プレシーズンテスト
ヴゥゥァァバァァァッ!!!
ヒュゥゥゥ…ヴァンヴァンヴァン…。
2月20日。
バーレーンの空は今日も青い。
そもそもここは砂漠地帯、雨が降ることの方が滅多にないだろう。
今日はF1グランプリのプレシーズンテスト初日。
オフシーズン中久しく聞こえなかった快音が、サーキットにこだまする。
各チームはテストまでにマシンを仕上げ、最終チェックをここで行う。
「『監督!今のラップはどうだった?』」
『『1分29秒635…まだカレルの方が0.2秒速い。この分だとファーストドライバーは…』』
「『ジャンニ、もう一周いきまーす!!!』」
『『…残り二日あるんだ、タイヤを使いきるなよ』』
フェラーリのピットは今日も賑やかである。
その、隣。
今季から参戦のトヨタはというと。
「『だから、オレが先に走るっつってんだろ!てめえのタイヤカスが落ちた路面なんぞ走りたくねえんだよ!』」
「『すっごい、同じこと考えてるなんて俺たち仲良くなれそうだなコラァ!』」
違う意味で賑やかであった。
「『ナカヨク…シヨウヨ…』」
チーム監督涙目。
現在、瀬名を止められる日本人組は同行しておらず、トヨタピットの治安はスラムと化していた。
「『よ、よし。それじゃあせっかく3日あることだし最初の2日は交代で前を走って、そのタイムが良かった方が最終日に前を走る…ってのはどうかな?』」
「…。」
「…。」
監督の提案に、取っ組み合いをしていた2人の動きが止まる。
しばらく硬直したのち…。
「『オレが1日目な。』」
「『何バカ言ってんだ、俺が1日目だよ』」
再び動き始めたと思ったら、またケンカが始まった。
その様子を見ている監督は、クルーの一人に耳打ちする。
「『…明日から、サガワタクマ氏を必ず同行させるように指示出しておいてくれる…?』」
2人のケンカは、あと少し長引いていたら大会運営から遅延行為として処罰の対象になるところだった。
のちにそのことを知った琢磨はブチ切れ、両名を1時間正座させた。
特に深い関わりのなかった周からしたら、恐怖でしかなかっただろう。
理解できない言語で、1時間説教が続いたのである。
事実、2日目以降の彼は挙動が大人しかった。
…そんなことはどうでもいいのである。
彼らの1日目の走りはどんなものであったか。
現時点での最速ラップは、ルイス・ウィルソンが記録した1分28秒224。
だが、2人のタイムはというと…。
伏見瀬名:1分36秒332
周冠英 :1分34秒975
とても良いとは言えない結果だった。
F1直下のカテゴリーであるF2出身の周はいくらかマシンを扱えていたものの、瀬名はマシンの挙動を探るので精一杯の様子だった。
「『ま、そういうこともあるよ。元気出しなー』」
「『自信はあったんですけどねぇ。シミュレーターじゃ良いタイム出てたし…』」
走り終えた瀬名はロッカールームに向かうと、直前に走っていたシャワー上がりのチームフェラーリに出くわした。
ジャンニの誘いで、今はコース敷地内のカフェでランチタイム中である。
「『シミュレーターと実際に走るのとはやっぱり全然違うんだよね。シミュレーターは…』」
「『…あれは、ブレーキングポイントを確認するためのものだ。』」
「『そう、カレルもそのぐらいの認識よね。』」
瀬名は咀嚼していたサンドイッチを飲み込むと、2人に問いかける。
「『何か他に効果的な練習法とかないんですかね。』」
「『ないことはないけど…まあぶっちゃけ、現実的には走りまくるしかないよね~。まともに走れるようになるには数年かかるって人もザラだし。』」
「『…経験が全てだ。』」
これは非常に悩ましい。
瀬名には時間がないのだ。
そんなことを下を向いて考えていると、ジャンニが突然。
「『瀬名。キミ、なんかワケありでしょ。』」
下に移していた瀬名の目線が、ジャンニの顔まで一気に上がる。
驚いた瀬名は、率直な質問しか寄越すことができなかった。
「『な、なんでそう思うんですか?』」
「『んー?なんとなく。勘かな。』」
「『…ジャンニの勘は、いつも正しい。』」
ジャンニは何かを思いついたような表情をした。
ジャンニの思い付きを、カレルも瞬時に理解したようだった。
「『無理にワケは話さなくていいよ。人にはプライベートってものがあるからね。ただ…』」
ジャンニはテーブルに肘を置き、ずいっと対面の瀬名の方へ顔を寄せる。
「『本来は現実的じゃないけど、あるよ。効果的な練習法。』」
「『…ああ、一応はな。』」
カレルは腕を組み、ゆっくり頷いた。
「『それは、どんな方法で…?』」
「『簡単だよ。仲のいい先輩F1レーサーに手ほどきを受ければいいのさ』」
「『そんな人が都合よく現れ…あ。』」
ジャンニは両手を大きく広げ、自らとカレルの存在をアピールする。
「『でもそれって、後々莫大な授業料を請求されたり…』」
「『ハハッ!ないない。単純にキミが気に入ったから、この提案をしてるわけ。』」
「『…我々は、瀬名に光るものを見出したのだ。』」
ルイス・ウィルソンを玉座から引きずりおろせる、その才能を。