魔女狩りされた聖女に一目ぼれして保護したら、聖女力最強な彼女に領地ごと幸せにされました。
山道を抜けたら、目の前で女の子が焼き殺されそうになっていた。
……何を言っているのかわからないだろうが、俺も何が起きているのかわからなかった。
17歳にして、死ぬまで日陰の身という運命が決まっていた俺は、今回、幸運にも爵位と小さい領地を得ることができ、小さい頃から世話になってきた使用人たちと馬車の隊列で向かっていた。
折しも春を迎える種蒔きの時期だ。
いよいよ、俺の新領地に到着する予定の日。
日の出の前に宿を出て、俺たちは山道を走る。
旅の間に馬車の座席に尻をぶつけるのがいい加減つらくなった俺は、一行の先頭で馬に乗っていた。
野盗を警戒して軽く武装していたので、俺が目に付くほうが逆にいいか、と思ったのもある。
山道を抜けたら、いくつか、隣の領地に属する村がある。
それを越えれば俺の領地……の、はずだった。
そんな通過するべき村の入り口あたりで、なにか、大きな焚き火が燃えている?
火を認識した次の瞬間、遠目ながら火のうえに、太い木に縛り付けられた女の子がいることがわかって、俺の頭のなかは混乱の局地に達した。
蜂蜜色の髪を短く切られ、酷い襤褸を着せられた、俺と同じ年頃の女の子。
(いや、混乱とかしてる場合じゃない)
「……正式な裁判を経た刑罰なら、処刑だって、こんな場所でおこなうわけがありませんね」
先頭馬車の御者役が、俺にささやく。
「つまりこれは、村人たちによる私刑ってことだ」
俺は馬車と並走しながら、両の太ももで、ぐっと馬の背中を挟み、手綱から手を離した。
魔力は強くないが従軍経験はあるので、ひととおり戦闘系魔法は知っている。
「〈神の与えし焔、人の過ちを以って穢されり、おのが真の役割を知り消えよ〉――――――〈消炎〉」
詠唱とともに両手を弓引く形にかえると、光が弓矢をかたちどり、魔力の矢が宙を走る。
矢が突き刺さるように炎に直撃した消火魔法〈消炎〉により、縛り付けられた女の子を包み込もうとした火は、一気に消える。
「テス様!」
馬車の馬を操っていた御者役が、顔を隠していたフードをぱさりとあげて、俺に声をかける。
風になびくストロベリーブロンドの髪と翡翠の瞳の彼女は、乳母の娘で俺の世話をしてくれているメグだ。
「私たちは村を迂回して先に領地に向かってます!」
俺は、一瞬で消えた炎に混乱しつつある村人たちめがけ、馬を駆った。
視界の端に、的確に一行を指揮して迂回路を選ばせるメグの姿が入る。あのぶんなら大丈夫だろう。
一方、村人たちは、俺の出現に動揺していた。
「なんだあんたは!!」
「……何をするんだ!?」
「ま、魔女を!! 今から焼こうと言うのに!?」
(…………ん、魔女?
いま魔女っつった?)
魔女狩りなんて、もう、少なくとも二百年以上は前に絶滅した歴史の愚行だというのに。
いまこの農民たちはこの少女が魔女だと……?
いや、農民たちの目は大真面目だ。
信じがたいが、本気なのらしい。
一般的に魔女狩りは、教会や聖職者の主導した悪事のように伝えられているが、本質的にその多くは、一般の人間たちから沸き起こった集団ヒステリーだ。
何かのきっかけで自然発生的に起こりうる、のかもしれない。
(……田舎だから、まだ何とかなるか?)
道中、野盗を警戒して武装していてよかった。
自分の腰の剣を高くかかげ、王家の紋章を示して見せ、それから俺は、精一杯息を吸い込んだ。
「――――サクソナ連合王国国王第一王子、テストゥードである!!
この火刑の正当性に異議がある!」
ビリビリビリビリと空気が震え、村人たちが目を見開き動きを止める。
戦場で枯れるほど叫んで何度もつぶしたこの喉は、小さな村なら全域カバーできる。
村人の何人かは俺の声で失神した。
その機をついて俺は火刑台へ駆けあがり、女の子を縛り上げていた縄を切る。
抱き上げた女の子は、気を失っているが息をしている。
金色の髪は煤け、身体は、まるでこどものように軽い。
着ている襤褸は、シャツとズボンの上下、男物だ。
「――――お、恐れながら、王太子殿下。この村の長にございます」
俺の身分に、というよりも大声に怯んだらしい村人の中から、少しばかり身なりの良い老いた男が出てきた。
火刑台から下りる。
良かった。俺が廃嫡されて正確には『元王子』なことは、まだこの田舎までは伝わっていなかったらしい。
「恐れながら、この女は、長年“聖女”としてこの村の人々をたばかってまいった、魔女なのでございますっ!」
「その証拠に!
