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光速の貴公子 ~30年目のトリビュート~  作者: 紫電
第五章 スーパーフォーミュラ
118/157

時速309キロ

翌日、午前10時。


瀬名らチームMAXWELLは、決勝前の最終調整を行っていた。

昨日起きた裕毅のクラッシュを受けて、マシン状態のより詳細な安全確認を遂行する。


「瀬名くんのグリッドは12番手です。昨日のQ2進出者からクラッシュが出ているので、実質的には11番グリッドということになります。」


Q2を辞退した瀬名は、Q2進出者の中では最後尾のグリッドとなる。


「ん?瀬名くん、何ですかそれ?」


尚貴は瀬名の右手に握られた布を見て反応する。


「…オーストリア国旗です。昨日亡くなった方の出身国だそうで…俺が優勝したらコックピットから振ろうかと思って。」


スーパーフォーミュラは日本のレースイベントだが、ドライバーは世界各国から参戦してくる。


…異国の地で、全く本望ではないだろう。

せめてもの弔いである。








瀬名はマシンに乗り込む。


いつもの習慣で、無意識に行っていたことがある。


鞄から紅いお守りを出し、コックピット内にくくりつける。

いつもと変わらない動作のはずが、なぜか今日だけは違った。


無意識にできるはずなのに、毎回やっているはずなのに。

初めて行ったかのように、一つ一つの動作を意識しながらでないと動作を完了できなかった。


お守りの紐を結ぶ動作一つ取っても、結び方を頭の中で反芻しないといけなかった。

このお守りが何であるかを思い出せと言わんばかりに。


事実、瀬名はこの動作が日常化しすぎてこのお守りが誰に貰って、どういったものであるかを意識してはいなかった。


でも、今日は思い出さずにはいられなかった。


「京一…さん…。」


遠い昔にこの世を去った師を、友を。








空はいつ雨が降ってもおかしくないほど黒く、暗い。

しかし、雨雲レーダーが反応することは一切なかった。


予報でも今日いっぱいは曇りとなっている。


『マイクテスト、マイクテスト。』


「OKです。」


グリッドに着いた瀬名は、目を閉じる。

が。


すると途端に怖気(おぞけ)に襲われた。

怖くて目を閉じることができない。


「ふっ…ふっ…大丈夫…大丈夫…。」


小刻みに息を吐きながら、震える手でハンドルを握る。


死を身近に感じたのは、いつぶりだろうか。

それこそ、彼がいなくなったとき以来だろう。


スタート10秒前。


いつもは目一杯上を向かなければ見えないシグナルは、今日はかなり余裕をもって眺めることができる。

それだけ、これほど後方からのスタートは久しぶりであるということだ。


シグナルがオールレッドになる。

エンジン回転数を上げ、スタートに備える。


「…。」


ブラックアウト。

全車が一斉にスタートする…かと思えば。


「うわッ!!!!!」


瀬名の真正面、10番手のマシンがエンストで動かない。

間一髪で瀬名は避けるも、瀬名の後続14番手のマシンが突っ込んでしまう。


パーツが飛び散り、蜘蛛の子を散らすように後ろのマシンたちがそれらを避ける。


当然、イエローフラッグ。

そしてセーフティーカーが入る。


「ハァ…ハァ…マジで勘弁してくれ…」


追い越し禁止、徐行が命じられた瀬名はアクセルから足を離す。

片手をステアリングに添えたまま、もう片方の手で頭を抱える。


セーフティーカーに先導されている間も、恐怖に苛まれ続けた。


ゆっくり、ゆっくり走るセーフティーカー。

だが、瀬名の鼓動は留まるところを知らずに速く、速くなっていく。


自らの耳にも、その音が聞こえてくる。


いつしか、その音はエンジン音よりも大きく、聴力の容量を圧迫していく。

セーフティーカーがピットに入った。


レースが再開されると、瀬名はもはや何も考えずにアクセルを全開にする。

次第に前のマシンとの距離が縮み、脊髄反射でオーバーテイクを仕掛ける。


しかしそこは圧倒的な実力を持つ瀬名である。


別のことに脳内を侵食されていようと何だろうと、速いものは速いのだ。

各周一台のペースでオーバーテイクを成功させていく。


「よし…俺は大丈夫…大丈夫だ…。」


極度の緊張。

視界が狭まり、行く先をただ見つめる。


違う。

これは彼が言っていた『ゾーン』とは違う。


これはただ、周りが見えなくなっているだけだ。


いつしか視界のみならず聴覚も、自らの鼓動が大部分を占めるようになっていく。


神経を情報が伝わっていく耳鳴りのような音。

血液が巡る濁流のような音。


聞こえてくる音の全てが、自分の身体由来になっていく。

目をつぶり、耳栓をして時速300キロで疾走することを想像してみてほしい。


どうしようもない恐怖が伴うだろうが、この恐怖がその不自由な視聴覚由来であるのかすらわからない。


しかし、瀬名のポジションは上がっていく。


既に2位を陥れ、1位まで残り0.6秒。

コース後半の高速コーナー・130R。

そこで仕掛けられるはずだ。


1位のスリップストリームに入り、加速していく。

鈴鹿サーキットで最もスピードが乗るこの区間。

最高時速は、309キロに達した。


『…周回…車両…る…!!!』


うるさく鳴る自らの心臓の音をかき分け、何者かの声が聞こえてきた。


『スロー…遅れ…いる…!!!』


その声を解読するより、瀬名は1位に仕掛けることを優先とした。

その判断が間違っているということは明白だが、優先順位を考えるほどの余裕はもはやない。


130Rに差し掛かる。

瀬名が1位を奪い取ろうと、横に並びかけた瞬間。


『スローダウンしている周回遅れの車両がいるんです!!!!!!』


一台の車影が、狭くなった視界に大きく映し出された。


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― 新着の感想 ―
なんか、ずっとおかしい……怖い、違和感……不穏過ぎて、読んでてずっと震えます((((;゜Д゜)))) 嫌な予感に支配されています……ずっと。 京一さん、お願い!瀬名くんを守って!!!!
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