バギー
「着きましたよ、瀬名さん。起きてください」
「ハッ!おやつカルパス!」
「なんの夢見てんすか」
2人を乗せたレンタカーは当初の予定通り、午後3時30分にホテルへ到着した。
ひと眠りしたことで酔いが醒めたのか、裕毅が荷物を降ろす間にチェックインの手続きを済ませる瀬名。
「部屋の鍵貰って来た。8階だってさ」
キャリーバッグをホテルマンに預けた裕毅に、2枚のカードキーをトランプのようにパッと開いて見せた。
2人は従業員に案内されるようにエレベーターホールに向かう。
茶色の地に金色の装飾が施された扉。
エレベーターのボタンは突起しておらず、上矢印のそれは触れるとぼうっと火が灯ったように光った。
「押し込まなくてもいいんですね、このボタン」
「そういうのもあるよ」
ポーンという音と共に扉が開き、中に入る。
その中は臙脂色のカーペットが敷かれており、全体的に高級感のある空間になっていた。
そんな中、裕毅の目を引いたのは壁に掛けられた一枚の広告。
「瀬名さん瀬名さん、これ面白そうじゃないですか?」
「ん?なになに…?やんばるバギー…森の中を駆け抜ける、スリル満点アクティビティー…」
本当にクルマに関係することしか目につかないのかと思うほどめざとい彼ら。
だが、当人たちが楽しければそれでいいのである。
「いいね。明日行ってみるか」
「あ、でも予報だと明日は雨ですね…」
手元のスマホを見ながら裕毅が呟く。
それを聞いて、瀬名は口角を上げた。
「いいじゃねえか。雨でぬかるんだ路面ならスリルも二割増しだ。俺らはちょっとやそっとのクルマ系アクティビティーじゃ満足できねえ体になっちまってるんだからよ」
「…それもそうですね」
2人はお互いの顔を見合わせると、『フフフフ』と不気味に笑い出す。
「…なんなのこの子たち…。」
エレベーターに乗り合わせていた家族連れはドン引いていた。
「まって?コケない?これ転がらない???」
「瀬名さーん、後ろ詰まってまーす」
「裕毅、先行ってくれよ!これ無理だよ絶対横転するって!!!」
昨日の発言はどこへやら。
瀬名はビビり散らかしていた。
それも仕方ないのかもしれない。
スリルの種類が違うのだ。
たとえ整備された、滑らかなサーキットで300キロを出すのが大丈夫でも。
「ほら!片輪浮いてるから!!!」
「浮いてませんって」
山奥の、起伏の大きいオフロードで20キロで走るのは、また違った怖さがある。
特にバギーは四輪ではあるものの、生身が露出している。
そしてカートよりも車高および重心が高い。
乗り味はとても不安定に感じる。
それがぬかるんだ凹凸路面と合わさり、得も言えない恐怖感に繋がるのだ。
「ほらほら、さっき『ドリフトで全コーナー抜けてやるぜ』って言ってたじゃないですか。アクセル開けてます?」
「無理無理。絶対無理しぬしぬ」
裕毅は楽しんでいる。
バギーだけでなく、瀬名の反応も楽しんでいる。
「まっておもしろすぎます。動画撮って聡さんに送っちゃお」
「性格悪いぞ裕毅ィ!!!」
後続のツアー客からも笑い声と共に、『ゆっくりでいいよ』という優しいお言葉が飛ぶ。
その気遣いもひっくるめて、瀬名は恥ずかしくて仕方なかった。
「ハァ…散々だったふぁ…」
「ボクは面白かったでふけどね」
2人の口には、特大の飴玉が含まれている。
先程居合わせたマダムが、『楽しませてくれてありがとうね』と2人に渡していったのだ。
「てか、この飴何味なんでふかね。トロピカルな味がするということは分かりまふが…」
「ふふみはみ見へてみろよ」
「はい?」
「ふ ふ み は み !」
「はい?」
恐らく包み紙である。
瀬名は裕毅が手に持っている包み紙をひったくると、その小さな小さな文字を解読し始めた。
「は~。これ、パッションフルーツだ。」
本州の人間にはあまりなじみのない果物かもしれない。
だが本州でも一定数栽培されており、名産となっている市町村なども存在する。
果実をカットし開けると、つぶつぶした種の周りに黄色く半透明の仮種皮がある。
この仮種皮が可食部であり甘酸っぱく、種ごと口に入れる。
種を食べてしまっても害はないが、嚙み砕いてしまうと苦みや渋みが強いのでそのまま飲み込むことをオススメする。
「おいひいでふね、これ。本物も食べてみたいでふ」
「今晩のビュッフェで出るかもしれんぞ。」
「お~!じゃあ早くホテル戻りましょ!」
時刻は午後4時。
しとしとと降りしきる雨の中、2人はホテルへ戻るためのクルマに乗り込んだ。