その、短い髪と衣服をご覧くださいませ!!」
「…………は?」
いったい何を言っているのか、まったくわからなかった。
要領をえなかったので、俺は何度も何度も、村長と他の人間たちに確認した。
以下がその要旨だ。
・この村を含めた近隣5つの村では、ここ数百年間、“聖女”を独自に選定していた。
・“聖女”は、個人として女としての一切を捨てて神に祈りを捧げ、神秘の力を以てこの村々を守る。そう信じられていた。この火刑にかけられた少女もそうだったという。
だから髪を肩よりも短く切り、化粧気もなく、男の格好をしていたのだそうだ。
・だが、今回、新たに、領地全域を守るという“聖女”が現れた。
この地で力に目覚め選ばれたというわけではない。
唯一神を信奉するサクソナ国教会の重鎮が推薦する“聖女”だという。
・その、王都からやってきた“聖女”いわく。
『男女の役割は神が定めたものであり、他の国では女の男装は、処刑された例もあるほどの宗教的な禁忌。それを恒常的に犯している“聖女”など、“聖女”ではなく“魔女”に違いない』と。
だから、新しい“聖女”の言うことを聞いて、前までの“聖女”を殺そうというのだ。
「馬鹿馬鹿しい。
古代の一神教では、女性は“女性らしさ”をそぎ落とすことで、より高い霊性を手に入れられると考えられていた。
だから、神に仕える女性が髪を切り男装していた例、生涯を終えるまで周囲にさえ性別を知られなかった女性の聖人なんかが、記録にも残っているぞ。
きっと、この地の“聖女”も、それが習慣として現在まで残っていたものなんじゃないのか。
……で、それをこの娘にやらせていたのは、他ならないおまえたち自身なんだろう?」
「し、しかし!!
“聖女”様が、この地は魔女に支配されていると……!!」
「だからといって……しかも、あの猫たちも殺したのか?」
俺は、村のいりぐちに、痛ましいものを見つけていた。
それは、この村で飼われていたであろう、十数匹の猫たちの遺体だった。
かわいい生き物が、むごたらしく血にまみれ、乱暴に積まれている。
おそらくは、少女の火刑の炎に一緒に放り込もうと、村人たちは考えていたのだろう。。。
「猫は、魔女のつかいだから殺さなくてはと、こちらも“聖女”様が」
「……猫を殺す者は、必ずその報いを受けるぞ」
「は………?」
「どうせ言っても信じないし、わからないだろうが。
まだ生きている猫はいるか?
俺がすべて買い取る」
「は、はぁ!?」
「それからこの娘。
要は新しい“聖女”とやらがこの娘を邪魔だと言ってるんだな?
だったら、この村からいなくなれば良いんだろう?
火刑じゃなく、“追放”でも、問題はないよな?」
「………………」
――――剣の紋章と金袋をちらつかせて、村人たちと粘り強く交渉し、とうとう俺は、この娘の火刑を撤回させることに、成功した。
正直に言うと、少しだけ、高揚していた。
ついこの間まで幽閉の身で、新しい領地は目の前。
なんだか、いまの自分なら何でもできるんじゃないかという気持ちになっていた。
「じゃあ、この娘は、いまこの瞬間からここの村々とは無縁だ」
いったんは自分の領地まで連れていき、身体を回復させてから、この子の身の振り方を考えよう。
そう考えて、支度をしていると、男女のこどもたちが数人、こちらにかけよってきた。
「あの、猫を」
「お願いします、うちの猫を、連れていって!!」
次々に渡されたのは、馬につけて運べるよう、籠に入った猫が4匹。
黒、白、茶に、灰色……これが、村で生き残った猫、全部らしい。
もふもふと動く、かわいらしいその生き物は、何か恐ろしいことが起きているのを察してだろう、籠のなかで暴れたり、不安げな瞳を見せている。
「大丈夫、可愛がるから、心配しないでいい」
そうこどもたちに声をかけると、
「……あと、聖女様もよろしくお願いします」と、涙目で小声で言ってきた子がいた。
「大丈夫。
少し大きくなったら、いつでも会いにおいで」
俺はそう言って、すでに頭に叩き込んであった地図を、その子の手に握らせた。
こどもだから善というわけでもないのは知っている。
でも、大人たちの暴力に抗えない立場の彼らが、大人たちの目を盗んで託してくれた勇気は、単純に嬉しかった。
猫4匹と少女ひとり――――否、気を失ったままの“追放”された“聖女”を馬にのせて、俺は再び、新しい領地へと向かった。
***
「なるほど、そんなことが……。
あの女性は想定していましたけど、いきなり猫ちゃんも連れてくるのでびっくりしましたよ」
領地の、俺の新しい邸について、俺は気を失ったままの少女をベッドに寝かせ、水浴びをすませた(先にベッドメイキングしてくれてた使用人たちの有能さに感謝)。
メグはといえば嬉々として、さっそく猫たちにエサをやっている。
「彼女は大丈夫かな?
