12_開戦
「火球よ!」
魔王の囁きに呼応して、火球が暗闇の空を僅かに持ち上げる。
長々とした口上の隙。
魔王は周囲にばらまいていた魔力を炎へ変換し、勇者一行を火球の群れでとり囲んでいた。
「なっ!い、いつの間に!」
これまた大げさに、勇者は周囲を見回して驚いて見せた。
ベタというか、古典的というか、ここまでコテコテにリアクションを取られると拍子抜けするところだ。
しかし一方で、この状況でもまったく臆した表情にならないのが、この男の異常なところでもある。
率直に吐き気がする。
こいつは決して自分は負けないと、どこまでも信じているのだ。
こちらがようやくかき集めてきた決意を、こいつは最初から持っている。
「いくぞ!」
そう囁くよりは若干早く、魔王は火球の一つを勇者へ発射した。
勇者は今までの言動の通り一撃で終わらせるつもりでいたのか、剣を大きく振りかぶっている。
予想通りだ。
飛ばした火球は、勇者が体を引いた側面から勇者に向かって飛んでいく。
「んなっ!」
しかも、ヤツの呼吸と合わないよう一瞬早く、火球は勇者に迫っていた。
リズムと体勢が崩された勇者は剣を振り抜けない。
慌てて火球に対して正対して、小さく光剣を切り上げた。
しかし、気付いた時には更に背後から火球が迫っている。
「ん!?」
散弾する火炎の弾丸。
多方面からの緩急をつけた攻撃であれば、剣を振り抜くことは出来ない。
案の定、勇者は余裕無く、連続して迫って来る火球を一つ一つ小さく剣を振って撃ち落としていった。
そう、ヤツの攻略は簡単だ。
攻撃させないこと。つまり防戦にまわらせれば良い。
姑息な手ではあるが、脅威となるのは、あの剣を振りかぶった際の出力だ。
局所的な威力であれば、防御魔法でガードできる。
問題は、完全にヤツの周囲を魔力で囲む状態を築けるか‥‥だった訳だが。
こうも容易に成し遂げられるとは思わなかった。
呆れるほどの隙の多さに、気が抜けそうになる。
「わっ、わっ、わっ、クソっ!!」
「勇者!」
状況を察したパーティーメンバーの女が、後方から飛び出して勇者の間合いに入る。
女は、一呼吸のうちに防御の魔術を展開した。
「月の結界!」
光の薄いカーテンがゆらゆらと彼女を中心に放射状に広がっていく。
魔術は、火球の間隙をつくように、見事なタイミングで発動していた。
あっという間に、光の膜がパーティー全体をドーム型に覆いつくす。
「よし!勇者!まずは体制を整えま‥‥!!」
術者の女が振り返り、号令をかけている最中、火球が、展開していた防壁の内部にめり込み始める。
「うそ!?」
徐々に防御結界にヒビが入る。
次いでガラス戸を踏み破るような音が響き渡った。
あっという間に、火球は結界を破壊し、そのまま術者の女に向かっていく。
女は固まったまま、燃え盛る火球が迫るのを見つめていた。
***
「ぅおりゃ!!」
ヴァルミラが、ノキアを襲う火球の一つをたたき落とした。
炸裂する火球。
その威力はすさまじく、ただの火の塊というよりは、魔法の爆弾のようだった。
撃ち落としたはずのヴァルミラの方が爆風によって数歩分吹き飛んでいる。
「ありがとう、ヴァルミラさん。って、え?斧が」
一先ず感謝の言葉を告げるノキアだったが、思わず言葉を飲み込んだ。
火球に触れた彼女の得物が、鍛冶屋の焼入れの時のように、赤熱色に輝いてグニャリと折れ曲がっている。
「熱っつ!!」
「レベル差というやつだ」
慌てるヴァルミラに対し、冷静に魔王が応えた。
無数に散らばった火球の1つ1つでさえ、比較にならない。途方もない高位の魔法が練り込まれている。
レベル差。その指摘は紛れもない事実だろう。
あまりの事態に、明らかに一拍遅れてノキアは慌てて次手の魔術の準備を始める。
月の結界は既に崩壊している。
破裂した火球によって、数歩分吹き飛ばされていたヴァルミラは、勇者の剣の間合いより大分離れた位置に立っていた。
得物は溶けかけの鉄の棒のみ。
「まずは一人目」
魔王は油断しない。
淡々と作業のように追い詰めてくる。
孤立するヴァルミラに向かって火球が動き出した。
「ファイ!!」
瞬間。聞き慣れた掛け声とともに、魔王の背後から影が躍り出る。
指先で火球を動かそうとした仕草に重なるタイミングで、ベルが攻撃を繰り出していた。
五獣拳、最大破壊力の一撃。
『竜拳』。
ベルの内気から編み出されたドラゴンのエフェクトが、魔王のシルエットに重なる。
が、魔王はそれすら読んでいた。
片腕で一撃を払いのけている。
「悪くない」
つぶやきとともに、魔王はベルの袖口を掴んで、地面目掛けて投げ飛ばした。
とてつもない速度で地面と激突したベルは、ピクリとも動かない。
度が過ぎている。
魔法の威力。ベルの攻撃を容易くいなす反射神経。的確過ぎる判断力。
断言できる。
絶対に勝てない。
「勇者!以前は、どうやってあんなヤツを退けたのですか?」
「‥‥」
無言の勇者。
あるべき返答が無いことにノキアは一瞬固まった。
いぶかしげに、勇者に視線を向ける。
勇者は間断なく続いていた火の玉落としを黙々と続けていた。
聞き取れなかったのか、それともこちらの声に反応することもできないほど必死になっているのか?
