オールレッド
「いやー、やっぱはえーよ裕毅は」
「なんですか?ポールポジション取っておいて嫌味ですか?」
予選日の全プログラムが完了した。
圧倒的な走りを見せた二人のドライバーは、休養を取るためにサーキットに隣接しているホテルへ向かっていた。
「いや、俺が規格外に速いだけで、裕毅もめちゃくちゃ速いぜって話だよ」
「ちょっとイラっとしましたけど一概に否定できないのがさらにムカつきますね」
冗談めかして言う瀬名の脇腹に軽いパンチを2、3発叩き込む裕毅。
「そんなに言うならちょっとぐらい走り方教えてくれたっていいのに…」
「俺は感覚派だからな。」
その言葉に頬を膨らませる裕毅。
「あ、でもできない事もないぞ」
思い出したように瀬名は手を打つ。
「どういうことですか?」
「こっちの条件を飲んでくれるなら、最高の授業をしてやるよ。」
翌日。
決勝レースの直前、ピット裏で瀬名、裕毅、そして尚貴が話し込んでいた。
「…というのが今回のレースプランなんですけど…」
「なるほど。裕毅くんへの授業企画ですか…」
瀬名が提案したレースプランは次の通り。
・瀬名がトップを走りつつ、裕毅がそのすぐ後ろに張り付く
・二台はバトルを行わず、裕毅は瀬名の走行ラインをトレースするように走る
・レースをしている間その状態を続け、裕毅の頭に瀬名の走りを叩き込む
「ボクとしてはすごく魅力的な話だと思うんです。」
バトルをせず、2位でのゴールが確定するというのに裕毅は乗り気だった。
「F4から来たばかりでまだスーパーフォーミュラのスピードに慣れてないですし、先導してくださるのはありがたいです」
腕を組んで考え込んでいた尚貴も、それを聞くと顔を上げた。
「よし。じゃあ今日はそれ、やってみましょう。」
許可が下りたことで二人は『イエーイ』とハイタッチをし、尚貴に頭を下げた。
「気が早い話ですが、瀬名くんが去ったあとに日本のモータースポーツを支えていくのは裕毅くんです。彼の技を今のうちに継承していくのも、大事だと思いますよ。」
『裕毅くん、瀬名くん。音声は聞こえていますか?』
「バッチリっす」
「聞こえてますよ!」
まだMAXWELLは確固たる体制ができておらず、クルーの他には監督の尚貴1人で2台のマシンの面倒を見ている。
尚貴の器用さもさることながら、何よりもドライバーの圧倒的な実力がその体制を可能としていた。
「決勝レースは31周です。短いレースですが、必ず一度はピットに入ってタイヤを交換してください。」
これはスーパーフォーミュラのレギュレーションで、全レースにおいて一度のタイヤ交換義務がある。
戦略を多様化させ、レースを面白くするための措置である。
「それと、一番大事なことです。同時にはピットに入らないでください。」
なぜここまで強調するかと言うと、ピットイン時の作業に関して問題があるからである。
スーパーフォーミュラでは、1チームあたり1台分しかクルーと器材を用意できない。
つまり、2台体制のチームでは異なる車両を同じクルーが作業することになるのだ。
そんな状況の中で2台が同時に入ってきてしまってはどうなるか。
後方のマシンは前方のマシンの作業が終わるまで停止して待たなければならず、大幅なタイムロスとなってしまう。
「今回は何事もなければ15周目に瀬名くん、16周目に裕毅くんが入る予定でいます。」
『Copy。』
『了解です』
返事を受け取った尚貴はそれまで少々こわばっていた顔を手で揉み、緩ませる。
緊張するのはドライバーだけではない。
『では、健闘を祈ります。頑張れ、2人とも』
その言葉を受けると、グリッドの2人は目配せをしてエンジンをふかし始めた。
静かだった鈴鹿サーキットのボルテージが上がっていく。
スーパーフォーミュラはSUPER GTのローリングスタートとは違い、停止した状態からレースが始まるグリッドスタートを採用している。
ドライバーの反射神経、そして繊細なアクセルコントロールが求められるスタート方式だ。
瀬名と裕毅の頭上に、赤いランプが1つづつ灯っていく。
「この瞬間が一番緊張するんだよな…」
全五個のランプが、3つ、4つと赤に染まる。
そして5つ目のランプが灯った。
これをオールレッドといい、レース開始前の最後の瞬間である。
オールレッドから、過ぎた時間は1秒程度。
しかしドライバーたちは全神経を集中させており、この1秒は10秒にも、1分にも感じられる。
さあ、満員の観客たちが待ちに待った瞬間である。
唸るような大歓声と、それに負けないエンジンの咆哮。
スーパーフォーミュラ開幕戦、2人の天才の伝説が幕を開ける。
ランプの光が一斉に消え、ブラックアウト。
レースが始まった。