初陣
「久々に走れると思ったのに…」
「すまんな京一。ここは俺自らがあのクソガキどもに引導を渡してやる。」
星野は京一の頭をポンポンと叩き、ジムカーナの会場になる駐車場に目をやる。
「亜紀さ~ん!!!そこのコーンもうちょい右~!!!」
「ぱーどぅん!!!???」
「日本語でいいだろ」
部員総動員で準備が進められている。
「可偉斗、亜紀。お疲れ様。悪かったな、付き合わせて」
「ぜーんぜん!なんか面白そうですし」
亜紀のその言葉に可偉斗も頷く。
「…それじゃあ、コースを説明する。」
星野はガレージから持ってきた持ち運び可能なホワイトボードにコースを描き始める。
「今回は初心者のお前らでも走れるような簡単なコースだ。ただし本当に速い者とは単純なコースでも差が出る。」
コーンを意味する赤いマグネットをパチパチとホワイトボードにつけていく。
「スタートして、まずはスラローム。それが終わったら一番奥のコーンの周りを二周回れ。そうしたら来た道を戻るようにまたスラローム。最後はスタート地点に四角形に置かれたコーンの中に停車させるんだ。」
マジックペンでキュッキュと音を立てながら道筋をたどっていく。
最後に四角く置かれたマグネットの中心をペン先でトントンッと叩いた。
「え、こんだけ?」
「覚えられるか心配だったけどこれなら楽勝だな。」
それを聞いた星野は、何かを言おうとしたがぐっとこらえてガレージの中のクルマを取りに行った。
ほどなくして、辺りにイイ音が響いてきた。
このシビックというクルマはVTECと呼ばれる音に定評のある機構を搭載しているのだ。
運転席の窓を開け、身を乗り出して星野は問う。
「さあ、誰からやる?そっちで順番決めていいぞ。」
そう言う彼の表情にはすこし笑みが含まれていた。
走ることができる喜びからか、はたまた余裕からか。
「じゃあ、俺行こうかな。」
同じく笑みを浮かべる男がここにも。
瀬名の目には自信が溢れていた。
「スタート10秒前!!!」
右手に旗を、左手にストップウォッチを持った京一が叫ぶ。
ヘルメットもレーシンググローブも初めて身に着けた瀬名は少し窮屈そうだ。
「5、4、3、2、1…ゴー!!!!!」
目一杯アクセルを踏みしめ、瀬名はスタートラインを飛び出した。
「うおッ…!」
初めて感じる、横方向の重力。
混乱しながらも、レーシングシミュレーターでの経験を頼りにクルマを前に進める。
ヘルメットを被った頭が左右にブンブンと振れる。
旋回Gに慣れていないうちはありがちだ。
「身体が…戻らねェ…ッ!!」
コースも折り返し、一番奥のコーンを周回するエリアに差し掛かった。
ハンドルを右に切っているのに対して、瀬名の身体は左に傾きっぱなしだ。
後半もその貧弱な体幹は変わらず、残すはエリア内に停止するのみとなった。
「ブレーキングだ…!ブレーキングで挽回する!!」
瀬名は完璧なタイミングでブレーキを踏んだ…かに思えた。
最初こそ順調に減速したものの、踏み込んだブレーキがいきなり軽くなるのを感じる。
タイヤがロックしてしまったのだ。
「嘘だろ!?!?止まれ!止まってくれ!!!!」
その祈りも虚しく、瀬名のマシンはエリアを少しはみ出して止まった。
「まだタイム計測終わってないよ~」
京一のその言葉にハッとし、瀬名はバックギアに入れてエリア内に止めなおす。
瀬名の初陣は散々な結果に終わってしまった。
「ミスったら笑い飛ばしてやろうと思ってたけど流石に同情するわ…。」
下を向きっぱなしの瀬名に対して、琢磨が言った。
「ヤメテよそれ一番効くから」
やっと琢磨の目を見た瀬名の顔は紅潮しきっていた。
「…フッ。すまんな、ABSを切っているというのは言っておいた方が良かったか。」
星野は大笑いしそうになったところを何とかこらえてそう言う。
ABS、アンチロックブレーキシステム。
簡単に言えば強すぎるブレーキによるタイヤロックを避けるための機構だ。
スピードが出た状態で自転車の後ろブレーキを強くかけるとタイヤがロックするだろう。
それをとても短い間隔でブレーキを握ったり離したりしてロックを避ける、そんな機構である。
「あ。瀬名くん、タイム41秒389ね。」
「もうタイムとか関係ない次元でしょうよ!!!」
タイムを告げた京一に瀬名は声を張り上げる。
「おいおい、自分がミスったからって他人に当たるのはみっともないぞ。…それじゃあ、次は俺がやろう。お前らが舐め腐っていた俺の実力を見せてやる。」
星野は余裕しゃくしゃくの顔でクルマに乗り込んだ。
「41秒389っと。」
「もう書かないでイイですよォ!!!」