あの時
まだ幼い子供だった時から、レースゲームが好きだった。
本当はカートで実際にレースをしてみたいと思っていたけど、それには信じられない額のお金がかかるらしかった。
ウチは貧乏ではなかったが、大金持ちというわけでもなかった。
年間100万円を超える費用を、出してもらうわけにはいかなかった。
けど、私の情熱を受け止めるにはレースゲームで充分だったように思う。
せめてできるだけリアルにレースができるようにと、両親はハンドルコントローラーを買ってくれた。
感謝してもしきれない。
私は両親のことが大好きだ。
私がレースゲームにのめり込んでいったのはそれからだった。
学生時代も勉強のノルマをこなした後は、いつもハンドルを握っていた。
ある時、そのゲームで全国大会の予選タイムアタックがあると聞いた。
もちろん私は応募し、走ってみることにした。
そこで私はあっさりと都道府県ランキングトップで通過。
両親はとても喜んでくれた。
およそ十年間の努力が、報われた気がした。
そのあたりから、『ゲーム』は『eスポーツ』と名前を変えた。
全国大会で好成績を残した私に、リアルレースへ挑戦してみないかという声がかかった。
思ってもみないお声がけだった。
もちろん快諾し、私はレーサーの仲間入りを果たした。
しかし、そこから思うような結果を残せない日々が続いた。
GT300クラスで奮闘するも、優勝はおろかトップ10にも、完走すら怪しい時期が長らくあった。
気分転換に、ゲームをやっているところを動画サイトで配信してみることにした。
一応私は全国大会プレイヤーである。
配信はそこそこ伸びだした。
今から約4年前、二人の高校生の子が配信に遊びに来てくれた。
二人は小さい頃からの友人同士らしく、受験生だというのにレースゲームばかりしている悪い子たちだった。
そして、二人は大学に行ったら自動車部に入ってレースがしたいと言っていた。
私に通じるものを感じた。
彼らはありがたいことに、私の配信の常連さんになってくれた。
コメントもとても面白く、いつしか配信の名物になっていた。
何より二人は速かった。
私も何も考えなしに走っていてはちぎられる。
二人と戦う時は、無言で集中して走っていた。
『富岡さんの本気モード』なんて茶化されたこともあった。
そして、二人のうちの一方はハンドルコントローラーを持っておらず、純正のコントローラーを使用するPAD勢だった。
繊細なペダル操作ができない純正コントローラーで、私を本気にさせるほどの実力の持ち主。
この子は化ける。
そんな予感がしてきた。
私はその子に、『いつかSUPER GTで戦おうよ』といつも言っていた。
彼は冗談だと思っていたようだが、私は本気だった。
彼が大学に入った年から、配信に来てくれる頻度が減ったような気がした。
少し寂しさを覚えつつも、『楽しみにしていた自動車部で頑張ってるのかな』と嬉しくもあった。
そして、今年。
彼が三年生であるはずの年の冬、久しぶりに彼が配信に遊びに来た。
いつものように参加型のレースをすると、私の目の前のグリッドに懐かしいIDが表示されていた。
レースが始まると、私を置いていかんばかりの勢いで彼は逃げていった。
速い。
前に走った時よりも格段に速い。
私は『本気モード』を解放し、彼を追っていった。
でも、中々ギャップは縮まらなかった。
おかしい。
私が本気になって、彼を追えなかったことはなかった。
彼は、何かが変わった。
その日、私は初めて敗戦を喫した。
レース後の雑談で、私はついこんなことを口走ってしまった。
『あと1周あれば勝てた』と。
本当に悔しかった。
いつかまた、このゲームでリベンジさせてもらおう。
そう思っていた。
しかし、予想とは異なる形でそのリベンジのチャンスは組まれた。
あの時戦ったコースの鈴鹿で、SUPER GTが開催される。
私にとっては『彼』は何ら関係のないリアルレースだと思っていた。
もはやリアルレース参戦当時のスランプは姿なく、GT500クラスでもトップランカーとなっていた私としては、ゲームの方が楽しいとすら思っていた。
でも現に今の私には、見覚えのある後ろ姿が見えている。
昨年までは意識すらしてこなかった27号車。
我々はポールポジションを明け渡した。
そして、そのマシンに乗っているのは。
あの時私を負かした。
あの時『本気モード』と私を茶化した。
あの時私の配信に初めて遊びに来た。
あの少年だというのだ。
面白い。
全く面白い。
私が見込んだ…とまでは言わないが、私が目をかけていた少年を、今や日本中が『天才』と呼び、その一挙手一投足に注目している。
だから、今日のレースはあなたのリベンジマッチではない。
私が、『ただのゲーム』の『たった一戦』を引きずって行うリベンジマッチだ。
誰が何と言おうと、これだけは譲れない。
あなたが第二戦で壁を殴ったように、私はあの一戦で同じくらい悔しい思いをした。
負けの悔しさは勝つことでしか癒されない。
少なくとも、私はそう思っている。
だから、あなたも全力でかかってくるといい。
あなたはあなたの『負け』を払拭するために。
私は私自身の『負け』を払拭するために、『言い訳』などという愚かな行いを浄化するために全力で走る。
邪魔者は許さない。
私の、私たちだけの戦いだ。
最終戦後の、いわばエキシビジョンのようなこのレースだが、私はココに全精力を懸ける。
さあ、存分に命のやり取りをしようじゃないか。
シグナルが、グリーンに変わった。