黒鳥
「『いつ振りかな…こんなに沢山のマシンが視界に入るのは…』」
最後方、20番グリッド。
既にマシンのエンジンには火が灯っている。
「『…ッ。ガラにもないが、ワクワクしてきたな。』」
コックピットの中で、絶対王者と呼ばれた男は武者震いをする。
今まで、食う、寝る、勝つ。
その繰り返しだった。
「『待っていろ、すぐに行く。』」
そんな退屈な生活を変えてくれたのは、間違いなく彼らだ。
「Wake up. 」
レースが始まる。
「To keep the speed of sound.」
予選から好調だったカレルが後続を牽引。
瀬名は無理に仕掛けず、カレルについていく形となった。
そして、動きがあったのは後方である。
最後尾スタートの黒いマシン。
ブラックアウトからの驚異的な反応速度で、1コーナーまでに4台を抜き去り16番手に浮上。
1コーナーで15番手に仕掛ける。
インに捻じ込んだかと思えば、一瞬で前に出た。
レース後、一瞬にして抜き去られた者は皆同じ事を話した。
「『まるで、黒い鳥が横切ったようだった』」と。
『『ルイスが12番手に浮上した!』』
レースは2周目に入る。
「『…速くないか?』」
「『予想外。ほんっとに予想の外だわ。』」
「『追いつかれるのは時間の問題か…』」
「『ぼくらの予想なんてものは、ルイスには通用しないわけね。ただ…』」
トップ4台にも無線が入る。
「『ぼくたちを…』」
「『オレを…』」
「『俺たちのところに来たとき…』」
「『…そう簡単に、抜かせはしない。』」
3周目、ルイスは9番手を走行中。
『『トップ4は動かない。縦一列でグループを形成している。』』
「『Copy…それなら俺にも都合がいい。』」
ルイスはアクセルを踏みしめ、前を行く8番手を陥れる。
ジャンニまではあと3台。
そして、ルイスの予告した5周目まではあと1周半。
ペースは更に吊り上がっていく。
「『…楽しい。実に楽しい。気持ちがいいね…オーバーテイクってものは。』」
トップグループがホームストレートに帰ってくる。
そこから3秒ほどの沈黙の後、3台が固まって突っ込んでくる。
その後ろに、黒い影。
どこからともなく現れ、瞬きのうちに5位から7位の集団を食い荒らしていった。
もう、誰も止められない。
『『ルイスが5番手まで上がってきたぞ…!』』
「『バカ言っちゃいけねえよ監督さん…まだ5周だぞ…!?』」
3位、周が反応する。
『『そんなこと言ったって、3秒後方に実際に来てんだ!気を付けろよ!』』
「『どうやってだよォ!!!』」
周の耳に、かすかなエンジン音が聞こえてくる。
集団の4台ではない、新たな音が。
ひたひたと、静かに、でもけたたましく忍び寄る黒い影。
周は恐怖した。
もはやルイスに対する感情は人間に向けるものではなく。
バケモノ、得体のしれない存在に対する恐怖。
5周目の最終コーナーを抜けると、その音は更に大きくなっていった。
予告された5周目。
「『…いるぞ!!!真後ろに!!!』」
ジャンニが叫ぶ。
しかし、その恐怖の対象となった本人は、いたって落ち着いていた。
その落ち着いた声で、静かに呟く。
「Activate the DRS.」
『黒鳥』、ルイス・ウィルソン。
ルイスが今翼を広げる。
DRSによって強化されたストレートスピード。
「『ジャンニ。』」
前に居た4台よりも20キロほど速い速度で。
「『周。』」
表彰台圏内へ。
「『瀬名。』」
大外から抜いていく。
「『そして…カレル。』」
タイヤ戦略の違う4人を、あっという間に置き去りにしていった。
観衆よ、視聴者よ、そしてドライバーよ。
さあ、目に焼き付けろ。
これが、ルイス・ウィルソンだ。