服もボロボロだったけれど…」
「先ほど目を覚まされたようなので、湯浴みをしていただいているとのことです。
数日は私たちの服の予備で、我慢していただきましょう。
前入りしている者たちが、布屋とかお針子とかいろいろ目星をつけてくれているので、間もなく用意できると思いますよ」
「みんな大変な中、悪いな」
「あのう……」
俺とメグの会話に、割ってはいるように、透んだ声がした。
振りかえると、あの、短い髪の娘がいる。
女の子の髪といえば、肩甲骨あたりか、メグのように腰まである長さが一般的だ。
俺も、生まれてこのかた、肩よりも短い髪の女の子なんて見たことがない。
けれど、綺麗なさらさらとまっすぐな蜂蜜色の髪は、これ以上ないぐらい、彼女に似合った。
そう、いまさら気がついたけど……
彼女は、俺がいままで見たどの女の子よりも綺麗だった。
いや、少なくとも俺にとってはそう思えた。
肌は、日には焼けていたけれどぷるぷるつややか。
頬にほんのりと赤みがさし、しっとりと柔らかそうだ。
大きくて青い瞳、まぶたに刻まれる綺麗な二重、長いまつげ。
控えめな線を描きながらすっと通った鼻筋と、花びらのような唇は、ただただ、可憐だ。
「あの、このたびは、本当に、なんとお礼を申し上げてよいか……」
深々と何度もお辞儀する少女が美人過ぎて、俺はなにも言えない。
見かねたメグが、
「いいんですよ!
とりあえずこちらにおすわりください!
何か、胃に優しい軽めのお食事用意しますね!」
と、早口で言って少女の反論を許さず去っていった。
「……ええと……座ってもらって、良いですか?」
俺は敬語で話しかける。
村人たちには、威圧のためわざと乱暴な物言いをしたのだが、彼女にはあまり圧をかけたくなかった。
それに、土着の信仰?とはいえ“聖女”すなわち宗教者として務めていた女性に対する敬意もあった。
少し微笑み(笑顔になると本当に心臓がわしづかみになりそうなほど可愛い)、少女はようやく椅子に腰かけた。
女性ものの服を相当久しぶりに着たのだろう。
足首まで隠す長さのスカートにしばしば足をからめとられそうになり、足元の猫たちも踏まないように気をつけ、慎重に転ばないように注意深く動く。それが、見ているだけでなんとも愛おしい。
「お名前をうかがっても?」
「……名前、ですか?」
困った顔をする彼女。
「何か、悪いことを聞きましたか?」
「あの、いえ、私、“聖女”に選ばれた時に、名を捨ててしまいました」
「……以前の名を、覚えていますか?」
「はい、ですが」
眉根を寄せる彼女。
「あ! すみません!
