08_中庭
「無事ですかぁー?」
地面を削ってできた砂煙の中で、ノキアは声を上げた。
塔からは単純な落下というよりは、風の影響を受けて横滑りしながらの着陸となったので、一面には削られた土埃が舞い上がっていた。
自身、何度も上下左右を見失っての着地であり、受け身もうまく取れず、気付いたときには中庭に設置されていたガーゴイルのオブジェを見上げていた。
(もしこれと衝突していたなら)
一瞬よぎった妄想とは早々に決別して、僅かに痛めた腰を押さえながら立ち上がる。
想定よりは、ずっとハードな離脱劇であった。
自身の呼びかけに、反応はすぐに返ってきた。
「ああ、大丈夫。おかげさんでね」
ヴァルミラさんの声である。
収まりつつある埃のカーテン越しに、ゴホゴホと咳込んでいる勇者の背中をさすっているのが伺えた。
たどり着いた城内中央部の中庭は、静かなものだった。
先程までの怒涛の連戦から一先ず離脱できたようで、安堵の息を漏らす。
視線をめぐらすと、魔界には珍しい水辺と、その周りを手入れのされた草花が広がっていた。
なんとも言えない毒々しさは少なからず感じるが、人界の王城とも遜色ない、美しい景色である。
「こっちも大丈夫だったニャ」
一足先に着陸していたベルさんが、煙の中から顔を出した。
「地王竜は巻けましたかね?」
こちらの軽口と同時にヴァルミラさんと勇者も、煙の中から姿を現した。
「さすがについて来てないだろ?って、アンタは落ち着いたかい?」
「あ、ああ」
最後の問いは、こちらではなく、勇者に向けられたもののようだった。
涙目で、魔王城到着前の、船の中のような青ざめた顔色である。
「さすがに焦ったよ」
「勇者様、ゴメンナサイ。ですが‥‥」
言いかけた直後、鋭い何かが目前を通過した。
強烈な風切り音に背筋が凍りつく。
ノキアは、安堵していた心情を即座に切り替えて、攻撃の出処を探ろうと辺りを観察する。
静まり返った中庭。
広がる白と赤の美しい花々。
その中で、中央に据えられた庭木の一つが僅かに動き出しているように感じた。
「樹妖?」
「違うニャ。‥‥もっと強力な何かニャ」
振り向くと、背後でベルさんがうずくまりながら、片腕を何かに吊り上げられていた。
腕には、巨大な蔦というか、樹木の枝のようなものが巻き付いている。
ヴァルミラさんが、両手斧を使ってすぐさま断ち切ると、人間の四肢ほどの太さの枝は、断ち切られた箇所を起点にバチバチと暴れ回った。
それは、もはや植物というよりは動物の動きに近い。
既知の植物系モンスターとはかけ離れた生命力だ。
警戒を強めて、動きのあった庭木に視線を戻す。
庭木はゆっくりと変形を続けていた。そして元の形状より遥かに小さい塊に落ち着いていく。
根から上の部分が、杖をついた老人のような姿に変形している。
「‥‥探したぞ。こんなところに居たのか」
老人の形状の物体は小さくつぶやくと、手にしていた杖をこちらに振りかざした。
すると、杖自体が大蛇のように大きく膨れながらこちらに突進してくる。
「ハァイ!!」
ノキア目掛けて一直線に進むソレは、一瞬で間合いを侵略した。
が、横から回り込んでいたベルが回転しながらその切っ先を蹴り落とす。
「やるな。じゃが」
老人がパチン、と両手を合わせると、打ち落とされた杖だか蛇だかは、先程の枝同様、尚もモゾモゾと動き出す。
状況を察したヴァルミラが即座に両手斧で、蠢く触手のようなソレを両断した。
「ふむ。存外と勘が良い」
ゴクリと喉が鳴る。
ノキアは自身の中で、最上級の警鐘を鳴らしていた。
メンバー全員が同一の認識だったろう。
(ヤバイヤバイヤバイ!!)
(相手は人語を介し、魔術武具を装備している。明らかに高レベルモンスターだ。)
(場合によっては、地王竜にも匹敵する!)
