09_解呪
「あなた‥‥もしかして人間?あ、待って」
エクレールは、自身の発言の直後に失態に気がついた。
慌てて自らにまとっていた、3メートルほどのガーゴイルの形状から『変幻の呪』を解いていく。
変幻の呪いは、幻を現実に置き換える呪いの術だ。
1度解放すると、再度呪法をかけ治すことは難しい。が、脱出の算段も粗方ついた現状であれば、もう構わないだろう。
何より、こんな場所に一般の人を残しておくわけにはいかない。
(ノキアとの連絡も取れたし、もうここに長居する理由もないからね)
「解呪!」
ドロドロと溶け出していく仮装の肉体。
幻というのは、光よりも精神に作用するものだ。
自身を媒体にした強烈な精神支配の呪いが、剥がれ落ちていく。
「っふう。ごめんなさい、驚いたかしら?私の名はエクレール。安心して、御覧の通り人間よ」
悪夢から目覚めた時のように、唐突に幻と現実が入れ替わると、エクレールは待たせていた相手に努めて穏やかに声をかけた。
しかし、声をかけた相手に特段の反応は見られなかった。
ただ、熱中していた本を取り上げられた子供のように、半眼でこちらを見返したまま動かない。
(驚きすぎた人間ってこうなるのかしら?)
『変幻の呪』は、長い魔術的準備の下で成り立つ、禍々しい魔力の結晶である。
自身が所属する、魔術協会の人間であれば羨望と称賛の声を上げるような高度な技術だ。
しかし、眼の前の少女は、何かつまらないものでも見ているように。
というよりは、むしろ、攻撃的な視線でこちらを見つめていた。
年齢で言えば10代半ばくらいだろうか。
灰色の髪に茶色の瞳。白地の服の上に黒のレザーの上着を重ねた服装。
視線には、どこか冷たい威圧感をたたえている。
「あの、言葉は‥‥分かる?」
「分かるわ」
少女の口調は怯えている、という様子ではなく、むしろはっきりとしていた。
驚くほど快活な返事に幾分戸惑いながら、対応するギアを切り替えてやる。
彼女の情報を入手しなければならない。
「あ、っそ、そう。よかった。でも何でこんな所にいるの?」
「‥‥」
少女は人差し指をあごにのせ、何やら考え込んだ。
虚空を見上げたまま、年齢相応のあどけない表情に戻る。
「なんでって。それは‥‥私が知りたい。いや‥‥無理矢理連れてこられた?のかな」
「無理矢理連れてって‥‥」
最初の応答からすると、言葉に詰まる彼女を見て、暗い妄想が一気によぎった。
どこを見ているか不確かな虚ろな視線。
淡白な言動。散漫な集中力。
彼女の表情はどこか、精神魔法をかけられた患者のように見えた。
もしかしたら何か途轍もない経験をしてしまったのではないか?
いや、あったに違いない。
困り果てた彼女の表情を見て、忘れかけていた使命感がフツフツと燃え上がってくる。
保護しなければ。命に代えても。
自分はそのために、この危険な任務をかって出たのだから。
「名前を教えてもらえる?」
エクレールは、不安がる子供に言い聞かせるように、少女の両肩をがっしりと抑え込み、真っすぐに視線を合わせてやる。
少女は驚いた表情でこちらを見つめ、苦笑いしながら口を開いた。
「『サキュビナ・カルネージ』って名前、あなたどう思う?」