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カムバック・ホーム  作者: 扇谷 純
カムバック・ホーム
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第43話

 病院を後にした僕らは、あてもなく歩いていた。どこまでも続く田舎道で、時おりぽつんと建った一軒家の住人がそこらじゅうに広がる自然の管理をしているのだろうか。


「どうする? 見た感じ、この辺なんもないけど」


「とりあえず、散歩でもしよっか」


「散歩ねぇ」


 気乗りしない様子の藤沢には構わず、僕は田舎道を歩き進んだ。


 彼は火のついていない煙草を口に咥えたまま、「店でもあれば時間潰しやすいのになぁ」と後ろで呟いている。


「さっきの人に聞いておけば良かったね」


「弾丸みたいに喋るもんだから、さすがの俺も口を挟めなかったわ」とため息交じりに答えると藤沢は立ち止まり、「やっぱ俺、戻って聞いてこようか?」と言った。


「忙しいって言ってたし、迷惑かも」


 僕は遠方に見える大きな建物を指差し、「とりあえずあっちに行ってみようよ」と言った。


「へぇへぇ」


 頭の後ろに手を回した藤沢は、しぶしぶ僕の後に続いた。


「今日はやけに張り切ってんのな」


 大自然の美しい風景を眺めながら進むうち、僕はそれらの風景をカメラに記録しておくべきだと思った。バスに乗車した際にも色々と綺麗なものは見られたのに、カメラを持って間もないせいか存在をつい忘れてしまう。


 ファインダー越しに見える景色は、実物とは少し違っていた。どのように撮影するのが正解なのか、適当にシャッターを押してみるものの瞳に映る景色にはまるで敵わない。


 やがて撮り進めるうち、僕は彼女が壁に飾ってあった写真や、海沿いの列車を撮影した時のことを思い出した。


 そうか。立体感。


 意識を変えると、景色も少し違って見えた。例えば年季の入った小さな神社では、社へ通じる大きな石段の連なりがどこか神秘的に映り、色褪せた朱色の鳥居が深緑の中で良いアクセントになっている。


 社のそばで昼寝中の三毛猫、そいつに構って指を引っ掻かれた間抜けな僕の友人、敷地内から見下ろす田園風景、それらは生命力に満ち溢れ、撮影しているとどこか愉快な気分になれた。


 階段を降り、短い橋の上から小川を覗くと澄んだ水面に映る太陽光の揺らめきがひときわ美しく、魚の飛び跳ねる姿へ反射的にカメラを向けた僕は、《《撮りたい瞬間》》というものを徐々に理解し始めていた。


「ようやく大通りか」


 僕の少し前を歩く藤沢はそう言うとお腹をさすり、「腹減ったな」と呟いている。


 久方ぶりに思える舗装された道路には、期待したほどではないものの、いくつか商店を見つけることができた。


「あ、パン屋がある!」


 僕は藤沢の袖を引っ張り、行きたい旨を伝えた。すると彼は、「ひと通り見て決めたいんだけど」とぼやきつつ、僕に続いてパン屋に足を向けた。


 サーモンピンクの引き戸を開き、こじんまりとした店内に入ると、焼きたてのパンの香ばしい匂いが胃袋を刺激した。


 そこには多くの種類のパンが所狭しと並べられ、二人でいくつか欲しいものを選ぶと、トングで掴んでプラスティックのお盆に乗せた。


 会計を済ませがてら、藤沢は持ち前の会話力で店員との距離をぐんと近づけている。


 彼の人徳かどうかはさておき、(本人はそうだと言ってきかないが)店員のおばさんは親切にもパックの牛乳をサービスで二本入れてくれた。


「この辺でどっか、良い場所ないですかね?」


「あぁ、外で食べるならね、いい場所があるよ」と丸眼鏡のおばさんは言った。


「ほんと?」


 よくよく聞いてみると、それはつい先ほど僕らが立ち寄った神社のことだった。


 僕らはおばさんが説明してくれる場所と特徴を聞きながらつい顔を見合わせたが、一応知らぬふりをしておいた。あそこが良い場所なのは確かだから。


 僕らは紙袋を片手に来た道を戻り、また神社に向かった。不思議なものでカメラを覗いて被写体を眺めると、今まで気にも留めなかった草花や蜻蛉、案山子なども自然と視界に入り始め、どのアングルで収めるのが最適か考えていくうち、また別の魅力的な被写体や撮影方法のアイデアを思いつくことがあった。


 澄んだ空気や自然の匂い、それらが景色と交わって一枚の写真に収まっていくのが感じられる。平面に思えて、そこに含まれる情報量は非常に膨大だ。静止した景色でさえ、撮り方を工夫すれば躍動感を与えることもでき、瞬間によってがらりと表情を変えた。


 シャッターを切るにつれ、この穏やかな時間に僕は心が洗われるようだった。それはまるで、浜辺ではしゃぐ彼女の姿を見ている時と同じ感覚がしていた。


 美しいものに対する、真っすぐな想い。大好きな瞬間を写真に収めれば、それはいつまでも色褪せることがない。


 彼女の話していたことが、僕にもようやく少し理解できた気がした。


 再び神社に到着すると、見晴らしの良い場所にベンチを発見した僕らは二人並んでパンを食べながら、緑溢れる景色を眺めていた。


「田舎暮らしも悪くなさそうだな」


「そうだね」


 初めは何もないと思ったこの場所が、こんなにも心躍るもので溢れていると認識できるまでに、僕はカメラのメモリーを随分と費やしたものだ。

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