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メンタル・思い込み

予選終了。


瀬名はポールポジションを守り切った。

しかし、二番手にはやはりあの男が。


「『完璧なアタックだった。だが、二番手だ。瀬名の実力には脱帽せざるをえない』」


1分26秒302。

およそ0.03秒差でルイス・ウィルソンが張り付く。


インタビューにはいつもよりも心なしか硬い表情と語り口で臨んだ。


二番手から三番手の間には、1秒以上の差がある。

チャンピオン争いをする2人の後ろにつけたのは、ジャンニ・ルクレール。


「『ぼくにできることは、全力で走ることだけ。その他の感情や行動は何一つ必要ない。』」


ブラジルグランプリで2位を獲り、ノッている周冠英は四番手から。


『『チームメイトをチャンピオンに押し上げるための働きも必要とされると思いますが…?』』


「『その質問についてはノーコメントだ。オレはオレの走りをする。ただそれだけだ』」


トップファイブ最後の一角、カレル・サインツ。


「『…ジャンニの様子を見ながら、1つでも上を目指す。』」


各者が思い思いのコメントをする中、ポールポジションの瀬名だけは。


『『瀬名選手、少しお時間いただけますか?』』


「『すみません、ちょっと今余裕がないので…』」


口元を抑えながら、インタビュアーから逃げるように立ち去っていった。






ポールポジションが確定したとき、瀬名は顔を青ざめさせた。

クルーたちの祝福をよそに、瀬名の目からは光が消える。


あらゆる人を避けるようにして、ピット奥の通路にしゃがみ込む。


彼の緊張は、最高潮に達していた。

でも、師の教えのように究極の集中状態といった形にはならなかった。


どうしてだ?


俺は何か間違えているのか?


膝を抱えていると、なにやら人の気配がした。

もう追手が来たか。


そう思って立ち去ろうとすると、声がかかった。


聴きなじみのある、イタリア訛りの英語だった。


「『ああ、いたいた。瀬名!』」


ジャンニさん、俺は今喋る余裕は…。

そう言おうと思って顔を上げると、ジャンニはビニール袋片手にこんなことを言ってきた。


「『ほれ、これ持ってきたから吐け。』」


はぁ?

何を言ってるんだこの人は。


瀬名が青い顔で困惑していると、ジャンニはこう続けた。


「『キミのお師匠さんの教えじゃないか。吐けば最強になれるんだろう?』」


そうだが。

それはそうだが。

ここまでの緊張状態でその領域に到達できていないなら、もう無理なんだと思う。


「『いや、もうそういう感じじゃあ…』」


「『OK、ぼくの考えを話す。』」


断ろうとすると、ジャンニはそれを制止して説明しだす。


「『人間って、メンタルによってパフォーマンスが大きく変わるのね。ここまではわかるっしょ?』」


「『…まぁ、はい。』」


「『そのメンタルをコントロールするには、何事も『思い込む』ことが大切なわけ。』」


思い込み、自分にとっての常識はメンタルにとって大きな面積を占める。


「『キミはお師匠さんの教えをそのまま飲み込み、それを常識として思い込んでいる。』」


「『それが、なにか?』」


「『お師匠さんの教えの中では、『吐くこと』が究極の集中状態に入るためのキーとして語られていたはず。だから、キミの潜在意識のどこかで、『吐かなかったらゾーンには入れない』という思い込みが発生している可能性があると思うんだ』」


何を言っているか分からないかもしれない。

だが、これは実際にあり得ることである。


京一は確かに、『緊張』を、『吐くこと』をポジティブに伝えようとしてこの話をした。

だからこそ、『吐くこと』に焦点を当てて話した。


なぜならそれが、緊張による症状の究極系で、最も重い緊張の姿だからである。

その究極系を超えてしまえば、また新たな世界が見られる。


そんなおとぎ話だったのかもしれない。


でも瀬名は、それを『事実』として『思い込んだ』。


ジャンニの見立てでは、ここで瀬名が嘔吐すれば人為的にゾーンを創り出すことができる。

なぜなら、瀬名は『吐くことでゾーンに入れる』と思い込んでいるから。


それが、一年前のあの時のようによっぽど精神が追い詰められている時でなければ。


瀬名はビニール袋を受け取り、喉の奥に指を突っ込む。


酒は好きだが、酔いつぶれるほど飲んだことはない。

牡蠣や生肉にあたったこともない。

病弱なわけでもない。


吐くことには、慣れていなかった。


だからこそ、試行回数が少ないからこそ、この『思い込み』は成立したのかもしれない。


瀬名は何度かえづく。


しばらく自らの指と格闘している間に、胃の内容物が込み上げてくる感覚が生まれてきた。

決して気分の良いものではない。


当たり前だ。

本来嘔吐というのは、身体に害のあるものを排出するための反応である。


それを恐怖の対象とする者もいる。


だが、だからこそ意味がある。

そう信じて、瀬名は自信に負の影響を与える可能性のあるものを全て吐き出す。


それは不安や緊張、朝に食べたソーセージだってなんでもいい。


ずっしりと重くなったビニール袋の口を縛り、瀬名は立ち上がる。

近くにあったゴミ箱にそれを投げ捨て、口元を片手で拭った。


「『瀬名、気分はどうだ?』」


「I‘m rocki(最高さ。)ng.」


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― 新着の感想 ―
瀬名くんの状態をしっかりと理解・把握して吐くことを促してくれるジャンニさん、本当にありがとう!!本当にいい仲間(*'ω'*) ここで京一さんからの教えが影響してくるのが、印象深いです。 「吐く」とい…
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