その二
「蛇之目助六どの、またも貴殿に助けられましたな。いやはや、何とお礼を申し上げればよいのやら」
精悍な顔つきの男が慇懃な口調でそう言って俺に頭を下げた。部下を引き連れて妖魔と戦っていた同心、桑原総一郎だ。こいつとは妖魔退治の場でこれまでにも何回か顔を合わせている。
同心というのは町奉行の部下の部下にあたる役職で、江戸の町の警備を主な任務としている役職だ。俺がもといた世界の江戸幕府にも同名の役職が設けられていたとゲンナイが教えてくれたことがある。
「なあに、気にするな。お前らがこうして喜んでくれることが俺にとって何よりの報酬さ」
俺は思っていることを率直に口にした。いい歳こいて何の技能も実績もない無能の極みだった俺は、この世界に来て初めて人の役に立つ喜びを知った。俺を頼りにしてくれる人たちがいるというのなら、できるかぎりその期待に応えたい。
「どの口がそんなことを言うのですか? 人助けより酒を優先しようとしたくせに」
黙って成り行きを見守っていたゲンナイが俺たちの間に割って入る。ゲンナイよ、世の中にはわざわざ言わなくてもいいことがあるって知っているか?
「あれは酔ってて正常な判断ができなかっただけであってだな――」
「蛇之目どの、取り込み中すまぬが少しよろしいですかな?」
桑原がおずおずと話を切り出した。提灯の光で浮かび上がった顔にはどことなく翳りが見えるような気がする。
「ん? 構わねえけど。あいつらは放っておいていいのか?」
俺は桑原の負傷した部下たちが気がかりだった。たいした怪我ではなさそうだが。
「あちらのことは無傷の者に任せますゆえ。実は蛇之目どのに折り入って頼みがありましてな」
桑原が一段階声のボリュームを下げる。どうやら部下たちには聞かれたくないことらしい。
「此の頃、〈首狩り武者〉と呼ばれる得体の知れない辻斬りが町のいたる所に出没し、町人たちを無差別に暗殺して回っております。被害に遭った者たちは皆一様に首より下だけ残った状態で発見されることからこのような名がつきました」
その事件のことは初耳だった。このところ屋敷にこもってのんびりしていたせいで外部の情報がほとんど入ってこなかったからだ。
なるほど、斬った首をわざわざ持ち去るとは悪趣味な奴だ。
桑原は一呼吸おいて続ける。
「人間なのか妖魔なのかもわからない、正体不明にして神出鬼没の怪人ですが、一つだけわかっていることがあります。それは、そやつが般若に似た恐ろしい顔をしているということ」
「般若の顔だって!?」
俺は背中に電撃が走るような感覚に襲われた。ここに来る途中、橋のたもとで見かけたあいつのことが脳裏に浮かんだのである。
「蛇之目どの、奴を見たのか?」
「ああ、ついさっきそれらしい奴を見たよ」
「首狩り武者の顔を知っているというなら話は早い。私の頼みというのは他でもない、首狩り武者の退治に協力していただきたいのです。蛇之目どの、なにとぞ力を貸していただけませぬか? 無論、タダでとはいいませぬ。これでいかがですかな?」
桑原はそう言って俺の手に袱紗包みを握らせた。このズッシリ感、少なくとも20両はありそうだ……。円に換算しておよそ200万円。俺は顔がニヤけそうになるのを必死に堪え、
「こ、ここまでしてもらっちゃ後には引けねえな。よし、お前の頼み、俺が確かに引き受けたぞ」
「おお、かたじけない。蛇之目どののお力添えがあれば怖いものなしでござります」
桑原はさっき以上に深々と腰を折って頭を下げた。そこまでされると少し気恥ずかしい上にプレッシャーを感じてしまう。
それにしても20両もの大金を気前よく差し出すとは……。よほど切羽詰まっているとみえる。
「皆の喜ぶ顔が何よりの報酬だとか言ってた割にちゃっかりお金は受け取るのですね」
ゲンナイがまたも痛いところを突いてくる。将軍様から生活に困らない程度のお金は支給されているが、俺だってやっぱり贅沢はしたいんだ。
それはさておき、もう夜も遅い。今日のところは屋敷に帰って明日から行動開始といくか。
そう思っていた矢先――
「親分、死体だ! 首のない死体だ!」
桑原の部下の叫びが夜気を震わせる。桑原は踵を返し、部下が呼ぶ方へと走り出した。闇に揺れる彼の提灯を追って俺とゲンナイも急いだ。
やはりさっき橋のたもとで見たのが首狩り武者とみて間違いないだろう。奴が俺たちを殺そうと闇に紛れて毒牙を研いでいる姿を想像すると身の毛がよだつ思いがした。
土蔵造りの米問屋を左手に曲がった小路に入った瞬間、強烈な血臭が俺たちの鼻孔を突き刺した。
桑原の部下たちに囲まれる形で横たわっているのは小袖姿の死体。首の断面からは夜目にもはっきりわかるほどおびただしい量の血が流れ、地面を周防色に染め上げていた。
「ひどいことを……」
ゲンナイのしわがれた声が夜暗に溶けて消える。普段は辛辣な物言いをすることが多いが、芯は優しい女の子なのだ。俺はゲンナイの肩を軽く叩いて下がらせると、彼女と入れ替わるように亡骸の前へ出る。
ふむ……。
顔がない以上年齢ははっきりしないが、体の大きさからして子どもではない。丸みを帯びたか細いシルエットはどちらかというと女性的だが着ているのが男ものだから、やはり男なんだろう。
ん? 着ている服……?
ふと脳裏に恐ろしい推測が浮かび、俺は戦慄のあまり呼吸が止まりそうになった。
この亡骸が身に纏っている着物は俺の友達、銀次が着ていたものと似ている……というより全く同じだ。それに加えこの中性的な体つきは自然とあいつのシルエットを連想させる。
「桑原の親分、遺品の財布ですが中身はからっぽですぜ。金目当てのならず者が首狩り武者の仕業に仕立て上げたのかもしれやせん」
桑原の部下の一人が、亡骸の懐から覗いていた財布を取って桑原に中身を見せた。
「その財布は!」
俺は追い打ちをかけられた気持ちだった。その財布は銀次が使っているのと同じ市松模様の財布だったのだ。俺の不安はますます膨れ上がっていく。これだけの材料が揃っていてこの死体が銀次ではないと言い張ることができるだろうか。
「助六……」
どうやらゲンナイも死体の正体について見当がついているらしい。こいつも銀次の今日の服装や持ち物の特徴を知っているはずだからな。ゲンナイは他人に対して無関心そうに見えて意外としっかり観察している。顔見知りの町娘が髪をわずかばかり短くしたとき、ゲンナイだけが即座に気づいて大いに驚かれたことがある。
「……助六、ぼーっと考え込んでいるなんてあなたらしくもないですよ」
吸い込むようなゲンナイの大きな双眸がしっかりと俺を見据えている。力強くも優しい、そんな目だ。
「アハハハ! ゲンナイちゃんに言われちゃおしまいだな」
俺はすっかり目が覚めた気分だった。
まだ決定的な証拠がない以上、馬鹿なことは考えるべきじゃない。と、なると今俺がやるべきことはひとつ。これから銀次の住む長屋に出向いてあいつの安否を確認することだ。