なんとお呼びすれば良いのか、わからなかっただけですので……。
以前の名はお嫌いだったのですか?」
「いいえ。せっかく亡き両親がつけてくれたものを一度は捨ててしまったのが、心苦しくて」
そう、彼女はしばらく迷った様子だったが、
「……ジェーン、と申しました。本当に、普通の名前、なんですけど」
と、恥ずかしそうにその名を言った。
確かにありふれた名前だ。
実際、自分の知ってる王族貴族にもジェーンという名の女性はいた。
だが、彼女の名前としては何だか特別に聞こえるのはなぜだろう。
「……では、ジェーンと呼んで良いですか?」
「……はい」
そのあとしばらく、『助けてもらってこれ以上お世話になるのはさすがに悪いのでもう出ていく』と言うジェーンを引き留めるのに苦労したが、そんな風に、俺と彼女と仲間たちの新領地での新生活は始まったのだった。
***
この領地に来て、二週間。
俺は、この領地と爵位が与えられるきっかけをつくってくれた恩人たちに、無事到着した報せとお礼の手紙を送った。新しい毎日が大変充実したものであることも記せた。安心してくれるといいんだが。
ところでジェーンだが、“聖女”というのだから皆にかしずかれ下にもおかない扱いだったのかと思いきや、清貧を絵に描いたような生活をしていたらしい。
「男物の服の方が慣れているようでしたら、準備します」
俺はそう言ったが、お手間をおかけしては申し訳ないので…と固辞された。
しかし下着さえ元々着ていなかったらしく(メグが補足するに、庶民の女性は大体そんなものらしい。まじか)、女性ものの服の着方からメグやメイドたちに教わらなければならなかったり、他にも常識的なことを知らなかったり、本人もかなり苦労している様子は伺える。
それでも、ジェーンは一生懸命、何か役に立てることを見つけようとして、見様見真似で皆の仕事を手伝っていた。意外とミスが少なく助かっている、とはメイド頭の談。
そういえば、びっくりしたのは食事の時だ。
「……こんなに贅沢をしては、申し訳ありません」
出された食事に目を丸くし、長いまつげを瞬きし、しかし拒んでは失礼かと迷い困った様子で、そんな言葉をジェーンは絞り出した。
鳥の肉を煮込んだシチューに麦がゆと野菜。
栄養を考えて料理人がつくってくれた食事は、俺の目から見ればまさに清貧なものだったが、ジェーンから見れば贅沢すぎるものだったようだ。
俺は少し考え、ため息をつく。
「俺の母は、俺以外にも5人の子を身籠りました。
だけど、4人は流産して、1人は生後2か月で亡くなりました」
ジェーンが、息を飲んだのがわかった。
「母は、信仰心のとてもあつい人でした。
自分の信仰に基づいて、妊娠中にもたびたび断食をおこなっていたんです。
もちろん妊娠中は、おなかのこどものぶんも栄養が必要です。
だけど、その時には母含め周りの人たちは、何も知らなかった」
その間母と離されて育てられていた俺は、母が何をしていたのか、どういう健康状態にあるのかも、何も知らなかった。
突然知らされた母の死。
その葬儀にも、俺は出ることを許されなかった。
話を聞いたジェーンは、悲しげに、眉をひそめる。
彼女が悲しんでくれるということだけで、少し心が癒される気がした。
「……ごめんなさい、思い出させてしまったのですね」
「ああいや、そうじゃないんです。
もちろん断食だけが原因じゃないと思いますが……。
俺たち人間は神と違って全能じゃないから、母も神の意思を間違って解釈してしまったんだと思います。
人間なんてたくさん間違うんです。
でもその……自分の身体と命を大切にすることだけは、絶対に間違いじゃないと、俺は信じています。
だから」
何度もうなずき、ジェーンはあらためて食事に手を合わせ感謝の祈りを口にし、それから、ゆっくりとさじを口に運んだ。
「とても、美味しいです」
澄んだ声が、俺の胸に響いた。
***
季節はうつり、夏を迎えていた。
ジェーンの痩せた身体にも肉がついて、女性らしい曲線を描き始めると、薄着の時期であることもあって、時々目のやり場に困るようにもなった。
ただ、ちょっとずれていて危ういところは否めなくて。
このまえ、身を清めている場に一度出くわして必死で謝ったら、そんな顔をさせてしまってごめんなさいこんなところで行水していてすみませんと、真っ赤な顔で逆に謝られた。
思わず、こういうときはそちらが怒るんですよ!と続けて話していたら、あとから来たメグに俺が怒られた。ちゃんと後ろ向いてたのに。
――――いやいや、それより、領主の仕事の話をしよう。
新しい領主として、俺はできるだけ時間をつくって領民たちと会った。
廃嫡されたとはいえ元王子なので、勉学はいろいろ叩き込まれたし、そのなかには領地の経営や、領民の役に立つものもある。
若輩者の俺の少しばかりの知識でも、皆の役に立てば……と思っていた、のだけど。
ここでジェーンが“聖女”の力を発揮した。
彼女が、昔から、あの村の“聖女”に語り継がれていたという知恵を助言してくれ、半信半疑で書物で調べてみると実に理にかなっていて役に立った、ということが、かなりの頻度で起きたのだ。
その範囲は多岐にわたった。
農業、治水から、薬草の知識、生活の細かな悩みまで。
聖女に集約されてきた過去数百年分の集合知を、彼女は、その答えだけを知っている。
とても興味深い。
さらに衝撃だったのは、俺が詠唱をしてようやく使えるレベルの上級治癒魔法を、彼女がそもそも治癒魔法と知らずに使っていたときだ。
あるとき、魔法の名称さえ口にせず重傷者を治したのを見て、あまりにびっくりして聞いたら、
『そうなのですか?