「糸口が見えるかもしれません!お話ください!!」
「‥‥」
自身に迫る火球を避けつつ、ノキアは声を上げ続けるが、尚も返答は無いままだ。
半ば唖然としつつ、小さく剣を振り続ける勇者を見つめる。
距離から考えても、声が届いていないとは思えない。
(何?どういうこと?この状況下でへそを曲げる?さすがに理解できない)
何かがノキアの中で、プツンと切れる音がした。
「勇者ぁっっっ!!」
「‥‥」
「勝ってなどいないからさ」
業火が迫る風切り音の中、沈黙する勇者の代わりに魔王が返答した。
「あの戦いに勝者などいない。俺はあの時、一度お前を殺せている」
「それはどういう?」
「っざけんな!!夜に紛れて、コソコソと騙し討っただけだろう?」
「まさか残基制だったとはな」
ノキアの頭を越えながら続くやり取り。
当然理解できない。しかし引っかかるものがあった。
「残基制?どういうことです?」
「‥‥ッチ。まあいいいか」
バツ悪そうに、苦笑いをしながら勇者はようやく口を開いた。
「光剣を授かるときにもらったのさ。最秘宝、ヴォルマルフの魔眼だ。オレの魂は6人分の貯蔵がある」
「不公平な話だ」
「ヴォルマルフ?あの?」
聞いたことがある
何度殺されても必ず蘇る。不滅の英雄ヴォルマルフ。
三百年以上の昔に存在した勇者だ。今ではおとぎ話として大陸中で伝わっている。
世界に残された秘宝中の秘宝。
6体の魔王が跋扈していた時代。
それらを封印した勇者が精霊の力を借りて、それぞれの魔王の魂を1つの真鍮の瓶に封印した。
おとぎ話では、真鍮の瓶には当時の勇者ヴォルマルフ・エーレンの魔術による魔眼の魔法陣が刻まれているという。
不当な死により所有者の瞳が閉じるとき、代わりに瓶の魔眼が開き、魔王の魂と交代して蘇るとされる。
「そんなもの、‥‥どうやって」
「驚くのは当然だ。本来アレは人界には存在しないものだ。俺ですらおとぎ話として聞いていたくらいだからな」
「なんだよ、別に俺は貰っただけさ。何処にあったかなんて知りゃしないね」
勇者の言葉を最後に、会話が途切れた。
空気が変わっている。
空気中の魔素が共振を始めていた。
(ヤバい、かも)
いつもどおりの勇者の言動だが、それはいつだって最悪な空気に行きついてしまう。
ナチュラルな煽リスト。もう、怒鳴りつける余裕もない。
「どこまで我らから奪えば‥‥」
魔王は呟きの直後、天上に腕を掲げた。
周囲に展開している火球の明かりが一層強くなる。
もともと、力強く燃えたぎっていた火球だったが、更に爆発寸前の風船のように一つ一つの炎の大きさを膨らませていく。
「そろそろ仕上げにする。潰れろ」
魔王の呟きとともに、火球の群れがパーティーの全方位から一斉に迫りだした。
逃げ場がない。
光剣といえど、上空も含めての全方位へは攻撃ができない。
ましてや、射程の範囲には、自分もヴァルミラさんもいる。
どうすれば。
「雷電よ!」
力強い掛け声とともに、雷の竜が横なぎに辺りを駆け抜けた。
それは、ほんの一瞬。まばたきの内に走った稲光。
それらが、迫りだした火球の飛礫とぶつかって、1つ1つを自爆させていく。
更に爆発は連鎖して誘爆を繰り返し、一帯が光に包まれていった。
***
「エクレール様!」
ノエルは背後へと振り返り、先に走り抜けた魔法の主を向かえ入れる。
一帯は爆発による土煙と激しい気流で、状況を知覚することは難しかったが、彼女がそこに居ることは確信していた。
彼女ならきっと現れる。
「よっ!」
