姿を消した絶対王者
ある日、絶対王者は姿を消した。
『光速の貴公子』伏見瀬名が消えた翌年、F1界に戦国時代が訪れる。
第1戦、バーレーン。
優勝、ジャンニ・ルクレール。
第2戦、オーストラリア。
優勝、周冠英。
第3戦、サウジアラビア。
優勝、カレル・サインツ。
かつての絶対王者は、開幕から三戦全てで表彰台圏内から外れた。
各ドライバーのパワーバランスが拮抗してバトルが増えるため、面白いレースが展開される。
伏見瀬名がきっかけでF1を見始めたファンを引き留めることに成功した。
今、世界では空前のF1ブームが始まろうとしている。
かつて、アイルトン・セナがそれを起こしたように。
第4戦は日本グランプリ。
鈴鹿サーキットに、19人のドライバーが集まる。
メルセデスのピット裏。
ルイスがレース前の準備をしていると、不意に部屋の扉が叩かれた。
「『ちょっと待ってくれ、今行く。』」
扉を開くと、女性が立っていた。
そのまま目線を下に移動させると、なにやら車椅子を押していることが分かる。
そして、それに座っていたのは。
「『よう、ルイス。久しぶりだな』」
「『瀬名!よく来たな。とすると、そちらの方が?』」
「『そう。妻です』」
ここまで車椅子を押してきた、亜紀に目線が行く。
「は、はろ~、ないすとぅーみーちゅー…瀬名くんが喋ってよ!英語わかんない!」
「『ハハッ、こんにちは、Mrs.アキ。…瀬名、結婚式は明日で合ってたか?』」
「『合ってるぜ。悪いな、本当はオフシーズンに呼ぼうと思ってたんだが、色々ゴタゴタしててさ。』」
本来、瀬名たちはシーズンが終わった後すぐに挙式をするつもりだった。
日本グランプリの前後であれば、F1ドライバーたちも出席できる。
瀬名が歩けるうちに結婚式を行いたかったが、様々な理由がありこの状況に至る。
その理由の一つが。
「『来年度から参戦する、チームレンペルの話は聞いているか?』」
「『ああ、F1に参戦しながら若いドライバーを育てるためのチームだと聞いている。形式上はトヨタのジュニアチームになるんだよな?』」
瀬名は頷き、続ける。
「『その、チームを立ち上げる手伝いをしてたんだ。俺も過去にお世話になったチームだからな。』」
「『ついこの間、そのチームのドライバーが決まったという話を聞いた。日本人らしいが、知ってるか?』」
それを聞き、瀬名は笑う。
「『知ってるもなにも、俺の愛弟子さ。』」
「『なんと。速いのか?その子は』」
ルイスは驚き聞き返す。
共にレースをすることになる仲間だ。
そのスピードは気になるだろう。
「『速さは昔からあった。そこに今は精神力もついて来ているし、手強いぜ。その名前の通り、裕度をもって沈毅とする。そんなドライバーに仕上がってるよ』」
「『…そうか。楽しみだ。』」
ルイスは子供のような目で、新たなライバルの出現を喜んだ。
その日のルイスは速かった。
昨年以前を彷彿とさせる、力強い走り。
圧倒的な差をつけて、1位でゴールした。
観客席でそれを見守る瀬名。
もちろん、周りに正体がバレないようにフードを深く被っている。
「レースを始める前は、こうして観客席で盛り上がってたんだよな。」
シャンパンファイトが始まった。
今日も周がシャンパンの噴水を上げている。
「もう向こうには立てねえのかと思うと、ちょっと寂しいな」
「それは違うよ、瀬名くん」
瀬名の独り言に、亜紀が異を唱える。
「瀬名くんが今まで築き上げてきたものは、消えてない。それこそ、これから裕毅くんが走るんだもん」
亜紀も隣で、表彰台で暴れまわるドライバーたちを見上げる。
「去年の日本グランプリの時に、彼と話したの。すごくいい子だったし、実力もあるんでしょ?」
「…それは保証しますよ」
「なら裕毅くんは必ず、瀬名くんをもう一度表彰台に昇らせてくれるよ。」
この5年間で築いた、人間関係。
それはかけがえのないもので、誰にも奪えない。
「…瀬名くん」
「なんですか?」
「これからも、よろしくね」
「本当になんですか?いきなり」
表彰台に目をやると、カレルがまたルイスと周の首にシャンパンを流し込んでいた。
盛者必衰とはよく言う。
その通りだと思う。
だが、衰えても盛者は盛者。
他の方法を模索したり、後進に託したり。
人それぞれの衰え方はあるが、人がいる限りモータースポーツは続いていく。
絶対王者が姿を消した今、誰にでもチャンスはある。
新時代の足音はもう、すぐそこまで近づいてきている。
光速の貴公子 ~30年目のトリビュート~ 完
外伝・『裕度ヲ以テ沈毅トス。』
To be continued…