これが“聖女”の“癒しの力”だと思っていたのですが……』
と、キョトンとした顔で返ってきて、軽くプライドが傷ついた。
いろいろと謎は多いけれど、俺はひとつ、仮説を立てた。
この世界では基本、身分が高いほど魔力が強く、いろいろな魔法を使いこなせる。
しかし、あの地では昔から(突然変異なのか?)農民たちのなかからジェーンのような特別な強い魔力を持った女性がうまれていたのだろう。
そう言った女性を“聖女”と呼んで、長く崇めてきた、ということじゃないだろうか。
あまり目立ってまた魔女の疑いをかけられてはまずいので、極力ひっそりとその力を発揮してもらっていたのだけど、それでも領民たちは、いろいろと助かるし作物の育ちもいつになく良い、と、ジェーンにとても感謝しているようだ。
そうそう。なんと、元の村にいた、あのとき猫を託したこどもたちが、歩きに歩いて、うちの邸まで猫とジェーンに会いに来てくれた。
もっと大きくなってからおいでといったつもりだったのだけど、やっぱり気になって仕方なかったのか。
「聖女さま、お元気そうでよかったです。猫たちもよかった……」
こどもたちはホッとした様子だった。
ただ、みんなちゃんと食べていないのか、顔色が悪い。冬小麦の収穫の時期はすぎたはずなのに。
村の様子を聞いてみると、
「新しい聖女さまと、大人たちが、なんだかもめていて、あっちの村もこっちの村も、なんだかめちゃくちゃで……」と歯切れが悪い。
実は俺の方でも“新しい聖女”について調べていた。
王都にいた修道女で、我が国サクソナの宗教改革を主導した人物の、親戚筋の娘だった。
だが、唯一神を信奉するほかの宗派同様、サクソナ国教会も、女性の聖職者を認めていない(たとえどれだけ力を持っていても、修道女は聖職者の扱いをされない。なぜかは俺も知らない)。
ということは、国教会の聖職者になるために何年も専門の勉強と修行を積んだ女性は、この国にはいないということになる。
かの新しい“聖女”は、恐らくだが、必要な勉学も修行も与えられないままに、権力者たちの都合のまま据えられたお飾りの“聖女”なのだろう。
とすると……お飾りであることをわかっていたからこその、自分の存在を誇示するための魔女狩りだったのか?
「あれから、伝染病なんかは大丈夫か?」
と聞くと、それはないという。
こどもたちに、水飴やナッツやドライフルーツを含んだ日持ちのする菓子を持たせ、何かあったらまたいつでも来ていい、その時には野盗や狼に気を付けるようにと言い含めて、馬車で村の近くまで送らせた。
***
(なんか、そう言えばここに来てから身体の調子がいいな。よく眠れるし、戦場の夢もみない。
あの女に盛られてた毒も完全に抜けたのか………空気が良いし、領民もみんな良い奴ばっかりだからかな)
たまたま日の出前に目が覚めた俺は、そんなことを思いながら、朝焼けのなかで散歩していた。
すると、礼拝堂の前を通ったとき、強い魔力を感じた。
(……ジェーン?)
俺は、礼拝堂の扉を開いてみる。
ひざまずき、祈りを捧げるジェーンの姿が、天窓から洩れる日の光のもとに浮かび上がっていた。
思わず、彼女の祈りが終わるまで、俺はその後ろ姿を見つめていた。
どれだけ時間がたっただろう。
祈りを終え立ち上がり、礼拝堂を出ようとしてか、やっとこちらを向いたジェーンは、俺に気づいてみるみる顔を赤くした。
「あ、あのっ、そ、そこにいつからっ………!?」
「い、いや、その……」
いつになく動揺するジェーンは慌てるあまり、祭壇から降りようとしてスカートが足に絡まり、びっくりするほど勢いよく転んでしまった。
「だ、だい、じょうぶですかっ!?」
転んでしまったところを見事に受け止めたのはいいのだけど、すっぽりと俺の腕のなかにジェーンの細くてやわらかい身体がおさまってしまったこの状況はどうしよう。
俺の鼻先をジェーンのつややかな髪がかすめる。良い匂いがする。少し髪は伸びた。まだ綺麗なうなじは見えるけれど……いや、ここ礼拝堂!消えろ煩悩!!
