02,
両親はひと月に三回ほど家を空ける時がある。
私はそのたった三回が苦痛で苦痛で仕方が無かった。
大嫌いな両親が出ていく、なのに何故かいて欲しかった。
兄が部屋にやってきてしまうから。
兄は私の部屋に入る時必ずノックをする。
そして、私が返事をし扉を開けるまで扉の前にいる。
初めて兄が部屋にやって来た時はこの後何が起こるかも分からずに扉を開けてしまった。
そして、兄が満足まするまで泣き叫び、許しを乞い、その日を終えた。
次、兄が部屋に来た時は鍵を閉め絶対に扉を開けない。
そう心に誓ったけれど、そんな誓いは兄の前では簡単に破られた。
兄は私が出るまでは絶対に扉の前から動くことは無く、何度も何度もノックをした。
部屋に扉を叩く音が響く度に恐怖心が押し寄よせ、頭の中が真っ黒でもなく真っ白でもない、無色になり何も考える事が出来なくなってしまっていた。
頭で何も考えられない代わりに足が勝手に動いた。
これ以上怒らせたら死ぬ事よりも恐ろしい事をされると、扉の前に行き指先が青くなり冷えきった震える手で扉を開け、そこに立っている兄の顔を見上げる。
声が枯れるまで泣き叫び、助けを求めた。
その度に笑顔になる兄に何度も何度も殺意を覚えた。
頭の中では兄を殺すビジョンは完璧だった。けれど、現実は圧倒的な力の差に為す術もなかった。
ただ力を持たない私は力を持つ兄に服従するだけだった。
兄に虐げられる様になって数ヶ月した頃から私は少し前のときのように馬鹿みたく笑って居られなくなっていた。
何に対しても怯え、兄や両親が少し腕や足を動かすだけでも反応してしまい、無意識に頭を守るように腕で包んでいた。
それに、ドアをノックする音にも敏感になってしまっていた。
例え兄がノックしていなくて使用人がノックしていても恐怖から足がすくんでしまい、鼓動は早くなった。
両親はそんな私を見て元に戻ったと察したらしい。
途端に躾という名の虐待を受けるようになった。
しかも、以前は平手打ちや拳で殴るだけだったのが、鞭などの道具を使うようになった。
兄は私が鞭で打たれる様にえらく興奮していた。
私が窓もない冷たい密室で鞭で叩かれる時、兄は必ず扉の外で鞭が皮膚に叩きつけられるその音を聞いているらしい。
兄本人が悦に浸りながら話してきた。
最高だった。けれどまだまだ物足りない
と。
私が鞭で打たれるようになって以来、自分で手を挙げることは無くなっていた。
兄は騎士になるべくその学園へ通うようになっていたから。
もし、妹を虐げていると周りに知られたら騎士になるどころか学園を追放されてしまうから。
それに、自分の手を汚さずに自分の欲求を満たす方法を見つけていたから。
兄は私に無視されているや、暴言を吐かれたなどくだらない虚言を可哀想な自分を泣きながら演じ母に告げ口していた。
兄を溺愛する母は普通に有り得ないそれらを信じ込み私に鞭を奮った。
兄が虚言を吐き、母がそれを鵜呑みにし、鞭を振るう。
その一連の流れは今現在に至るまで何も変わらずに続いている。
ほら、今日もまた。
部屋の掃除をしている時、扉が開き月の光に照らされる兄がいる。
「今日もまた派手にやられたねぇ」
喋りながら私に一歩づつ近づいてくる。
兄は近づくにつれ床に飛び散る赤や鞭についたものを視界に入れては口角をあげる。
嗚呼、本当に治しようがない程に兄は狂ってしまっている。
母の血を確かに継いだ黒い髪に黒い目、そして狂気じみた人格。
どれをとっても母に似ている。
普段空気な父には似ても似つかないほどに。
「ねぇ、どうだった? 痛かった? 痛かったよねぇ?」
私の前まで近づくと兄はしゃがみ私の頬に手を当て顔を上にあげさせた。
口端から垂れた血の跡を指でなぞりながら鼻息を荒くし垂れた涎を啜る目の前の変質者にどう受け答えすればいいのか分からないし、体が氷のように固まって口も手も動かない。
「こんなに血が出るまで唇噛み締めて、駄目じゃないか。いつも言っているだろう? ちゃんと叫ばないと」
兄はいつも叫べと言ってくる。
けれども、母は耳障りだから叫ぶなと言う。
二人が似ていない珍しい箇所。
似ていないからと言っても嬉しくも何ともない。
叫べば母に怒られ、叫ばなければ兄に怒られる。
どっちをとっても意味が無い。
それに、母に折檻されている時は頻りに降ってくる鞭で兄の事を考えている余裕はない。
「まぁ、いいよ今日は。じゃあきちんと掃除しておくんだよ」
そう言って兄は出て行ってしまった。
前まではこの後兄に延々と説教され、私が鞭で打たれ叫ぶ様がどれ程いい事だとか語ってくる兄だったけれど、最近はそんな事は無くなっていた。
前までは学園へ行っている時以外は殆ど家にいたけれど、最近は私が鞭で打たれる時以外はそそくさと家を出てどこかへ行っている。
それだけでも珍しいと言うのに、何やらとても機嫌が良い。
普段から笑顔を振り撒いていたけれど、さらに笑顔を振り撒くようになっている。
何とも気味が悪い。
兄が出ていった部屋で一人早く消えてほしいと声を零した。
まさかその言葉が現実になるとは知らずに。