繋ぎ止めていたもの
瀬名の脳は、すぐに回避するべく思考・行動を開始した。
人間の反応速度の限界であるとされる0.1秒後、ブレーキングを開始。
0.12秒後、回避のためのステア操作を行う。
スローダウンしていた車両の横を掠め、回避には成功する。
しかし、ステア操作による急激な荷重移動によって、マシンは左右にふらつく。
これ以上ステアリングを持とうとすると腕がちぎれる。
制御不能となったステアは、左右に暴れまわっている。
とうとう、瀬名はステアリングから手を離し、腕を体の前で十字にたたんだ。
衝撃吸収の体勢である。
制御を失ったマシンはコース外へ吹っ飛んでいく。
砂を巻き上げながら壁に激突。
衝突時の速度は211キロにまで減速していた。
とは言っても凄まじい衝撃が、瀬名を襲う。
衝突時のあまりにも強すぎるGフォースで、瀬名は意識を失った。
瀬名は救出され、病院へ搬送された。
取り残されたマシンから、オイルが漏れ出ている。
そのオイルがエキゾースト付近の最も温度が高くなっている場所に触れ、誰も乗っていないマシンに火が付いた。
その火の手はどんどんと大きく燃え上がり、いつしかマシン全体を覆っていた。
コックピット内、つい先ほどまで瀬名がいた場所。
そこにはオーストリア国旗と、紅いお守りだけが取り残されていた。
後日、瀬名がその2つについて問うたとき。
それの所在を知っているものは誰一人としていなかった。
「久しぶりだね、瀬名。」
辺りはいつかのように白く、だだっ広い。
「あれ…俺、死にましたか?…京一さん。」
3年ぶりに会う、もう会えないはずの人。
「いや、死んでないよ。だから僕と話せるのも一時のことだ。」
色々と聞きたいことは山ほどある。
向こうでの生活はどうですか、とか。
遺言適当すぎたんじゃないですか、とか。
でも、一番聞きたいことを聞こう。
「俺の走り、見ててくれましたか?」
瀬名は少し俯き、恥ずかしそうに聞く。
「おーおー、見てたよ。なんか最近すっげー偉そうな走りしてるなと思ってた。」
心当たりはある。
裕毅に慕ってもらえるのが嬉しくて、調子乗ってた。
「ま、それは冗談としても。まあまあ頑張ってるじゃん。」
ニカッと笑い、拳を合わせてくる彼は、自動車部にいたあの時と全く変わっていなかった。
「じゃ、僕はここらで失礼しようかな。」
「え、早くないですか?もう少し話したいです」
京一は瀬名に背を向けると、ゆっくりと遠くへ歩いていく。
「できないんだ。僕と現世を繋ぎ止めていたものが、なくなったから。」
京一はポケットから、あの紅いお守りを取り出す。
「あっ!それ、どうしてここに…?」
「キミを救急隊が救出したあと、マシンが燃えた。要はお守りをお焚き上げしちゃったってわけ。」
お守りをポケットにしまいなおすと、今一度瀬名の方を向く。
「ここは現世と天国の中間みたいな場所だ。夢とか意識がないときはここに来るみたいだね」
「じゃあ、京一さんがここまで降りてこられたのは…」
「そう。このお守りのおかげ。言ったでしょ?念を込めてたって」
京一の身体が、まばゆい光に包まれていく。
「今まではコレを通じて僕もいくらばかりかの手伝いができた。でも、これからはキミ自身の力で頑張るんだ。」
その姿は、もはや見えない。
「じゃ、またね。あんまり急いでこっちに来ないでよ?僕は気長に待ってるからさ」
瀬名の視界は、真っ白に包まれたあと一気に暗転した。
「お、目ぇ覚ましたな。」
もう一度目を開くと、知らない天井だった。
腕には点滴が刺さってる。
身体を起こして辺りを見渡してみると、知ってる顔が勢ぞろいしていた。
「瀬名くん、ごめんねぇ…私があの時ハッキリ止めてれば…」
瀬名が目を覚ますなり駆け寄り、泣き崩れる亜紀。
「いや、亜紀さんのせいじゃ…というか、病室ギッチギチじゃないですか。いやありがたいことなんですけど」
長谷部尚貴、松田優次、桑島正治をはじめとしたお世話になった大人たち。
もちろん父、稔もいる。
「おい、オレらへのコメントはなしか?」
佐川琢磨、小林可偉斗、中島聡ら戦友たちも皆、この病室にひしめき合っている。
「一人一人にご挨拶してたら日が暮れるでしょうが…みなさんどうも。」
隣でうずくまって泣いている亜紀の頭を撫でながら、声をかけてくる見舞客に逐一応答する。
そんな中、1人神妙な顔をしてこちらを見てくる者がひとり。
「琢磨、どうしたそんな顔して。」
「いや…良いニュースと悪いニュースがあるんだが、聞くか?」
「洋画かよ」
琢磨の聞いたことが無い物言いに、思わず吹き出す。
が、そのニュースは予想外のものだった。
「良いニュースは、この事故での怪我や後遺症は一切ないってことだ。」
「ええやん。体痛くないもんな。で、悪い方は?」
「お前、このままだと歩けなくなるぞ。」