんとか…」
そこで可偉斗は言葉に詰まる。
それもそのはず、この大会で使用されるサーキットは低速コーナーが多数存在する。
その反面長いストレートは存在せず、高いギアを使うことはほとんどない。
必然的に1、2、3速を多用するサーキットとなっているのだ。
その中でも2速は最重要となるギアで、コーナー後のストレートスピードに大きく影響する。
「なんとかしますよ。僕たちが。」
言葉に詰まっていた可偉斗の肩越しに、今回がデビュー戦のルーキーがそう言った。
その眼には自信が感じられた。
先日の瀬名と同じ、根拠のない自信である。
だが、彼の自信は瀬名とは違う道を辿る。
レースが始まった。
13校で争われたこのレース、光岡大は7番手からのスタートだった。
しかし、2速が使えないというハンデからジリジリと後退。
最後方、13番手で最終走者である京一へバトンが渡された。
「さあ、ここからだよ。行こうか、コペン。」
彼はクルマを名前で呼び、友達のように対話しながら接する。
先ほどは『中島の方が走りが綺麗』と言われてしまったが、京一がクルマを壊したり、ぶつけたりしたことはただの一度も無い。
そして、クルマの声を聞いて優しく走ってきたがゆえの能力。
まるでクルマが自我を持ったかのように、ひたすらに前へ進む。
減速をせず、クルマがあり得ないスピードで曲がっていく。
京一は、このレースで1速を使わなかった。
一番スピードが落ちた時でも、2速を必要としない速度でコーナーを曲がっていく。
3速以上のギアで全てが事足りてしまったのだ。
他校のクルマを圧倒する速度で、先頭との差をぐんぐん詰める。
コース幅を目一杯使って、一時は何周遅れかもわからなかった他車を一台、また一台と抜いていった。
気づけば光岡大の順位は4位に。
ファイナルラップ、3位を走るクルマとの差は3秒。
ここまでのペースを考えると、追いつけない距離ではない。
「イケるよ、コペン。もう少し頑張ってね。」
最終コーナーで3位の横に並ぶ。
必然的に、外側から仕掛けた京一のラインは外に膨らむ。
コーナーを抜けようとしたその瞬間、京一死角になっていた場所からの目の前に既にゴールしてスロー走行をしている大都大学のクルマが現れた。
「!?」
京一はクルマをぶつけないよう、ブレーキを踏む。
その間に3位のクルマはゴール。
光岡大は表彰台を取り逃した。
「すみません。全力で攻めたんですが…」
「何を言うか!とんでもないことだぞ!!」
レース後、チームメイトの元に戻った京一は真っ先に頭を下げた。
彼の中では、表彰台を取れたレースであったのだろう。
「みんな、お疲れ。不利な状況の中でいいレースだったよ。」
星野も労いの言葉をかける。
「この悔しさは新人戦で絶対に晴らします。」
この大会で実力を示した若きエースは、静かに闘志を燃やした。
新人戦の結果は、ご存知のとおりである。
他校の生徒や群衆からはどこからともなく現れたように見えたかもしれない。
しかしその片鱗は、10月から見えていたのだ。
新人戦で彼は、中島聡に2秒の大差をつけて圧勝する。