亡霊
グランドスタンドには各チームごとの応援団が集結し、大きな応援旗を振っている。
そのすぐ横を、時速300キロで駆け抜けてゆくマシンたち。
「『Keep push、瀬名。このまま後ろを引き離そう…俺とキミ、2人で楽しもうじゃないか』」
「くっ…凄えプレッシャーだ…!」
瀬名とルイスのトップツーは、早くも3位以下を引き離しつつある。
「『…焦るな…瀬名たちはソフトタイヤだ。ここで無理をする必要はない…。』」
「『んー、カレルのペースは悪くなさそうだし、大人しくしてよっかな。』」
3位から5位は集団を形成。
彼らはスタートタイヤにハードを選択。
集団のトップを走るカレルは、無理してルイスについていくよりも自分のペースを貫く戦法を取った。
「『瀬名が逃げるぞ…チンタラ走るなフェラーリども…!』」
その戦略に不満を示したのが、5番手を走る周冠英だった。
一刻も早く瀬名に追いつきたい周としては、先のことを考えたフェラーリ勢のペースは少々物足りないものがあった。
車列は、コース前半のS字区間を抜けて中盤へと入っていくところ。
コースの丁度折り返し、ヘアピンカーブ。
しびれを切らした周が、ジャンニに仕掛ける。
「『うわっ!ビックリした、ここで来るなんて…』」
周のマシンがイン側に滑り込んでくる。
タイヤ同士が軽く接触。
ジャンニのマシンが少し揺れる。
「『悪く思うな、これはオレが勝つためだ…!!!』」
周のマシンがヘアピンを脱出。
ワンテンポ遅れて、アウト側に押しやられたジャンニが加速に転じる。
「『うーん…今のはぼく悪くないよね。…ま、次つぎ。』」
一瞬首をひねるものの、特に気にした様子もなくジャンニは5位に甘んじた。
だが、一連の流れをバックミラー越しに見ていたカレルは。
「『…今のはいかんだろう。』」
続く中速コーナー、スプーンカーブ。
周はまたしてもオーバーテイクを仕掛ける。
次に標的となるのは、もちろんカレルである。
スプーンカーブは2つの角度の違うコーナーが組み合わさり、1つのカーブとなっている難コーナー。
1つ目のコーナーは比較的高速での突っ込みとなる。
車速は、およそ220キロ。
その突っ込みで、周はマシンをイン側に振る。
「『これで仕舞いだ!!!』」
また、ゴッと鈍い音が鳴る。
カレルの横っ腹に周のノーズが掠る。
そのまま、ゆっくりと周のマシンが前に出ていく。
このまま周が3位浮上…かと思われたが。
「『…舐めるな。』」
カレルはラインを変更。
コースリミットギリギリまで外側に膨らんだ後、2つ目のコーナーに進入していく。
インコースに陣取っていた周は脱出のラインが苦しくなる。
そこで、進入で広々とアウト側のラインを使えたカレルがクロスラインを実行。
ポジションを取り返す。
「『…ジャンニは自ら引いただけだ。…フェラーリのドライバーをそう簡単に抜けると思うな。』」
「『おいおい、ぼくのために熱くなりすぎだってカレル。ま、でもちょっと嬉しかったぞ。』」
周とカレルのいざこざの隙に、ワンテンポ遅れていたジャンニが追い付いてきた。
3位争いは、また3台絡みに戻る。
『瀬ー名!瀬ーーー名!!!』
瀬名コールが鳴りやまないグランドスタンド前を、トップ2台が通過していく。
「『オーバーテイクの決定打がまるで無い。…瀬名、やはりキミは…』」
往年のマシンが、ルイスの視界にダブって見える。
「『セナの…亡霊…!』」
当人たちは気づいていない。
2台の差が、本当に徐々にではあるのだが、広がっていっている。
データ上の、0.01秒単位の差ではある。
しかし、確実に瀬名はルイス・ウィルソンを上回り始めた。
「『彼の異名は数え切れぬほどある。『音速の貴公子』、『雨のセナ』、『予選の鬼』…』」
その、全ての異名が恐ろしいほど瀬名の走りと合致する。
「『通算勝利数も、ワールドチャンピオンの回数だって超えてきた。だが。』」
徐々に、目視でもギャップが広がりつつあることが分かる。
「『瀬名とセナがイコールで結ばれるとしたら…』」
単純な速さで、彼に勝てるビジョンが浮かばない。
「『この短期間で、ここまでマシンに適合してきたか…バケモノめ!!!』」
読んで字のごとく、セナの化け物。
ルイスにここまで無力感と絶望を与えた者は、未だいない。
いなかった。
ワールドチャンピオンを7度獲ることだって。
プライベートジェットを買うほどの財を手にすることだって。
容易かった。
生まれてから今まで、勝利よりも敗戦を数えたほうが圧倒的に早く済む。
常勝を期待され、それに応えてきた。
ルイスは速い。
途轍もなく速い。
恐ろしいほど速い。
だからこその乾きもあっただろう。
その乾きを潤す相手がようやく見つかった。
視界の瀬名が、徐々に小さくなる。
バックミラーのルイスが、徐々に小さくなる。
瀬名はふっと一つ息をつく。
そしてまた、鋭い目で前を向く。
ルイス、何を言ってるんだ。
「『バケモノは、お互い様だろ?』」