「ご、ご、めん、なさいっ!!」
ジェーンがはねのくまで、そんなに長い時間じゃなかった。
彼女の顔が、さらに真っ赤になっていた。
また転びそうで心配である。
俺は俺で、腕に、彼女の上半身から下半身の造形がリアルに記憶されている……のをどうにか忘れようとして、「あの、祈りを、いつも……?」と尋ねた。
そういえば今までも、朝早く起きたとき、ジェーンの姿をみなかった気がする。問うと、赤い顔のまま、こくこくと、ジェーンはうなずいた。
「テストゥード様、お邸の皆様、この地の領民の皆様が、どうかお健やかでいられるようにと、朝と夜にお祈りしております」
「朝と夜に………そうだったのですか。
ありがとうございます、まったく気づきませんでした」
――――ちなみに。
俺はこの時ほとんど、ジェーンがひたすらかわいくて美人なことしか頭になかったのだが……。
この“祈り”については、このあと王都の恩人たちに手紙で聞いてみたところ、専門の魔法関連の書籍を送ってもらうことができ、ようやくその正体が判明した。
いろいろと複雑な魔法理論の説明をすっ飛ばして結論を言うと、また彼女は、“祈り”のかたちで無意識に魔法を使っていた。
それも、上級魔法のさらに上、“聖王級”といわれるほどの高度な魔法で、広範囲の人間たちの身体を整え、不調があれば癒しを与える、なんだか伝説クラスの魔法だった。
ちなみに“聖王級魔法”とは、俺では詠唱何年唱えても使えないレベルである。
うん、もう凹まないけどな!!
俺に魔法の才能ないの、もとから知ってるから!!(血の涙)
そりゃ、俺にもっと魔法の才能があれば……。
考えても仕方がないことは考えない。
それに、あの女――――現王妃に盛られていた、俺の身体に蓄積していた毒を、ジェーンの魔法が解毒してくれていたということは、単純に嬉しかった。
そして、彼女の“祈り”(じゃなくて本当は魔法)が、俺の大事な仲間や、領民を守ってくれていたことにも、感謝した。
***
そして当然気になるのだが、これだけとんでもない魔法を(魔法だとさえ認識せずに)使っていたジェーンを追い出した、あのもとの村はどうなってるのか?
知るのが正直恐かったけど、ある日、こちらの領民が、苦笑いしながら噂話をきかせてくれた。
「そういえば、あっちの村々は大変みたいですねぇ。
追い出した女の子?がいなくなってから困って、必死で探しているみたいですよ?
でも、なんて名前の女の子なのか聞いても、だぁれも知らないんですって」
気になって、人をやって調べさせた。
伝染病は起きていない。だが、大人たちの間に不安が広がっているという。
体調を崩しやすくなったり、大ケガをおったり、怪我が原因で寝込んで働けなくなったりしていると。
おそらくは通常起きる範囲の出来事なのだろう。
しかし、大人たちは、新しい“聖女”が力不足なのだと考えはじめたようだ。
それに、新しい“聖女”が、困ったときにも知恵を貸してくれないという不満も出ているらしい。(代々受け継がれた知恵の持ち主を殺そうとしたのは誰だったか、もしかして皆さん忘れてやしないだろうか?)
いまさら気づいて、ジェーンのことを探し始めたらしい。
おまえたちのもとになんか、絶対にかえさないのに。
(……これは潮時だな) 俺は、猫を預けてくれたこどもたちに向けて、とある手紙を書いた。
***
―――それにしても、ジェーンの真の力のすごさを思い知るたびに、俺は彼女を、自分の手元にとどめていていいのかと不安になる。
彼女はそれこそ、もっと大切にされるべき人なのでは?
国の宗教の根幹にかかわってもいいぐらいの力をもっているのでは?
