01_召喚
男は叫んだ。
「ついに開いたぞ!!」
「さすがです。王!」
王と呼ばれた男は、目の前の虚空に向かって手を伸ばした。
「これで、我軍の劣勢もくつがえるわけですな」
「うむ」
王が伸ばした手の先には、真っ黒な霧のような物体が渦を巻いて浮かんでいた。
霧は不規則に形を変えていて、その実態はとらえ難い。人間ほどの大きさにもなれば、消えてしまいそうなほど曖昧にもなる。
「王よ、このままでは」
「安定しないか」
勢いは徐々に治まっているように思えた。放っておけば消えてしまうかもしれない。
王は、儀式用のローブの袖口を切り裂いて、黒い霧の中心部あたりを目掛けて力を込めた。
内在するありったけの魔力を、ようやく開けた空間の穴に向かって注ぎ込む。
「王っ!」
「ッく!」
通常であれば破滅的な爆砕をもたらす魔力を注ぎ込んでも、黒い霧は僅かに形を変えるだけだ。
あっという間に、貯蔵していた魔力を吸い上げていく。このままでは不味い。
意を決して王は叫んだ。
「我が血の盟約を此処に掲げる!
目録に刻みしは、崩壊の恍惚を知る者。暗転の究極。その真なりて追求者。
さあ!この世の果てより参れ!狂乱した混沌よ!!」
詠唱の直後、自身が出力した膨大な魔力が、目前の黒い霧に収束していく。
連動して辺りの空気が一気に冷え始めた。
「来たか!?」
今までに無い反応に手応えを感じる。
祭壇の上に浮かんでいた世界の穴は、魔力を吸い上げるように勢いよく回転し始めた。
回転は次第に早くなり、それにともなって黒い霧は、より一点に集中していく。
ギリギリと、空間を断絶する荒々しい音が辺りに響く。
集約された点は、より内側へ向かっているため塊は徐々に小さくなっていった。
そして、‥‥激しい音とともに、そのまま見えなくなる。
無音となった儀式の間。
先程まで確かにあった黒い霧が、あたかも消えてなくなってしまったように見受けられる。
「これは、‥‥どういう」
傍らに控えていた男が、弱々しく口を開いた。
渾身の召喚の儀がしめやかに終了したわけだが、あたりを見回しても、何か目ぼしい変化があったわけでもない。
王は、先程まであった空間の穴。その中心部を見つめたまま動かなかった。
「まさか、また」
「‥‥」
王は口を開かず固まっていた。
徐々に白白とした空気が儀式場全体に広がっていく。
たっぷり数分経過してから、王が振り返った。
「ええい、黙れ爺!!小さいことを言いおって。また、魔力を貯めて挑戦すれば良い」
「しかし、時間がありません。我が勢力ももはや10分の1ほど。今もあやつは我が国の領土を侵略しているのですよ」
「分かっておる」
「いや、今日こそは言わせていただきます」
爺と呼ばれた男は、敬称どおりの姿をしていた。
白髪に白い髭、伸びきった白い眉毛は毛量によって垂れ下がっている。
背は急角度で折れ曲がっていて、筋張った腕はしがみつくように、木製の杖に絡まっていた。
爺は、ヨロヨロと手にした杖を持ち上げてその先端で王をつつく。
「っく。貴様!」
「そもそも、かような呪いじみたことなど御身には向かないのです。ご自身の肉体が最大の武器では御座いませぬか」
「それは、あの忌まわしい光の刃を我が身で受けろと申すのか?」
「ええ、そうです。先王の無念をお忘れですか!」
「ええい、口を開けば先王先王と。別に予は、人界などに興味はない」
「なんと!」
「予がそんなにも相応しくないと申すなら、こんなもの!」
「王!なにを!!!」
王は勢いから、自身の頭の上に載っていた、黒く小さな冠を引き剥がすと、上空に放り投げた。
冠は、フワリと無造作に放物線を描いて空中を舞う。クルクルと回転しながら祭壇の上段、先程まで開いていた空間の穴の上を通り過ぎる。と、同時に消えたはずの黒い霧、その僅かな残滓が冠に反応した。
消えかけのろうそくが、一瞬だけ炎を大きくするように、ボッと、空気が踊る音がする。そして冠と共に、何かが地面に落下した。
大理石で出来た儀式場の床とぶつかって、べチャリと水っぽい音が鳴る。
王と爺は、互いに掴み合っていた姿勢を解きながら、視線だけ音の方に移動させる。
そこには、黒い冠をいただいた人間の女が、魔王の祭壇の上で眠っていた。