遺志
「『ウソみたいなカタチのビルがいっぱいありますね』」
「『アブダビってのはこういうものだよ』」
近未来的な街並みと、綺麗な海を横目に移動中。
「『とりあえず、今日はみんなフリーだし。どっかにご飯でも食べに行く?』」
「『でも、この辺ってやっぱり物価高いんじゃなかったでしたっけ?』」
「『…ああ。コーラ一杯で日本円で言うと2000円くらいする。』」
顔をしかめながらカレルが言う。
「『ま、ぼくらは稼いでるし問題なくない?経済回そうぜ』」
「『いや、俺は今後のためにお金は残しておきたいので。サーキットのホテルにしませんか?』」
ジャンニの言葉に、瀬名が待ったをかける。
「『この1年でサラリーマンが一生に稼ぐくらいの金額は貰ってるだろ?そこまで躍起になって貯金をする理由って何かあるの?』」
ジャンニは悪意なく、心底不思議そうにそう問うた。
「『…瀬名。前々から気になっていたんだが、キミはF1の契約が終わったらどうするつもりなんだ?日本でまたレースをするのか?』」
思わず瀬名は一瞬黙り込む。
でも、次の瞬間にはここで話しておくべきだろうと判断した。
「『俺は…もう来年には走れなくなるんです』」
アブダビの青い空を見上げる。
ビル群が邪魔で、青の面積は少ない。
「『体中にガタがきてるんです。去年の終わりにそれを告げられました…同時に、今レースをやめれば日常生活ぐらいは送れるようになるとも。』」
時折飛行機が頭上を通るのが見える。
「『でも、俺はレースを続けることを選んだ。1年だけでも、憧れのF1をドライブしてみたかったんです』」
瀬名の目線は降りていき、街並みへ。
たまに通るスポーツカーに目が行く。
どこまでも俺はクルマ好きなんだな、と再確認した。
「『…後悔は、ないのか?』」
「『ないっすよ、そんなもん。それに…』」
横切っていくスポーツカーを目で追いながら。
「『俺の遺志を継いでくれるヤツは、もういるので。』」
『圧倒的!!!これはもう、フロックでもなんでもない!!!2年連続、チャンピオン達成ッ!!!』
同時期に行われていたスーパーフォーミュラ最終戦。
ほとんどのレースをトップチェッカーで終え、まさしく無双といった具合の若者がいた。
「ボクは叔父さんの言いつけを守ります。来年度も優勝して、再来年はF1に向かいます」
インタビューを受けるのも、心なしか慣れてきたように思う。
『F1と言えば、伏見瀬名選手がとてつもない活躍を見せています。何か彼にメッセージはありますか?』
その質問にスーパーフォーミュラの覇者、若き天才は答える。
「ありません。ボクが伝えたいことは、今までにもう伝えきってますから。」
更に、裕毅はこう続けた。
「瀬名さんは、ボクの自慢の師匠です。」
深夜2時。
ホテルの一室で瀬名はふと目を覚ました。
喉の渇きを覚え、冷蔵庫の中にあるペットボトルを手に取る。
水道の水をそのまま飲めないのはやっぱり不便であるが、それにもようやく慣れてきた。
コップに注いだ水をグイッと飲み干すと、またベッドに戻っていく。
さっきまで見ていた夢は、なんとも不思議なものだった。
裕毅が、ハンドルを握っている。
だが、それはスーパーフォーミュラやF1のステアリングではなかった。
ゲームである。
ゲーム用のハンドルコントローラーを、裕毅は笑顔で操作していた。
夢特有のいきなり起こる場面転換で、様々なドライバーがゲームをする様子が見えた。
その中にはルイスやジャンニ、カレルに周の姿もあった。
全員ルイスのホームパーティーで見た顔だ。
恐らくF1ドライバーだろう。
F1ドライバーたちが仲良くゲームをしているところを、俯瞰で見ている。
そして、ふと背後に気配を感じたと思えば、聞きなじみのある声が聞こえてきた。
『お疲れ様、瀬名。』
振り返ると人の姿は無かったが、足元には紅いお守りが落ちていた。
そのお守りに触れると、目が覚めた。
瀬名はコップをサイドテーブルに置くと、ベッドに腰かける。
夢の内容を思い出していると、なんだか幸せな気持ちになってきた。
それと同時に、胸の奥底からざわめきが起こりだす。
これは…。
緊張だ。
「…やっと来たか。」
さあ、俺の力となってくれよ。
窓からは、夜景と共にサーキットが見える。
明日は予選日。
最後の戦いが、明日から始まるのだ。
5年前の俺に、今の状況を説明したらなんて言うだろうか。
『F1グランプリで絶対王者と最終戦まで同点の勝負をしてるよ』
って。
バカだろ。
流石に。
ただのレースゲーム好きの学生が、ここまで来たんだ。
色んな人の力を借りた。
でも、俺自身の力も十二分に発揮した。
その結果がこれだ。
最高じゃねえか。
…。
「…寝るか。明日は早い。」
またジャンニさんに起こしてもらうわけにもいかないしな。
再び寝入るのに時間は要さなかった。