範囲攻撃を主体とする『ウィザード』のロール持ちのエクレール。
宮廷にも顔の利く、魔術協会の大幹部である。
経験値という意味では、パーティー内最大のベテランだ。
「ご無事でしたか?」
「そっちこそでしょ」
エクレールは辺りを見まわして、おおよその状況を理解したようだった。
「大分ピンチっぽいわね」
ノキアは黙ってうなずく。
「言っておいたはずでしょ。そのまま戦闘しても絶対に勝てないって!私でも、あの爆弾を破裂させるくらいなら出来るけど、そこまで。魔力の強さで言えば、魔王と比べるべくもない。勝機があるとしたら‥‥」
彼女は視線を向ける。
爆風により舞い上がる土煙により、視界は閉ざされていたが、アレだけはぼんやりと見えている。
そう、勇者の光剣のみだ。
事前のエクレールさんとの連絡で、そのことは念押しされていた。
「すみません」
「‥‥いや、分かってるわ。ごめん」
エクレールはこめかみを押さえながら、憂鬱そうに首を振った。
彼女も知っていた。
いくら光剣をぶつければ良いと言っても、結局は、その所持者を制御することが如何に難しいかということを。
「あれ?」
僅かながらの会話の間に、少しだけ土埃が治まり始めていた。
徐々に視界が開け、違和感に気が付く。
エクレールの背後に更に影があった。
一瞬、魔物による奇襲かと杖を構える。
「待って!」
エクレールさんだけではなかった。
際立った目鼻立ち。見たことはないが、小奇麗な衣装を着た人間の少女、いや、美少女がエクレールさんの後ろに立っていた。
少女は黙ったまま、どこか遠くを見つめている。
「彼女は敵じゃないわ」
「それはどういう‥‥」
一体どんな経緯で?ここが何処かを考えれば、場違いであることは間違いない。
確認するのは当然だ。
捕まっていた民間人?
いや、魔族が捕虜を取るとは聞いたことが無い。
別組織の潜入捜査官?そんなことは聞いたことが無い。
いくつかの推測が脳内を駆け巡る。
が、すぐに思考は止まっていた。
通常ならあり得ない。ただ。
相手がエクレールであるのなら、可能性が無くはなかった。
問題は彼女が美少女ということ。
「エクレールさん、まさか」
「なにが、まさかよ。城内にいたから保護したの。それだけよ。経緯は知らないわ」
疑わし気な表情を隠すどころかあらわにしながら、ノキアはエクレールを見つめ返した。
エクレールは腕組みしながら、ノキアのその、無言の圧力を受け流す。
そして。
「っぷ。あはは」
二人とも吹き出した。
また、同時に、両者とも緩んでいる自分を引き締め直す。
絶望的な状況からの、僅かな高揚に流されている場合ではない。
そんな余裕はなかったはずだ。
魔王の追撃が来ていない。火球の嵐が緩まっている。
この状況は長くは続かないだろう。
「ノキア、指示を!」
エクレールの声に無言でうなずいてから、ノキアは声を張り上げた。
「立て直します!」
ノキアは自身の杖を前方へ放り投げ、走り出した。
放られた杖は、元の中庭だった場所の石床を転がって、カランカランと乾いた音をたてる。
杖は、先端に埋め込まれた黄緑石以外は、軽量合金で出来ている。
並みの武器であれば打ち合えるほどの強度がある。
ノキアにとっては、現在最強の装備。
それを何者かが拾い上げる。
「ヴァルミラさん使ってください!!私はベルさんの回復に向かいます。エクレールさんは、引き続き雷でけん制を!」
「アイサー」
気軽そうにエクレールはひとり呟きながら、再び雷を呼び出すべく、周囲の魔素を集めだした。