帰郷
4月8日。
日本グランプリ、決勝日。
前日に行われた予選で瀬名は自身初のポールポジションを獲得し、波に乗っている。
しかし、二番手タイムはルイスが0.02秒差以内で追従しており油断は許されない展開に。
そんな中、瀬名は今まで世話になった友人たちをピットへ招待した。
「よう、元気してたか…」
「瀬名さーーーん!!!」
瀬名の顔を見るなり真っ先に飛び込んできたのは、裕毅だった。
「犬かおのれは」
「ご活躍拝見しております」
「忠犬かおのれは」
瀬名の周りは人で溢れかえっている。
これまでに作ってきた人脈、人とのパイプ。
それの太さ、強固さが見て取れる。
裕毅は瀬名から離れ、今度は瀬名に同行していた優次に抱きつきに行った。
琢磨と可偉斗は少し離れたところで話をしている。
その内容は…恐らくこの人についてだろう。
「瀬名くん…ほんとによく頑張ってるね」
「…亜紀さん。」
瀬名の目線は大型犬のような挙動をする裕毅から、4年間愛し続け、愛され続けた女性へと移動する。
「瀬名、オレら邪魔だったらどっか行くからな」
「すいませんちょっと黙ってください聡さん」
からかうように絶妙なタイミングで声をかけてきた聡、その他群衆は生暖かい目で2人を見守る。
しかし、この場は不都合だ。
瀬名は亜紀の耳元に口を寄せ、囁く。
「レースが終わったら、またここに来てください。お伝えしたいことがあります」
「『…瀬名、例の彼女はどうなった?』」
「『レース後にピットへ来るように言いました。そこで渡します』」
「『ぼくらフラッシュモブでもやろうか?』」
瀬名の肩に手を回し、笑顔で話しかけると。
「『ガチで余計なことしないでください』」
「『じょ…冗談だよ…』」
初めて見る瀬名の殺気篭もった眼光に、後ずさるジャンニ。
「『…瀬名は友達が多いな。羨ましい事だ。』」
邪気の無い目を細めて、カレルは微笑む。
「『それにしても、ポールポジションか。ぼく、最後に獲ったのいつだったかな…』」
頭の後ろに手を組んで、空を見上げる。
鈴鹿の空は、瀬名にとっては見慣れた色。
「『…本当に勝ってしまうのではないか?そうなったら喜ばしいが。』」
「『そう簡単にいけばいいですけどね。』」
「『ルイスも言ってたでしょ?自信が大事だ、前向きにいこうよ』」
「『俺に足りてないもの?』」
「『そう、瀬名に足りていないものはポジティブな考え方だ。』」
オーストラリアで指輪を買った帰り。
「『俺だいぶポジティブな方だと思うけどな…』」
瀬名たち一行はメルボルンの街を歩きながら雑談をしていた。
「『ポジティブにも種類があるんだ。【具体的ポジティブ】と、【抽象的ポジティブ】ってのがな。』」
これはルイスの持論である。
どこの書物にも載っていないし、医者が教えてくれるわけでもない。
「『レースにおいて必要なのは、この【具体的ポジティブ】なんだよ。』」
瀬名はこれまでも時折、抽象的なポジティブを発揮することがあった。
何の経験もない状態から、いきなり『優次の後を継ぐ』とか言ってみたり。
そんな考えなしとも言えるポジティブさは、メンタル面の大きな支えとなることがある。
しかし、今必要とされているのはそれではない。
「『この間、周と話したんだ。そこで俺は『自分と瀬名と、どちらが優れていると思うか』という質問をした。』」
「『で、彼はなんて?』」
「『すぐに『自分』だと答えた。これが、【具体的ポジティブ】だ。キミに足りていないのはそういうマインドさ。』」
瀬名はあの野郎…と口に出しかけたが、抑え込んだ。
売られたケンカはレースで買うと、決めていたから。
「『その後彼に言ったよ。『日本グランプリで瀬名に勝てたら、ギンザの高級寿司を奢ってやる』ってな』」
「『おお、じゃあ俺も周に勝ったら寿司食えるのか?』」
「『…ラーメンでいいなら。』」
「『なんでだよ!!!』」
瀬名は気づいていない。
ルイスが、暗に『瀬名は必ず周に勝つだろう』と言っていることを。
絶対王者の瀬名への評価は、既に絶大なものになっている。
ルイスは瀬名を、『チームメイトに勝ったら奢ってやるよ』といったことを言える人間だと思っていない。
対等に戦って、負けかねない強敵として捉えている。
だからといって周を下に見ている、というわけでもないのだ。
ただ、人間の深層心理としてどうしても格付けをしてしまうところがある。
その『格』というのは、自分を脅かす可能性が高い人物を順に羅列していくものである。
瀬名は、ルイスの中で『仲間』であると共に『危険人物』にノミネートされたのだった。