16_目覚め
「ちょっ」
思わず漏れた言葉を置き去りにして、エクレールは走り出した。
(‥‥それだけは!)
光剣が振りかぶられた角度。そして予想される出力を想像して、絶望する。
「防壁よ《ライトシールド》!!」
走りながら、彼女は魔術を展開する。
その声量にはこの声で気づけ!という意味合いも含んでいるが、あの間抜けはきっとダメだ。
泥まみれのノキアが抜け殻のように、力無く座り込んでいるのが目に入る。
もう少し。ちょっとでいいから‥‥。
確かに、彼女は塔の端に隠れているため、気づき難いのかもしれない。
けれど、あんたたちはこれまで、一緒に旅を‥‥。
あれが振り下ろされたなら、その一撃を受け止めることは誰にもできない。
興奮する脳内が、罵詈雑言の引き出しをひっくり返し続けていた。
ダメだ。間に合わない。
神に守られた男。
如何なる不条理的な行いも許される。
目茶苦茶、混沌、出鱈目、理不尽。その権化たる光剣の一撃が煌めいた。
エクレールは祈るように前方に向かって、最後の魔術を発動した。
***
「ぎゃははっはははっはははっはははっはっつ。っゴッホ」
深いジャングルの奥地にでも聞きそうな、野猿の鳴き声のようだった。
そこには神々から愛された、大いなる人類の希望。その化身である『勇者』が、会心の勝鬨のつもりで笑い声をあげていた。
光剣は、そのままの姿勢で。破壊の跡に見とれたままその威力に陶酔している。
刀身から放たれた角度そのままに、魔王の塔は丸くすっぽりと抉られていた。
「ホント品がないわね、あいつ」
レイラは、心底からの嘆息をこぼす。
想定と違う。これで決着?
まさかでしょ。つまらな過ぎる。
弱いほうに加担して引っ掻き回してやろうと思ったのに。
全くの見当違いだ。
明らかに力量で言えば魔王の方が上だったはずだ。
だからこそ、手を貸してやったわけだけれど。
レイラは首を振りながら声をかけた。
「ねえ、あんた」
それは勇者の背後。
もちろんレイラもまた、勇者同様空中に浮いている。
***
石造りの広間は、冷たい静寂に包まれていた。
天井は高く、古代の魔法陣が淡く輝いている。中央には、透き通った巨大な水晶が静かに佇んでいた。
その内部には、一人の少女が眠っている。
彼女は白い衣をまとい、長く銀色の髪がゆるやかに揺れていた。
微かに光るまつげが閉じられ、安らかな表情を浮かべている。しかし、その静寂は次の瞬間、唐突に打ち砕かれた。
—— 轟音。
眩い白光が突然、空間に穴を開けた。
天井から無数の亀裂が走り、崩れた石片が飛び散る。光の奔流が水晶を直撃し、透明だった表面に無数のひび割れが広がっていく。
「‥‥ッ!」
ピシッ‥ピシッ‥と音を立てて、ひびは瞬く間に全体へと走る。
張り巡らされていた呪印の札が、悲鳴のような音をあげた。
まるで時間が止まったかのような一瞬。そして——
少女の瞼がゆっくりと開かれた。
薄紅色の瞳が、揺れる光を映しながら静かに輝く。微かに唇が震える。
「‥‥ここは?」
砕け散った水晶の欠片が舞い落ちる中、少女は静かに目を開き、目の前に広がる世界を見つめていた。
***