折に触れて俺は、何度も彼女に尋ねた。
これから先、やりたいこと、学びたいこと、してみたいことはないか?って。
最近のジェーンは、まっすぐに俺の目を見ながら、
「もしお困りでないなら、ずっとお側にいさせてください」
と、答えるようになった。
そう言われるたび嬉しくて、それでも悩んでしまう。
本人は
「もう私はテストゥード様に仕える人間です」
と繰り返すけど、スペック的にも精神的にも明らかに、ジェーンは、神に仕える“聖女”だ。
いつ暗殺されるかまだまだわからないこの俺が、縛りつけていい人間じゃない。
いつか俺は彼女を、神にかえさなければいけないんじゃないだろうか。
あの村ではなく、神に。
そう思いながら、彼女を、手放せない。
***
―――俺のもとに、あの女の訃報が届いたのは、みんなが秋の豊かな実りに心おどっている、その最中だった。
「……処刑された!?」
恩人からの手紙を読んで、唖然とした。
いつかあの女に一矢報いることができたら……という恨みの気持ちも薄れてきていた最近だったけど、それでも、ざまぁみろというよりは、呆然、というのが本音だった。
夜になっても眠れない。
外に出て気のおもむくまま月を眺めていたら、礼拝堂から出てきたジェーンが、こちらに向かって歩いてきた。
小さく会釈し、そっと、俺のそばに近づいてきた。
一人になりたいと思っていたのに、彼女がいてくれてよかったという気持ちであふれた。
月光が、彼女の長いまつげに、きらめく。
また伸びた彼女の髪は、もう少しで肩まで届きそうだ。
そっと、ジェーンの手をとると、邸のテラスへと足を運んだ。
屋外に出されたテーブルと椅子。
椅子にかけて、再び俺たちは月を眺める。
「たぶん、あの女……彼女だけが悪いわけではなかったんです」
ふと、俺の口から、初めて語る言葉が洩れた。
俺がどうしてここに来ることになったのか、ジェーンにはなにも話していなかった。ただ、いま、話さなければと強く思った。
「国王である俺の父と、母は、完全な政略結婚でしたが、結婚当初は仲が良かったようです。
しかし次第にすれ違い、父は何人も愛人を持ち始めた。
そして、父がある女を口説いたとき、彼女は言いました。『愛人では絶対に嫌だ』と。
彼女を妻にするために、父は、母との離婚を画策します。
そして国教会は、父と母の結婚が無効であるとの宣言を出した。母は妻でも王妃でもなくなり、俺は『庶子』になり、王子ではなくなったんです」
俺は戦場でその報せを受け取った。
すぐにでも王都に戻り母に会いたかったが、状況はそれを許さない。
やっとの思いで帰りついた俺を待っていたのは、新王妃による幽閉、その直後の母の訃報だった。
「王都で幽閉され、継続的に毒を盛られ、かろうじて自分で治癒魔法でもたせながら、このまま朽ちていくのか、と諦めかけていました、そんなときです。
廃嫡とは別に、戦功は公平公正に認めるべきである、と、かつて戦場で一緒に戦った重臣たちが、父に繰り返し進言してくれました」
それで俺には領地と爵位が与えられ、どうにか、新王妃のもとから逃れることができたのだ。
そんな新王妃の処刑理由は、姦通だそうだ。
父は、自分が何人愛人をもうけてきたのか、忘れたのだろうか?
しかも、
『処刑理由は濡れ衣らしく、どうやら新王妃への愛情がさめて、いまの愛人を王妃に据えたいから姦通をでっち上げたと、もっぱらの噂である』
と、恩人からの手紙には添えられていた。
ざまぁみろと言うに言えず、気持ちも晴れず。
うすぐらい感情だけがぐるぐると巡る。
ただ、俺の手をぎゅっと握り、話を聞いてくれるジェーンの体温に、癒された。
「……ひっぱたきにいきましょうか?」
突然、ジェーンの口からジェーンらしくない言葉が飛び出て、俺はびっくりした。
「……テストゥード様に、そんな思いをさせて。
そんなおつらい目に遭わせて。
私、そのお父様に、腹が立って仕方ありません……!」
言葉が洩れて、ジェーンの綺麗な顔が赤くなる。
“聖女”がそんなことを言ってはいけない。個人的な怒りは、何よりもジェーンにとって大切なはずの信仰心に反している。
だけどいま、俺のために怒ってくれている。
いったい何が起きているのだろう、と、俺はジェーンの頬につい、触れた。
いつか想像したとおり、その頬は柔らかかった。
ジェーンはその俺の手を取る。
涙目。見たことのない怒りと強い悲しみの表情。
“聖女”とは程遠いその顔が、月明かりのなかで美しく、たまらなく愛おしかった。
「……そうですね、いつか」
気がついたら、彼女の身体を真正面から抱きしめていた。
神よ、申し訳ありません。
あなたに仕える“聖女”は、もうかえせない。
***
――――3年後。
隣の領主から援助要請を受け、俺はかつて“聖女”をあがめていた村を訪れていた。
村人たちが体調を崩したあと、すぐに伝染病がやってきたという。
