11_覚悟
「‥‥まさか」
宙に舞った木片が、魔界に降る灰のようにパラパラと音を立てて辺りに広がっていた。
暗黒の空を白ませた恐るべき極光。
その残光を頼りにたどり着いた空の上で、魔王は再びの閃光に慄いていた。
「‥‥嘘、だろ」
吹き飛ばされた守護霊獣であるヒュプノスの躰を受け止めて、その状態を確認する。
息はある。魔力の脈動は確かに感じるが、‥‥失神している、か。
城を飛び出した際の閃光。
それからここに辿り着くまでにあった、閃光の回数はたったの1度だけ。
大地の化身たるヒュプノスが、つまりはたったの1撃で蹴散らされたということになる。
王は、緊張の中で溜まった唾液を喉奥に押し込むと、何かが起こったであろう現場を見下ろした。
それがどれ程のものだったのか、確かめなければならない。
ったく、痺れる展開だな。
文字通り震える手を強引に握りしめて、視線を巡らせることに集中する。
すぐに気になったのは、周囲に散らばっている木片だった。
そして、何度見返しても一足先に向かった爺の姿が見当たらないこと。
有り得るのか?もしそうであったなら‥‥。
想像してはならない。しかし‥‥。
幾ばくかの逡巡が自身を支配していた。
体が氷のように固まりだし、呼吸が浅くなっていくのを感じる。
それは、何もしないことでより肥大化していくようだった。
ねばつく悲観的妄想を振り払わなければならない。
意を決して魔王は束ねていた魔力を緩めて、急激に地面に降下を始めた。
途端、騒がしい人間の声が耳に入ってくる。
「遂に現れたか!魔王!!悪いがこの光剣の一撃で終わりにしてやるぜ!!この間は仕留めそこねたが、今度は逃さねぇ」
わざとらしく、一歩前に出る勇者は、大げさに手振りを加えて声を張り上げている。
それは、バカバカしいほどに演技じみていて、幼子のごっこ遊びのように思えた。
もし、本当にそう思うのであれば、さっさと行動すれば良いはずだ。
しかし自分は知っている。
人間というものはそういうものなのだ。
沽券というものは魔界にもある。それが理解できないわけではない。しかしその度合いが全くに異なっている。
彼らは純然たる力や能力では統率できない種族なのだ。
ふっ、と王は息を漏らして、ダラダラと演説を続ける勇者に向けて口を開いた。
「勇者よ。久しぶりだな」
例の剣を揺らしながら、勇者はこちらの声掛けに唐突に固まった。
盛り上がりかけていた演説に水を差されたと感じたようだ。
勇者は不愉快そうに、ふん、と鼻息荒く、傲然と顎を上げて見下ろすような姿勢を取る。
ただ、実際には背丈があまり変わらないため、大きく仰け反っただけなのだが。
「わざわざ、取り損ねていた首が自ら現れるとはな!」
「それは、まあ、同じセリフをそのまま返したいが‥‥」
王が言いかけると、勇者はその意味を理解したようで、すぐに顔を赤くした。
沽券を準ずるがあまり、思慮の前に口が走るのがこの男だ。
前回の戦闘で、それは十二分に理解していた。
「‥‥う、お、お前の首を取るために」
「良い!」
意味のない妄言を繰り返されては堪らない。慌てる勇者を声で制してやる。
それよりも、唐突に視界に入ったものに心が奪われていた。
スッと血の気が引いていくのを感じる。
猛烈に湧き上がるもの、何とか抑え込む。
「‥‥お前が踏みしめているものは、一体何だ?」
繋ぎとめていたものを、ゆっくりと手繰り寄せるような心地だった。
慎重に。冷静に。もう一人の自分が自らに言い聞かせている。
問われて初めて気が付いたのか、勇者ライディは演説するための踏み台として利用していた、古い丸太から足を退けた。
「ん、なんだコレ?」
あっけらかんとしたまま、勇者は古い丸太を蹴り上げる。
丸太は大分傷んで軽くなっていたのか、予想よりも大分長い距離を飛行した。
そのまま無造作に魔王の足元まで転がる。
外皮がボロボロで、中の白木も崩れてしまいそうな古い木株だ。
魔王は、それを優しく摘み上げる。
「なんだよ?魔界じゃ木屑まで貴重品だってのか?」
蹴とばした足をフラフラとさせながら、尚もあてこするように勇者は声を上げる。
一方で、勇者の背後で一連を見守る女からは血の気が引いていた。
状況を理解しているのか、見るからに冷や汗を流し、ゴクリと喉が鳴っている。
「気にすることはない」
魔王は淡々と告げる。
爺の傷ついた核を手にゆっくりと立ち上がり、勇者に相対した。
「互いに、奪い合うことを宿命づけられた間柄だ!」
魔王の言葉の直後、周囲に火球が浮かび上がった。
魔界の暗闇を持ち上げる、禍々しいまでの深紅の灯び。
魔王は冷静に相手を見定めた。
ここでの敗北は魔界の敗北である。しかし、もう引くことは出来ない。
王を名乗ったあの日から‥‥。
それを背負う覚悟が自分にはあるのだから。