老人は、庭木の位置から這いずり出ようと、更に形状を変え始める。
このパーティーには状況による『作戦』というものが存在しない。そういった、本来あるべき良質な時間は、終ぞ、全くと言っていいほど、涙が出るくらい、おくってくることがなかった。
しかしこの場では、それぞれが1つの意思によって役割を全うしなければ敗北する。
イチかバチか。
(通じて!!)
「光、そして言葉よ!!」
ノキアは祈るような心地で、2つの魔法を同時に展開する。
術が展開されると即座に、まずヴァルミラが反応した。
ヴァルミラは猛烈な勢いで、老人目掛けて突進していく。
前方に広がる草花をなぎ払いながら、彼女の腰帯に巻かれていた火薬袋を投げつける。
ヴァルミラの手袋には、指先に金ヤスリが仕込まれている。
見事な手際により、着火した油を染み込ませた火薬袋は老人の目前で炸裂した。
爆発の衝撃。そして、閃光と轟音。
周辺の世界を、一瞬で火薬の爆炎が支配した。
切り替わった世界で、パーティーメンバーの動きは止まらなかった。
背後から一足飛びでベルが獣のように飛び込んでいく。
ノキアが放った視覚、そして聴覚を防護する、身体補助魔法を起点に、寸分の迷いもない連動した動き。
ベルが通り過ぎたあと、老人の西瓜のような頭部が、ボトリと地面を転がっていく。
(やった!100点だ!‥‥けれど)
「警戒を緩めないでください!!」
出来合いではあるが、会心の連携の一撃に気を緩めそうになるのを、必死で繋ぎ止める。
そうしなければならない相手であることは、自身の今までの経験が語っていた。
「くふふ。そのとおり!」
どこからともなく響く声。先ほどの老人のものである。
首を落とされた木偶人形に変化はなかった。声は、事切れた人形からのものではない。
出所の分からない声はつづけた。
「我が名は『ガドモゲスブラステッケン』、魔樹の王なり。主らが勇者一行と推察する。我らが聖域、王城への侵入の罪。その身で贖ってもらおう」
直後、地面から巨大な何かが噴き出した。
モコモコと大地が膨れるというよりは、水辺で魚が跳ねるように泥の飛沫が地上へはじき出される。
そして‥‥。
見覚えのある鋼鉄の鱗の塊。
「嘘だろぉ!」
「地王竜」
「またかニャ!」
地中から飛び出した魔樹の王と地王竜は、挟み撃ちの格好で勇者を囲い込むように着地する。
(やられた!?)
突進したヴァルミラさんとベルさんは当然だが、自身もまた彼女らに合わせて僅かに移動していた。
勇者と自身たちとの間を地王竜の巨大な背中が遮っている。
「勇者様!お逃げください!!!」
これ以上無くひっ迫した状況。
が、何かがおかしい。
勇者は、飛来した2体の怪物に視線を巡らすこともなく、唯うつむいた姿勢のまま動かない。
さしもの勇者でも、この2体の脅威に勘付かない訳がない。それだけ圧倒的な圧力が確かにあった。
いつもの彼なら不平を叫びながら狼狽していただろう。
(どういう‥‥、あっ、やばっ!忘れてた)
勇者が不意に目をショショボと擦るような仕草をする。
彼は、爆薬の閃光に当てられた状態のまま、状況を把握していないようだった。
「なんだ!何が起きてる!?」
聴覚は生きているのか、『何か』が発生しているのは理解しているようだ。
(謝んないと。ってか今はとにかく逃さなきゃ!‥‥ん?あ、いや)
グルグル回っていた思考が一瞬で働きを止める。唐突に見失っていたことを思い出していた。
そう、狼狽していたのはこちらの方だ。
ここは、塔の中ではない。
草木が眠るだけの、ただの広場である。
「はは‥‥」
練り込まれた思考と、困難を打開する勇気。熟練したチームワーク。
そもそもこの冒険にそんなものは必要ない。
‥‥必要、なかったのだ。
バカバカしい。
ため息と共に叫ぶ。
「勇者!やっちゃってください!」
「え?いいの?」
勇者のあまりに小さな呟き。
母親に言いつけられていた禁を、理不尽に解かれて戸惑う子供そのままの様子で、しばらく狼狽の仕草を重ねたあと、勇者は光剣を振りかぶる。
「ま、いいか。んじゃ遠慮無く」
ヤブレカブレで振り抜かれた光剣が、突進を始めていた2体の神話級モンスターを呑みこんでいった。