フェラーリのふたり
会議が終わり、2人のドライバーはそれぞれ別の方向へ歩いていった。
瀬名は逆側に用があったが、周と同じ方面に行くのは嫌だったので別の場所で時間を潰すことにしたのだった。
建物の3階に上がると、コースが見渡せる場所があった。
給水機で水をコップに入れ、窓際のテーブルに着いてみる。
それにしても、コース外は見渡す限り砂だらけ。
砂漠の中にポツンと、サーキットがあるだけだ。
ふと、コースの方を見てみると男性が1人歩いているのが見えた。
遠目からでも日本人ではないと分かる黒い肌。
ドレッドヘアーを後ろで結んだいで立ち。
そして、一目でレーサーだと分かる太い首を持っていた。
とは言ってもそこまでゴリゴリにガタイがいいというわけではなく、アスリートらしい細マッチョでスマートな体系に見える。
彼も戦うことになるライバルなのかなと考えていると、その男はこちらを振り返った。
一瞬、瀬名の目と視線が交錯する。
それと同時に、瀬名の肩に凄まじいプレッシャーがかかる。
鋭い眼光、胸にメルセデスのマークがあしらわれた簡素なTシャツ姿であれど、隠しきれない威圧感。
同じ人間であることを疑う。
その男は首元に掛けていたサングラスを手に取ると、それを身に着けて瀬名の視界からは消えていった。
こちらに気づいていたわけではなかったのだ。
「…スゲェな。俺、あんなのと戦うのか…」
呆然としていると。
瀬名が外を見ている窓ガラスに、2人の人影が映る。
瀬名は彼に夢中になっており、背後から近づく気配に気づかない。
「『よ。生のルイスを見た感想は?』」
肩に手が置かれる。
「『うわっ!ビックリしたぁ…急に話しかけないでくださいよ…』」
「『じゃあ急じゃない話しかけ方を教えてほしいねぇ』」
驚いた瀬名が振り向くと、そこには2人の男が立っていた。
2人ともフェラーリのイメージカラーである赤いTシャツを着ている。
彼らはチームメイト同士らしい。
「『ぼくはジャンニ・ルクレール。んで、こっちがカレル。彼は口数は少ないけど、悪い奴じゃないよ。』」
「『…カレル・サインツだ。…どうも。』」
小さく、低い声で喋りながら手を差し出してくるカレルに、瀬名はおずおずと手を合わせた。
カレルはマスクをしており、口元の表情が分かりづらい。
その様子をニコニコしながら傍観するジャンニ。
彼の笑顔は屈託がなく、瀬名に師の笑顔を彷彿とさせた。
そして、ジャンニはよく見ると…否、よく見なくてもかなりのイケメンだった。
「『で、生ルイスどうだった?』」
「『ルイス…ああ、さっきの人ですか?』」
その瀬名の返事に、2人は信じられないといった表情をした。
「『キミ、今シーズンから参戦のトヨタのドライバーだよね?』」
「『そうですけど』」
「『驚いたね…モータースポーツをやっていて、ルイス・ウィルソンを知らないなんて。』」
瀬名は目標としてF1参戦を掲げてはいたが、特に観戦をしたりF1のことを詳しく調べたりはしていない。
世界の頂点へ向かうため、ただそれだけのために今までひたすら走ってきた。
「『ルイスは、ぼくがF1に来る前から一度も年間チャンピオンの玉座を降りたことがない。とんでもないよ。』」
「『…ジャンニのF1デビューは5年前だ。』」
「『補足説明ありがと、カレル』」
ジャンニがカレルの頭を撫でようとすると、カレルは嫌そうに手を振り払った。
「『…確かに、途轍もない圧力を感じました。俺があんな人と戦えるのかなって…』」
瀬名がそう言うと、ジャンニはうんうんと頷く。
「『そう思うのも無理はないよ。だけど、ぼくも何レースかは彼の前でゴールできてる。つまり…』」
「『…共に足掻こう。』」
「『そう。そゆこと。』」
カレルが挟んだ言葉に、指を鳴らして同意するジャンニ。
「『じゃ、ぼくらはそろそろ行くね。明日からはマシンテストで走るんだ。次はコースで会おうね』」
「『…では。』」
手を振り、去っていく瀬名は同じく手を振って見送った。
周のこともあって人間関係が不安だったけど、仲良くしてくれそうな人もいた。
まずは一安心である。
「ふう…そうか。明日は俺も走るのか。」
少し緊張はするけど、きっとうまくできるはず。
何より、周には絶対負けたくない。
もう少し外の景色を眺めたら、シミュレーターの練習をしよう。
そんなことを考えながら、窓の外の何もない砂漠を見つめていた。
「『そうか、セナの生まれ変わりって言われてたのは彼だったのか!』」
「『…Sena Fushimiだ。…そう、データには書いてある。』」
「『確か1年契約だったよね。』」
フェラーリの会議へ、カレルと一緒に向かう。
ぼくらは雑談…主にさっき会ったドライバーについて話をしながら建物内を歩いていた。
「『いやー、それにしても彼がルイスと会ったらどんな話をするのかな。』」
「『…ルイスは、優しいから大丈夫だ。』」
「『マジで最初、ギャップすごかったよね。』」
だが、彼の才能は未知数だ。
日本のスーパーフォーミュラでは高い優勝確率を持っているが、同時にリタイア率も高い。
レベルの高い日本モータースポーツでのこの両極端な成績は、もしかすると…。
「『今年1年、戦う準備はできてる?カレル。』」
「『…愚問だな。』」
今年に全力で集中し、調子とコンディションが上振れた場合。
彼はルイスを喰うことができるかもしれない。