EOF_胎動
東京都心の一等地、東京駅にほど近い大きなオフィスビル。
このビルの地階は地下鉄や電車の駅に直接アクセスでき、利便性も良いため賃貸料も管理費もそれなりに高い。
その証拠に入居しているテナントは国内外、錚々たる社名が並ぶこのビルに1人の男が訪れていた。
中華系で切れ長の鋭い目、いかにもビジネスマン風にスーツを着て、黒いビジネスバッグを持っていたが、ピリピリとした空気を纏って側に誰も近づけさせようとせず、スーツ姿に珍しい坊主頭で普通のサラリーマンではないように見える。
男は磨かれた床に靴音をさせながら、受付へ近づいた。
高セキュリティを売りにしているこのビルは、来館者は受付で入館手続きを行っていた。
『36階の潮陽集団、李さんへ面会に来たのだが』
男からは姿に似合わぬ穏やかな声と、聞き取りやすくて訛りのない綺麗な英語に、受付の女性は少しだけ警戒心を解いた。
『いらっしゃいませ。お名前とアポイントメントはお有りですか?』
『15時にアポがある。高だ』
『少々お待ちください』
よく教育されている受付の女性は流暢な英語で36階と内線電話で話して、来客を確認し、手元のノートPCで入館手続きを取った。
『コウ様、お待たせ致しました。こちらをお持ちください、行ってらっしゃいませ』
受付の女は席を立ってゲストパスを男に渡し、お辞儀をして送り出した。
男はセキュリティゲートでゲストパスをかざし、物慣れた様子で高層階用エレベーターを操作し、36階を指定した。
36階に着くと男は受付の内線も使わず、勝手にドアを開けて、ツカツカと目的の部屋へ足を向ける。
通り過ぎたエントランスサインには潮陽集団有限公司、と流麗な筆文字が描かれていた。
ここは中国本土では知らぬ者はいない、巨大エネルギー企業。
主なる株主は表向き共産党員の面々が連ねているが、実体は政府がその全てを握る半国営企業だ。
男は目的の部屋を見つけ、ノックを3回し入室した。
中にはビジネスデスクが1台とノートPCだけの簡素な部屋にコウと似た雰囲気を持つ男が一人、デスクに陣取っていた。
コウはデスク前に進み、足元に鞄を置いて、
『高 宇航少尉、参上しました!』
彼はスーツ姿のままかかとを合わせ、敬礼をした。
デスクの男、李は返礼もせず、鷹揚に頷いた。
『コウ・ユウハン少尉。君に任務だ』
デスクの引き出しからクリアファイルを取り出してコウに渡した。
『次のターゲットだ。奴らより先回りしてこの男の研究成果を奪取せよ』
コウはファイル越しに確認する。
中には何枚か綴じた書類とスナップ写真が2枚。
書類にはオルソンウェルズ研究所と印字され、研究所の概要やここ最近2人の行動履歴が日付や時間と共に記載されていた。
挟まれたスナップ写真には20代位の女性と50代後半位の白髪混じりの白衣姿の男性のスナップ写真が挟み込まれていた。
オルソンウェルズ研究所、確か概要にアルストーリアグループ傘下の研究所とあった。
男は記憶を掘り起こして、少し顔を顰めた。
『この研究所にはよく騒ぐ番犬が付いているのでは?』
『そのために君を呼んだ。成果入手に方法は問わんが、博士と娘は必ず無傷で連れてこい。末永くわが祖国で役に立って貰わねばならぬ』
『番犬相手に無傷とは。番犬達を殺して問題になったりはしないのですか?』
『番犬達はどうしようと構わん。お前の自由は保証しよう。君の手足には広徳安全有限公司を用意した。使い勝手は軍と変わらん』
李は一枚の社員証をコウに渡した。
コウの名前と写真が入っており、会社名にはゴンドセキュリティサービスと入っていた。
『内部からの情報だが、博士は研究所を辞めたがっているらしい。里心がついたのか娘と日本で静かに暮らしたいと周囲に漏らしている。日本にいるうちに接触し二人と研究成果を入手しろ、これが新しい指令だ』
『はっ。承知しました!』
『それに番犬達も一枚岩ではない。その男は使えるだろう』
男はクリアファイルをもう一つ取り出した。
書類にはHRF日本支部と印字してあり、簡単な行動履歴と家族履歴が記載されていた。
挟み込まれたスナップ写真が一枚滑り落ち、コウが拾い上げで視線を落とす。
――その写真は娘と妻に囲まれて幸せそうに笑う紅谷翔の姿があった。
今度の敵は中国です。
ちと長くなる予定です。
その前に冬童話参加します。