母国開催
「瀬名さんの彼女さん、お隣いいですか?」
「えっ?ああ、もちろん!」
鈴鹿サーキット、グランドスタンド。
「たこ焼き食べます?」
「あ、じゃあ1ついただこうかな~」
裕毅は怪我が完治し、レース活動を再開している。
その合間で瀬名が出場する日本グランプリを見に来た。
何気に亜紀と裕毅、この2人は初対面である。
「いいですよね、この雰囲気。やっぱり世界最高峰のイベントは違いますよ」
「裕毅くん…だっけ。すごく若く見えるけど…」
「19です。ピチピチです」
19と手で表そうとしたが、指が足りないことに気づき手を戻す。
「なんというか、余裕があるよね。大物感っていうのかな」
「瀬名さんのおかげですよ。」
そこで瀬名の名前が出てくることに、亜紀は少々驚いた。
「瀬名さんは、どんなレースでも毅然としていました。ボクはその真似をしてるだけです」
「そうなの?でもあの子ちょっと見栄っ張りなところもあるからなぁ~」
裕毅は手にしたペットボトルのコーラをグイッとあおり、炭酸に顔をしかめる。
「1つ許せないのは、ボクの前でこれ見よがしにお酒を飲んでくるところですね。早くボクも飲めるようになりたいです」
ペットボトルを指ではじきながら、不満を口にする。
その言葉に、亜紀は少し引っかかるところがあった。
この子は私の知らない瀬名くんを知っている。
嫉妬…と言っていいのかは分からないが、少し羨ましいと感じてしまった。
「ねえ裕毅くん。瀬名くんのこと、もっと色々聞かせてよ。」
でも、この子は瀬名くんにとって特別な子。
だから、私もこの子と仲良くやっていきたい。
「お、ボクに瀬名さんを語らせたら長くなりますよ?」
「おっしゃ、どんとこい!」
確かに、レース前のこの雰囲気は嫌いじゃないかも。
グランドスタンドの和やかなムードとは反対に、ピットの一角では重苦しいオーラが立ち込めていた。
その発生源は、言うまでもなくこの男。
「『今日こそは…勝つ…』」
周冠英の周りの空気は、陽炎のようにゆらゆらと揺れて見える。
しかし、プレッシャーや念は感ぜども、邪気はない。
日本グランプリは第4戦。
3レースを戦ううちに、瀬名への負の感情は次第に消えていった。
見下していた者に出し抜かれた。
たったそれだけのことなのである。
瀬名に対して、己の実力にふさわしい対応をしてはいなかった。
だが、それを取り消すことはもうできない。
ならば、己の実力をふさわしい位置まで持っていけば問題ない。
そう考えた周は、この2か月で凄まじい訓練を積んだ。
指輪なんて買ってる色ボケ野郎とは、話にならないレベルの訓練を。
事実、今回の周のスタートポジションは5番手。
瀬名やルイス、フェラーリ勢に次ぐ、5番手である。
充分に表彰台、優勝も狙える位置。
オレはやれる。
勝ちにいける。
「『周、時間だ。マシンを出すぞ。』」
顔に被せていた黒いタオルを剥ぎ取る。
椅子から立ち上がり、マシンへと向かう。
「『ああ。準備はできてる。』」
日本で、奴を倒すんだ。
『『ルイスのスタートタイヤはソフトだという状況が入ってきた。厳しい戦いになるだろうが、こちらも同じくソフトだ。まずは第一スティント、しっかり抑えよう。』』
「『Copy、監督さん。』」
スタート1分前。
グリッドに着いた瀬名の耳に、場内実況の音声が聞こえてくる。
『Drivers…Start your engines!!!』
その声と共に、鈴鹿は爆音に包まれる。
20台のエンジン音はもちろん、観客の歓声も。
所々で聞こえてくるのは、瀬名の名前。
その小さな声は次第に集まり、ついには会場全体の瀬名コールへと昇華した。
ポールポジションの瀬名は、コックピット内で観客に向かって手を振る。
今までコールなんてされたことなかったから、こっ恥ずかしいが。
「瀬名、これコックピットに入れておけ」
レース前、琢磨に手渡されたのは白い布。
「なんだ?これ」
「日本国旗だ。優勝したら振れよ」
布を開くと、確かにそれは日の丸だった。
瀬名は一瞬目を閉じ、うーんと唸る。
そして、国旗を琢磨に渡し返した。
「やめとくよ。俺にとって鈴鹿と国旗は縁起が悪いんだ」
「…それもそうだな。じゃ、表彰式の前に取りに来い。表彰台で掲げろ」
「おいおい、表彰台に乗る前提かよ」
瀬名は苦笑い。
だが、琢磨は至極当然といった顔で。
「何言ってんだ。今日お前は勝つぞ。」
「なんだそれ。予言か?」
「いや、オレ未来人だから。優勝した未来から来たから。」
「おめーが何言ってんだ」
レースが、始まる。