俺はもともと知っていた。
いにしえの魔女狩りの時代……魔女の使いであるとして猫を虐殺したために、伝染病を運ぶネズミが大繁殖し、病が大きな被害をもたらしたことを。
村人たちにそれを言っても理解をしないだろうから、領主に手紙で何度か伝えたのだが、どうにも活用してもらえなかったようだ。
(一方、猫を預けてくれたこどもたちは俺の手紙を信じてくれて、親とともに元の村を逃げ出し、いまではうちの領民だ。猫たちは元の飼い主のもとに帰った)
また、新しい“聖女”は、住民との対立に嫌気がさして王都に帰る道中、何者かに襲われ、命をおとしたとか。
1年以上伝染病が長引き、壊滅状態になった村々を干ばつが襲い、さらに今年、野盗が襲った上に豪雨が降ってきた…と。
災害や野盗まではまさかジェーンの力で今まで防いでいたということはないだろうが……(ありえなくはないあたりが恐い)病でボロボロの人々は、家やわずかばかりの財産を失い、にわかづくりの救貧院に保護されていた。
「――――食糧支援、大変恐れ入ります、殿下」
今までと打って変わって、隣の領主は丁寧に頭を下げる。
つい先日、俺から剥奪されていた王位継承権が戻された。3番目の王妃の助言らしい。
正確には、まだ俺は『庶子』の扱いのままなので“殿下”じゃない。こちらは何ひとつ変わらないのに勝手に他人が決めつける『嫡子』『庶子』の別というのは、あまりに理不尽で反吐が出る。もうそこは気にしないことにはしたが、隣の領主は、俺が媚びを売るべき相手だと認識したらしい。
本っ……当にくだらない。
「あ、あの!」
俺が、被災した村人を見て回っていると、必死に縋りついてくる老人がいた。
よく見直すと、3年と少し前に、ジェーンを焼き殺そうとしていた村長だった。
相当な辛酸をなめたのだろう……まるで何かに呪われたように、たった3年とは思えないほど老け、やせこけ、明らかな死相が浮き上がっていた。
「王太子殿下、王太子殿下でございますね…?」
口をききたくもなかったのだけど、がっつりと俺の足首を掴んでくる。
「我々が、間違っておりました……!!
あの女は聖女などではなく、我々は騙されて、大変な間違いを犯してしまったのです……。
どうか!どうか聖女さまを返してください!」
だからジェーンは、絶対にこの場所に連れてきたくなかったのだ。
きっと形ばかりの懺悔を村人たちは口にするだろう。
もしかしたらジェーンはそれを許してしまうかもしれない。
俺はそれが嫌だった。
「お願いでございます! 聖女様を!」
「どうか、聖女様を、我々にお返しください!!」
「お慈悲でございます……!!」
村人たちが、口々に俺に叫ぶ。
(何を言っているんだか、まったくわからないんだが……)
こちらこそ、言ってやりたいことがたくさんある。喉元をぐるぐる、言葉が回る。
だったらなんで簡単に疑った。なんで彼女を守らなかった。
そちらが殺そうとしたジェーンは、本当に素晴らしい人だった。
彼女のおかげでうちの領地はどれだけ豊かになったか。
俺自身もどれだけ幸せにしてもらったか。
どうだ、逃した魚は大きいだろう。
後悔したか? 戻ってきてほしいか? 何もかもがもう、遅いんだよ。
「…………………」
俺は、胸にぐるぐるする言葉を飲み込む。
「お願いします!!」
「どうか、聖女さまを……!」
彼らに、叫びたいだけ、のどがかれるまで叫ばせてやることにした。
戦場で叫んでいた時の俺とは比較にならないほど早く、彼らは声を出すことを諦め、力尽き、口を閉じていく。
最後の一人の声が絶えたとき、俺は、足首につかまる村長の手を、払った。
「そんな聖女は、もういない」
――――――不快なものを一刻も早く忘れたくて、一秒でも早く領地に帰りたくて、馬を飛ばした。
ざまぁみろ、と彼らを笑うためだけに話すには、もったいなかった。
どれだけ、自分がいま幸せか、なんて。
見えてきた邸、そろそろ帰るころだと思っていたのか、ジェーンがちょこちょこと歩きながら外に出ていた。
こちらを見て笑顔で手を振り、足元をそろそろと確認して、歩く。少し後ろを、心配げにメグがついてくる。
女ものの服にはとうに慣れたジェーンだったけど、今は別の理由で足元が心配だ。
「おかえりなさいませ」
「ただいま」
馬を馬丁に任せ、下馬した。
ジェーンの澄んだ声は変わらずきれいで、その柔らかな笑顔も変わらず美しいけれど、見た目にはいま、少し変化があった。
身分の差が大きかったために、いろいろな裏工作が必要になり時間はかかったけれど、いま彼女は自分の妻として隣にいる。そして来月には家族がもうひとり。
メグがこちらの様子を見て、もう大丈夫かとばかりに、先に邸の玄関ホールの扉を開ける。
細い肩に自分の上着を脱いでかけ、そのたおやかな手を取りながら、俺は身重の妻とともに邸にはいっていった。
■おわり■